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故郷への移住。古い音楽

2019.03.10

最終更新日:2020年07月29日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

故郷である山口県萩市への移住をイメージし始めたのは、自分の感受性が変化したことに強い影響を受けていると思うのですよ。古い音楽を聞きたくなったり、桜を美しいと感じるようになったりと同様に「故郷へ移住したい」と感じるようになったのです。

年をとると感受性の形って変わってくるのかも

40歳を超えたあたりからでしょうか、定期的に1980年代・90年代あたりの古い音楽を聞きたくなるのですよ。
合法なのか非合法なのかは不問にするとして、YouTube上にたくさん上がってますからね、検索すればすぐに辿り着ける環境であることも影響大だと思います。

若い頃は「流行に敏感なオレ、カッコいい」などと思いながら新しい音楽を開拓して楽しんでいました。
古い音楽を聞いているオッサン・オバサンを「感受性が鈍っている、衰えている」と評価していたように記憶しています。

50代半ばになった今、かつて蔑んでいたオッサンと同じことをしている自分を見て「感受性が衰えたんじゃなくて、形が変わったんじゃないかな?」などと思い始めてるのですよ。

若い頃は、音楽そのものが楽しみだったのです。そこに感動やら高揚感やらがあったのですが、オッサンになりますと、そこにいろいろな記憶や感じていたことが幾層にも折り重なっていて、そこから昔とは違う心の動きを感じるのですよ。
音楽というものがほんのちょっと役割を変えていて「楽しみの入り口」とか「感動スイッチ」「思い出トリガー」みたいなものになっているのです。

たまたま音楽を引き合いに出して書き始めましたが「季節の移ろい」だったり「目に映る風景」「映画」「スポーツ」「絵画」「ダンス」あらゆるものに対して、そうなのです。

加齢とともに、これまで使っていなかった感受性のある部分が、高まってるような気がするのですよ。

若い頃、桜を見てもなんとも思いませんでした。絵画の前も素通りしていたし、スポーツにしても自分が競技者であったにもかかわらず、他人の試合を2時間も見続けるなんて苦痛以外の何ものでもありませんでした。

それが毎年々々、桜は美しく感じるようになります。美術館でボーッと絵のある空間にいることを心地よく感じるようになりますし、駅伝からドラマを感じることもできるようになっています。
そこにいろんな思い出が積み重なっていくからなのでしょうね。

感じるものが多くて、解き明かそうとする

「そこで見えているもの、聞こえているもの」から得られる情報量を「見えたこと聞こえたことから感じる過去の記憶」の情報量が超えたのかもしれません。
測ることなどできないものなので「言葉にすると、そんな感じかな」くらいのものですけどね。

50年生きますと、思い出以外にも、いろいろなものを積み重ねて来ているのですよ。
知識やら体験やら、家族や友人たちとの記憶などなど。そして、今もどんどん増え続けています。
そういったあれやこれやを通してものを見るようになってきちゃうんでしょうね。

だんだんと、いままでに出会ったことのない心の動きを自覚することが増えてくるのですよ。
これも「老い」からくる現象のひとつなのかもしれません。

そして、年をとって大人になった分、自分が感じたものを解き明かそうとする欲求も生まれるのですよ。
ちょっとイヤな言い方をすれば「見透かそう」とするんですね。
「感動」「思い出」といった、抽象的でとらえどころのないものから、物語を抽出する技術が、ちょっとだけ身についているようです。

古い音楽を聞いたときに得られる心の動きが「故郷の風景」「子供の頃に感じた臭い」と直結していることが多いのですよ。
冒頭に「1980年代・90年代あたりの古い音楽を」と書きましたが、この年代の大半は東京で過ごしてたんですけどね…。なので、その音楽を聞いていたときに考えていたことや、起こった出来事を思い出しているワケではないようなのです。

これ、僕だけの個性なのか「だいたいみんな、そんな感じだよ」なのかはわかりません。
こういう話ってしませんからね。他人と比較したことがないのですよ。

僕はこうしてブログを書き続けることで、ようやく言語化することができましたが、本来は、ほんやりと感じているだけで、きちんと認識することすらなかったでしょうね…。

大人こそ旅に出よう

感受性の形が変わったことと、故郷への移住をイメージし始めたことは、間違いなく繋がってると思うのですよ。
セミリタイア」も「二拠点生活」もそこから発生した行動なのだろうと思っています。
他にもまだ自分で気づいていない感情や行動はあるかもしれません。

ここまで「古い音楽」を引き合いに出して、加齢とともに感受性の形が変わってきていることを述べてきましたが、オッサン・オバサンは、加齢によって変わった自分の感受性の形を再確認する旅に出るべきだと思うのです。

文字通りの「旅」でもいいし、生き方を変えることでもいいのですよ。

僕の場合は「ものの感じ方」とか「心の動き方」が変わった原因を探ることもせず、「オッサンだから、仕方ないんだろうな。こういうのを更年期って言うんだろうな」くらいの気持ちで、いろいろと対策し始め、それがもろもろの行動に繋がっていったのです。
それが、後になって「そっか、感受性の形が変わっちゃってるのか」と思い至ったのですよ。
「なんだ、そういうことか」と思えば、ワリとスッキリしますよ。

僕はフリーランスですから、大きめの「人生の岐路」にして、生き方を変えちゃいましたけど、そんなに大きく生活を変えられない人でも、音楽を聞く、本を読む、美術館に行く、スポーツを観戦する、などなど心を刺激することをいっぱいするといいと思うのですよ。

年を取ることで新しく獲得した感受性があるはずなのです。

大人は、その人なりのアウトプットの方法とか、行動の様式を持っていますから、感じ取ったことを自分の中で咀嚼して行動に移すことができるのですよ。
感動や情熱を今就いている仕事に活かす方もおられるでしょうし、他人を幸せにする言葉を思いつかれる方もおられるでしょう。

僕は、故郷に移住することで環境を変え、二周目の人生に突入しようとしているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。