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人間関係の断捨離はネットがサポートしてくれる

2019.02.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「気の合わないヤツ」「不快なヤツ」に機会とパワーを奪われるのって、すごくバカらしいことなのですが、この数年で、嫌なヤツと会わないことを判断する、そのように振る舞うことが容易になったように感じるのです。これってネットのおかげですよね。

「リセット癖」ってあるのかも

昔っから、ひとりの時間を作るのが好きな質(たち)ではあったのですよ。それでも、集団の中にいる自分を心地よく感じることもあったし、よく笑うし、よく話しますので、たぶん「楽しい人」カテゴリに入れてもらえることが多かったように思っています。
(参考:孤独を楽しむことで、人は成長するよ

それが、ここ数年で異常なまでに「こいつ不快、排除」「一緒にいてもつまんない、無視」「ウザ絡みキモっ、逃亡」って判断することが増えてき始めてるんですよね。

なんとなく、僕自身がつまんない人間になっていってる感じは、認識しているのですよ。

  • 新しいことに対する反応がニブくなってる
  • 物事に対して熱狂しない、しても継続できない

ん〜。他にもいっぱいある気がするけど…。
だから、人と会ってもつまんないし、楽しいはずの場所にいても楽しく振る舞えないんだろうとは感じています。
こういうことって、まずは自分に原因があるもんですからね。それだけに、どうにもならなくてイライラするのですが…。

なんとなく「自分がオッサンになったからだな、加齢のせいだろう」とは解釈しているのですが、それがすんなりと腑に落ちているわけではないのですよ。
というのも、僕が四半世紀前にフリーランスになろうと準備をはじめたときにも、この感じがあったのですよ。

そのときには、新しいことにすばやく反応してたはずだし、もっと熱は高かったはずなのですが、今と同様に「気の合わない人と会いたくない」「居場所を変えたい」って思ってましたからね。
もしかすると「リセット癖」みたいなのがあるのかもしれませんね。

ちなみに「『リセット癖』なんて言葉あるの?」と思ってググったら、結構ありました。
各記事をじっくり読み込んだワケではありませんが、おおむねネガティブなこととして論じられてますね。
「直す」「悪癖」「悩む」などの言葉と一緒に出てきますから。

僕はそんなにネガティブに考えていないのですよ。「クリーニング」みたいなイメージを持っています。
その辺のことは「「人間関係の断捨離」タグを付けられた記事の一覧」にて書き続けています。

他人と距離を取ることに躊躇しなくなったのは、ネットのおかげ

年々「ストレス感じるヤツ、つまんないヤツは無視がベストだな」と思うことが増え、それを実行するハードルが下がってるような気がするのですよ。
これって、ネットの存在が大きいんじゃないでしょうかね?

書籍やネットメディア、ブログ、SNS等々で「気に入らないヤツとは付き合う必要ない」という言説をとても多く目にするようになりました。
たぶん、みんな同じようなことを思ってたんでしょうね、その気持をみんなが競って言語化しているのが、ここ数年の現象のように感じます。

僕も大賛成なので、そういう記事を読みながら「それだよ、そういうことよ」って溜飲を下げていますし、「オレの感情、決して間違ってないよな」と納得することもできるのですよ。
そして、自分でもこうしてブログに書く、と。

かつ「気に入らないヤツ」に使わなくて済んだ時間を埋める手段として、ネット上にテキストコンテンツも動画コンテンツも読みきれない観きれないほどありますので、そちらに時間を費やしたほうが有益で快適なんですよね。

「人は人から学ぶことが大切」とか「人の息遣いから得るものがある」「やはり最後はフェイス・トゥー・フェイス」みたいな物言いは、僕が子供の頃からありますが、結局「相手による」「ケース・バイ・ケース」といったところなんだろうと思います。

現実に会って迫力に気圧される人、いわゆるオーラを感じる人というのは、本当にいるので「実際に会ってみないと…」を否定するものではないのですよ。
でも、その対極に「こいつと会うよりも、ひとりでボーッとしてたほうが有益だよ」って人も居るのですよ。
前者と後者の間にグレーゾーンがあるのですが、ネットによって「こいつと会うよりも有益」な領域が桁違いに拡大したと思っているのです。

諦めのスピードが早まった

自分の中で「気に入らないヤツと時間を共有すべきじゃない、もっと有益なことは山ほどある」という、評価基準が自分の中に作られていますから「あ、こいつダメだ」と判断するスピードが早まってるのですよ。

以前は「最初はイヤでも、だんだん慣れて付き合いやすくなる人もいる」とか「自分がイヤだと思うと、チームにも影響が」とか考えていたので、一定期間はコミュニケーションを試みていたのですが「この人話通じないな」とか「なんか不快だな」と感じたら、即座に感情を閉ざしたほうがラクだということが分かっちゃったんですよね。

「あ、こいつでダメだ」って諦めるスピードが飛躍的に早まったように感じています。

たぶん、ネット上の情報によって「人とはそういうもんだ。オレの決断、間違ってない」と確信しやすくなってることと無縁ではないように思うのです。

仕事や家族周辺のどうしても関係を切れない人であれば、一切の感情を閉ざして「モノ」や「動物」として接すればいいし、プライベートで出会った人であれば、即座にその場を立ち去るべきなのですよね。

その方がストレスを感じずに済むので快適なのです。

こういうのって、良い悪いで判断しちゃダメだと思うのですよ。人間なのですから、どうしても「気が合わない」「視界にいるのが不快」な人っているに決まってるのですよね。
ムリに仲良くなんかする必要なくて、機会もパワーも「気が合う人」「楽しい人」のために空けるべきだと思うのです。
一緒にいるためにムリをする分マイナスなのであれば、一緒にいずにゼロを選ぶべきだと思うのです。

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