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手を動かす仕事は続けつつ、言葉も作れるようになりたい

2018.07.01

最終更新日:2018年07月28日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人生の大半を、手を動かす人として生きてきました。たぶん僕の性分に合ってるのだろうと思います。一方、目の前にあることについて自分なりに考えて語ることも大切で、人間性と成果物の間を行ったり来たりするようなものを大切にしようと思うのです。

デザイナーって「AIが発展してもなくならない職業」ってことになってるんですね

最近、AIについて、いろんな記事や動画が目につくことが多いですね。なんとなく「新しいことが始まるんだな〜」くらいの感じで眺めています。
50歳台半ばの僕には「オレの仕事がなくなったらどうしよう」なんてことを考えることなんてありません。
でも、他人事として考えたりいろんな媒体の記事を読んだりはします。
そうすると、AIは統計的な処理を扱うのは得意だけど、0から1を生み出すようなもの、例えば芸術に関しては不得手だということになっているようです。
だから「デザイナーという職業はなくならない」のだと。

僕は、デザイナーの仕事って、大部分が最適化だったり、自分の持ってる引き出しの組み合わせだったり、バリエーションづくりだったりと思っていて、ワリと「AIでできること、たくさんありそう」などと思っていたのです。

「全部?」と言われれば「そんなワケないじゃん」と答えますが、概ねAIにできそう、むしろ任せたい。
制作者である僕と、ディレクションする人、発注する人、それぞれの人間性を掲げて突き詰めていく、フィニッシュワークに全精力を使いたい、などと想像するのです。
この未来に僕が関わるかどうかはわかりませんが「楽しくなるのか、つまんなくなるのか、分からないけどやってみたい」くらいの感じです。

末端の作業者であることが好きです

これまで、パソコンでデザインできるようになったり、「これからはWebだよね」ってなったり、環境はいろいろと変わっているのですが、手を動かすという部分さえ残れば、僕は快適ですね。
状況が変わるたびにケチをつける人はいますよ、僕だって例外ではありません。
その時は「新しいものにケチをつけましょう」ってお題の大喜利が始まっちゃったようなもんなんですから、新しいものに対する寛容性をアピールするよりも、大喜利メンバーとして面白い回答をするために、頭をひねる方が楽しいのです。

ただ僕は、基本的に「新しいものの方が優れてるんじゃないの?」と思ってます。
今まで、どうにかこうにか現場でポジションをもらい続けてる僕がそう考えるのは、生存者バイアスが含まれてるだろうという自覚はあります。古いものを大切にされる方を批判するつもりはさらさらないのです。
美術教育を受けていないし、大きなプロダクションへの勤務経験もなく、いきなり独立したようなもんですから、環境が変わることによるフィールドの更新をすごく前向きにとらえることができたように思います。

結局、僕にとって「手を動かす」ということが本質であって、環境やツールの変化って「対応すべきもの」「刺激を与えてくれるもの」「歓迎すべきもの」ではあるものの、職業人生を大きく揺るがすものではありませんでした。
「今まで」なのか「これからも」なのかは謎です。

「モノ考えるのキライ」なワケじゃないんです

「手を動かすのスキ」って言うと、「モノ考えるのキライ」って言ってるように聞こえます?
いや、自分がこの記事書き進めながら、そう思ったんです。
手を動かすのって思考の補助ですよね。当たり前だけど、アタマはずっと働いてます。
デザイナーって、腕組みしながら「う〜ん」って頭をヒネるよりは、チョコマカ手を動かしながら「ダサ」って思ったり、「いい感じ。これのバリエーション作ろう」って思ったりしながら考えるのが楽しい職業だと思っています。
その動作をネチネチ続けていくのが好きなのです。

その間「あのクライアントなら、こういうの好きなんじゃないかな」とか「こないだの会議で、これNG出してた人がいたよな」とか、非論理的な、メンバー内の好き嫌いを判断基準にした思考を繰り返します。
こういう部分がAIには苦手なんじゃないかな? と勝手に想像しているのです。
しかし、それが僕にとって得意なことってわけでもないのです。自分の成果物に反映することが精一杯で、ストーリーを作ったり、誰かを説得したりといったところに、なかなか向かわなかったんです。

モノも語るようになろうと思います

僕が今までまったく重視してこなかったのが言葉なんですよね。手を動かしながら、何かを語るような作業。
「デザイナーなんだから、苦手でいいじゃん」って思ったりもしていました。

自分の成果物を言葉で説明することを要求される場面って、あるにはあるんですけどね。
もうひとつ踏み込んだ、哲学だったり文化論だったりの抽象的なものを語りつつ、具体的なビジュアルに落とし込みつつ、行きつ戻りつみたいな作業をする場面を作ってこれなかったように思います。
打ち合わせ中に、偶然そんな世界に入り込んだことはあったようにも思いますが、結局、いいかげんなどこに着地していいのかわからなくなうようなグダグダっとした話になることのほうが多かったようにも思います。自分のチカラ不足なんですけどね。
これから先、人生をアップデートするために「こういうのが上手にできればいいなあ」などと思っています。

本当にそうなるのかどうかは謎ですし、セミリタイアしたがってる僕にその機会があるかどうかもわからないのですが、とりあえずやってみようと思ってます。
手を動かす仕事はずっと続けつつ、同時にモノを語るような場面も増やして行こうと。
具体的なものと抽象的なものを同時にイメージしつつ、言葉を作ったり、ビジュアルを作ったりしてみよう。

で「まずはブログを書こう」って平凡な着地をするわけですが、今まで言葉をつないで文章作るような作業してこなかったわけですからね、訓練、訓練。
「いっぱい書き続けたら、そのうち上手くなるだろう」くらいのスタートです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。