follow hagi.life

結果「コネなんて要らない」って考え方でよかった

2018.07.17

こんにちは、萩ドットライフ()です。

他人に相談されて「コネなんか要らない。なんとかなるよ」なんて言うつもりはありません。セーフティネットを自分から捨てちゃダメだと思います。でも僕の場合はコネを捨てたら、いい感じに転身できたんですよ。結局、運がよかったってことなんでしょうね。

起業するときって強がっちゃいますね

ブログを書きはじめて「何書こうかな」ってネタを模索すると、昔話ばっか思いつきますね。「良くないな〜」と感じつつも、思いついちゃったもんは仕方ないので、書きますね。

潔癖すぎたかな? と反省してます。1997年に会社を作ったときのことですけどね。
まず、失業保険受けなかった。ま、これは真っ当なんですよ。
失業保険ってのは、就職活動のつなぎに受けるもので、自分の会社を作る人が受けるのは違法です。
しかし「転職活動をしてたけど、思い通りに進まなかったので、起業しました」ってのも成り立つし、「最初からそのつもりだったんじゃない?」ってのは、他人に公言でもしていない限り証明できないので、これで食いつなぐ人、皆無じゃないと思いますね。繰り返しますが違法です。
だから僕は「失業保険? そんなの要らないよ」って言ってました。そんなに手持ちのお金、潤沢じゃなかったんですけどね。

次に「コネ」の活用を嫌いましたね。
これはちょっと青臭かったかな? 会社員時代の知り合いとかに「ちっさいくてもいいから仕事くれ」「空いてる時間バイトで使ってくれ」って言える環境を残しておいたら、ギリギリのときに救ってもらえたかな? と。
強がりなのか? 気恥ずかしさなのか? そういうの一切やりませんでした。
気持ちのどこかで「独立したオレは、会社員時代の仲間より一歩先に行ったぜ」などと思ってたのかもしれませんね。

意図的に会社員時代の業務から離れようとした時期

紆余曲折はあったんですが、会社作ったとたん舞台公演のプロデュースなんていう、まったく未経験の事業を始めたりして、会社員時代からの継続性を失ったことも原因なんですね。
「会社員時代にできなかったことをできる自分」「以前の組織内ではカタチにできなかった発想をカタチにできる自分」が嬉しくて仕方なかったですね。
こうなっちゃうと、ちゃんとしたカタチになるまで、他人に「オレ、こんなことやってるんだ」って言いにくいから、ますます会社員時代の人たちとは疎遠になりますね。

舞台公演をプロデュースするに至った経緯を「デザイナーの仕事って、消費者まで届いたときに、その人がどんな表情をするのか見ることができない」「だからライブで消費者と向き合う仕事がしてみたかった」って説明していますし、そう考えていました。
だから一旦、自分がデザイナーだって思ってなかった時期があるんですよ。
「舞台の仕事と並行して、デザイン仕事受注しよう」なんて思ってなかったんですから。

でも、長い人生の中で、すごく大切な期間だったと思います。そのときは「会社員時代のコネで食いつなげば」「舞台やりながらデザインの仕事やれば」もっと生活は楽だったろうし、お金にも余裕あったろうし、などと考えていましたが、今になって考えれば、あれはあれで良かったんだと思えるようになっています。
借金作りましたし、デザイン業務の勘はニブりましたけどね。

「塞翁が馬システム」ですよね。

ここで一旦リセットできたおかげで印刷物のデザインに見切りをつけ、Webデザインを開始するキッカケにもなるんですから。
会社員時代の人脈は切れましたけど、上手いこと人間関係の断捨離ができたと思ってます。

金なくてキツくて就職活動しようとしたり

わかってたことではありましたけど、結局、借金もできちゃったし、コネも失った状態で本業のデザイナーに戻るしかないんですよね。
ご飯に塩かけて食べたり、小麦粉でうどん作りにチャレンジしたりしたことはありましたし、カードローンやら自分や共同出資者の親からの借金などなど、金銭的には追い込まれてましたね。
年間の売上が200万円くらいのときに、700万円の借金があったのかな? で、自宅兼事務所の家賃が、共益費込みで14万円。全然ダメですよね。
当時は「仕事もらえるルートだけでも確保しといたらな」と後悔しきりでしたね。
法人解散して、ワンルームの木造アパートに引っ越して、就職活動しようと本気で思ってました。転職雑誌「B-ing」とか買ってたし。

村の掲示板(ググったら、今でもあった! たぶんこれだよね)ってサイトで、デザイナー募集してるところに片っ端からメール送ってました。
自分の事業ための営業活動半分、転職用のポートフォリオ作り半分、って感じだったかな? 転職しようにも舞台制作してた2年間のブランクあるし、「意識」をこじらせてたから、前の会社の制作物を確保してなかったし…。

印刷物メインで応募してたんですが、反応があったのはWebが圧倒的でしたね。最初にありついた仕事が、1本3,000円の広告バナーの制作。
ここから段階的に、しかし急速に「食える」状況になっていきます。

運が良かったんだと思います

もし、会社員時代のコネが残ってて印刷物の仕事で食えるようになってて、Webの技術を獲得できなかったら…。
ときどき、そう思います。

一方「あの人から仕事もらえるはずだった」「あの会社と連携できるはずだった」という他者に依存した経営にしなくてホントに良かった、とも思います。
とにかく、自分で制御できる要素だけを頼りに、手元にある札だけで、どうにかこうにかやり切ったのが良かったのかな? と。

これも「運」ですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。