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アイデアを一旦、放流してみる

2018.10.19

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分の身の回りに起こったことや、今考えてるアイデアを誰かに話したり、こうしてブログに記録していくことって、自分のアタマの中を整理するための「アウトプット」ではあると同時に、次の「インプット」の準備をしてるんじゃないかとも思うんですよね。

考えてることは、誰かに話しなさい

誰かから聞いたのか? 何かで読んだ言葉なのか?
「何かを思いついたときは、なるべく他人に聞いてもらったほうがいい」とか「今やろうとしている仕事がどんなものなのか、他人に話してみるべき」みたいなことを言いますよね。
僕も、自分の言葉のふりをして、他人に「アイデアは抱え込まずに、他人に話したほうがいい」などと言ったことが何度かあります。

おそらく、言語化することで自分のアタマを整理することができるという効能があるんですよね。

自分自身では、アタマの中でいろいろ思考を巡らせつつ、深く考えているつもりでも、言葉にしようとすると、意外と難しいものなんですよ。

自分が考えていたことをさかのぼり、要点をまとめつつ物語に仕立てる。
ほとんどの場合「うまく言葉で伝えられない自分」に直面することになるのです。
言葉に詰まったり、内容が支離滅裂になって、話の途中で着地点を見失ったり。結局「考えてたつもり」に過ぎなかったということに気づくんですよね。

なんとなく今、ブログで代用している感じです

この「誰かに話してみる」って考え方、ずっと忘れていました。
リモートワークのデメリットでしょうかね? 仕事仲間をテキトーにつかまえて「オレ今、こんなの考えてるんだけど」ってのがなくなりましたからね。ときどき電話で話すときも、目の前にある問題のことしか話しませんし。

飲みながらこういう話をすることはあるんですけどね。なんせ酔っ払っちゃってるから、自分がちゃんと筋道立てて説明できたかどうかなんて、覚えちゃいませんよね。
こういう席って、言いたいことだけをダラダラ言ってたり、他人の話で分断されたりしますからね。
酒の席での「誰かに話してみる」はカウントしていません。

こうしてブログを約3ヶ月書いてみて、ようやく「誰かに話してみる」という考え方を思い出したんですよね。
ずっと「ムダを省きたい」「対面ミーティングに出席したくない」って思いながら、リモートワークにこだわってきましたから「仕事のことに関する雑談」ってのがなくなってたんですよね。

「うまく文章で伝えられない自分」に直面していることを思い出しましたし、「考えてたつもりになってただけだったんだな」と再認識もしました。

一旦、放流する

ずっと自分のアタマの中だけで思考を続けていると、過去に自分が考えたことに凝り固まっちゃうんですよね。次のアイデアを受け入れる余地がなくなっちゃうんですよ。
だから誰かに話したほうがいいし、ブログ記事にしたほうがいい。アウトプットしたほうがいいんだと思うんですよね。

僕自身の体験を語ると、若い頃は「誰かに話す」が多かったけど、徐々に少なくなり、50代中盤の今は「誰かに話す」は、ほぼなくなり、つい最近「ブログに書く」が始まって、ようやく「そういえば『アイデアは、誰かに話せ』って言ってた人、いたな」思い出したところなのです。
「誰かに話す」が、減っていったのが加齢のせいなのか? 環境のせいなのか? は、わかりません。たぶん両方なんじゃないでしょうかね?

どちらにせよ、積極的に自分の考え方を「放流」する機会を作ろうと思っています。
ブログ記事にすることに関しては、ほぼ日課になりつつありますので、ずっとやり続けることになろうかと思いますが「人に話す」機会は、僕自身が意識していないと増やすことはできませんからね。
ここでは深く触れませんが、もちろん「話す相手」って重要ですよね。

一旦、自分の考え方を放流しちゃうと、客観的に見ることができるんですよね。特にブログ記事だと、それを書いたときの自分の状態が変わってたり、熱量みたいなものが失われてるから、「これ、上書きしていいんじゃない?」って気づきやすいのですよ。

「このアイデアは古いやつだ」って思うと、次のアイデアも浮かんで来やすいし、日々接する多くの情報のなかから「あ、これ」ってインプットすべきものに気づきやすくなるんだと思うのです。

再インプットを繰り返す

自分が過去にアウトプットした「どういう考えを持ったのか?」「なぜ、そう考えるに至ったのか?」を、今の自分がどのように感じ、今の自分も納得できるものなのか?
それを再度、言語化してみて「うまく文章で伝えられない自分」に直面して「考えてたつもりになってただけだったんだな」と感じる。
新しく浮かんだアイデアを取り入れたり、ネット上の情報から仕入れた知識や考え方を自分なりに加工したりして、再度インプットした上で、もう一度言語化してみる。

それを何度も繰り返しながら「考えたつもり」から抜け出して「わかった!」に向かおうとしているのだと思います。
文章や話しも、だんだんと「自分の言葉」でアウトプットできるようになるのだと思うのです。

こうして考えてみると、おそらく僕は「考えたつもり」になってることだらけなのですよ。
せめて、このブログのテーマにしている「セミリタイア」「地方移住」「資産運用」「リモートワーク」あたりの話題に関しては「わかった」に近づきつつ、自分の言葉で記事を書いたり、話ができるようになりたいと思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。