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おっさんの問題提起と解決策

2019.01.19

最終更新日:2019年03月07日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

おっさんになると問題が増えるのですよ。自分に対して問題提起をしてみつつ「解決策」を模索してみたりもするのですが、結局「若返れ」みたいなことしか思い浮かばないっていうね…。それでも、ずっと問題に向き合い続けることが大切だと思うのです。

問題提起をし続ける

僕は現在50代の半ば、おっさん真っ只中なのです。職業はフリーランスのWebデザイナーです。
2018年に新規受注を停止して、仕事量を減らしセミリタイア生活を始め、東京と山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活をしています。

おっさん(おばさんもそうでしょうが)になりますと、目が衰えてきたり、長時間労働がキツくなったり、気力も萎えてくるし、新しい技術の習得も億劫になる…。
加齢によって、様々な問題が起こってくるのですよ。

自分自身の中で、物事がうまく進まないものだから、周囲に対しても不満を持つようになりますので、自分の意志に反して常にイライラしちゃうんですよね。

そのために「ちょっとフィールドから離れるか、おっさんがいると良くないしな」と選択したのが「セミリタイア」と「二拠点生活」だったりするのです。
まだ半年が経過したくらいですから、上手い解決策になっているかどうかは、わかりません。
仕事が激減したことと、対面ミーティングへの出席から解放されたことは、自分を良い状態に導いてくれてると思いますが、収入が激減してことに一抹の不安感は拭えません。

自分で自分に対して問題提起をしてみることって大切だと思います。

「60歳にもなって、デザイナー続けられないだろ? どうする」と考え始めてから「とりあえず、セミリタイアっていう体(てい)で、距離を置きつつ休んでみるか」と行動を変えるに至るまでに、3年程度の期間を要しました。

途中で「間にディレクターを挟んで、自分はいっさい打ち合わせに行かない、完全リモートワーク体制を作る」という工程を設けましたから、その分時間を要したのですけれど。

自分では「ちょっと問題に気づくのが遅かったかな?」と思っています。
もっと早く準備体制に入っていれば、生活のローコスト化や、金融資産の購入、とにかく稼ぎまくる期間の設定などなど「パワーあるときにできたことが、まだまだあったな」という後悔はあります。

問題提起と解決策をセットにする必要はないのですよ。
問題を認識しつづけることが肝要だと思っています。
こうしてブログ記事を書いている今を、60代半ばの僕が振り返って「あのとき、ふんわり気づいてたはずなんだけどな、なんでちゃんと問題認識できなかったかな」と後悔することもたくさん孕んでるのだろうとは思いますが、ちょっとでも減らしたいですよね。

問題提起と解決策をセットにする必要ないよ

おっさんが向き合う問題なんて、なかなか解決策なんてないんですよ。
「問題」と認識したものが、よくよく考えてみると「それって『後悔』じゃん」みたいなものも多いですからね。

それでも問題提起をし続けると、時間はかかるかもしれないけど「解決策」のある問題と出会うこともあって、おっさんと言えども、少しは前に進めることができたりもするのです。
「考え続けるのって、大切だね」というこのなのですが「解決策のない問題なんて考えても意味ないじゃん」となってしまうと、考えることすらしなくなってしまいますからね、それでは楽しくない気がするのですよ。

そもそもおっさんなのですから、簡単に解決策がみつかる問題であれば、なんとなく問題とも認識せずに処理(解決)しちゃってたりするんですよね。
逆に「問題だな」と認識するものは、おおきくて複雑な、そうそう簡単に解決できるものではない問題であることが多いように思うのです。
それを「こんなの解決策なんてある訳ないじゃん」と見送ってしまったら、そのまま解決の緒(いとぐち)が見えないままで終わってしまうのですよ。

前述のとおり、問題を認識してしばらく経ってから、解決策っぽいことを思いつき、行動に移すこともあるのですから。

「おっさんになっても、行動すべき」だと思うし「おっさんだからこそ、行動すべき」だとも思うのです。

「何もしないことが正解」なんて、一生ないと思うんです

自分自身で問題を認識しても「解決策がみつからないんなら、これ以上考えても仕方ないじゃん」と、そこで止まるのも良くないと思うのですよ。
現実的には、認識はしたけれども解決策の発見に至らなくてわすれちゃった問題なんて、いっぱいあるようにも思いますが、ちょっとでも残したいですよね。

おっさんは記憶力も気力も衰えていますので、解決策のない問題ばかり思いついちゃうと、だんだんと問題提起すること事態が億劫になっちゃうんですよね。

「何も考えないのが一番」だと。
これが「老後」っていう状態なんでしょうかね?

これを避けるために、もがいていたいのですよ。
ずっと何かを考え続けて、考えたことを行動に移しつづけたいのですよ。

ただ、この「問題提起し続ける」クセは、周囲にも向かうのですよ。「批判」ということになるのでしょうね。
そして、その中には意見の主張に見せかけた、言いっぱなしの悪口も含まれてしまうのですよね。

たぶんこの辺りってバランスの問題で、ある一定量は「解決方法を求めて、行動するぞ」というところに目的を置いた物言いをしないと「悪口ばっか言ってくるおっさん、はい老害」ってことになるのだろうと思うのです。

おっさん(おばさんでもいいのですが)になると「まだまで自分の人生、先が長いぞ」ということに気づくのですよ。
身体は傷んでるし、やる気もそれほどないのですが「考えて行動すると楽しいよ」という記憶だけはどんどん増えていってるのです。

たぶん、ずっと「次は何しよう」と考えながら生きていくんだと思うんですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。