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「最初から分かってた」なワケないじゃん

2019.04.05

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「オレは最初からわかってた」みたいな言い方をしたがりますよね。その向こうにあったはずの「不安いっぱい、目をつむって飛んでみた」をないがしろにしがちです。50代になった今「とりあえずやってみる」の効能を再認識しているところなのです。

成功体験を肥大化させたほうが心地いいんでしょうね

話を盛りますよね。おしなべて、オッサンの思い出話なんて、その最たるもんじゃないでしょうかね。
僕はこうして、毎日いろんなことを考えながらブログ記事を書いているのですが、そういう傾向を感じています。

他人を目の前にして、反応に酔いながら話を作ってるワケではありませんので、大袈裟な飾り付けをすることはありませんが、自分ひとりでPCに向かっていると、どうしても自己正当化をするための文章を作っちゃうんですよね。
どこかしらで「自分は正しい選択をしてきた(=これからもそうできるに違いない)」と思い込みたいんでしょうね。

たとえば、半年以上前に書いた「Webはチャチくてダサかった」。
なんとなく「始まったばかりのWebというものに、オレは可能性を感じたぜ」的なアピールを感じますよね。
「オレは最初から分かってた」と、自分でも思い込みたいのですよ。

「可能性を感じていた」は、正しいのですが、もっともっと不安いっぱいでしたし、「たくさんの『可能性を感じたもの』の中の、ようやく当たったもの」に過ぎないのですよ。別にピンポイントで狙いを定めて的中させたワケじゃありません。

これが他人のいる席、とくに飲み会だと話を大きくしがちですよね。
喜怒哀楽、全方向に話を膨らませちゃいますよね、聞いてくれる人の反応が大きいほうが嬉しいですからね。
翌日、酔いが冷めて自己嫌悪に陥ったりするんですけどね…。
未だに何年も前の「話を盛ってる自分の姿」を思い出して「フゥワァァァ…!」ってなることだってありますね。

ずっと、自分が考えたこと、やったことを補正するチャンスを欲しがってるんでしょうね。みなさん、そうなんじゃありませんかね?
ときどき、自分が対して重要な役割を果たしてない案件を指して「あれやったのオレです」みたいなことを言う人、いるじゃないですか。そういう人って、そのときのことを知ってる人がいる場所でも、言っちゃうんですよね。

あれって、たぶんウソついてるんじゃないと思うのですよ。自分の頭の中で、ものすごく都合よく補正されてるんじゃないでしょうかね?

「あれ、オレがやった」も「最初から分かってた」も、ストーリーを歪めてもいいから成功体験を肥大化させたいのでしょうね。その方が心地いいのですよ。
同時に、失敗体験を矮小化、場合によっては忘れ去って「なかったこと」にしがちですよね。

不安いっぱいでビビってたことがなかったことに

僕、今50代半ばなのですが、昔を思い起こすと「最初から分かってた」なワケないんですよ。
不安の中で、分からないことをいっぱいやってみて、その中のほとんどが上手く行ってなくて、たまたま上手く行った少数の事案を指して「オレはわかってた。狙ってた」って言ってるだけなんですよね。

決してウソじゃないんですよ。
何かを始めるときって「狙ってた、分かってた」と「不安いっぱい、目をつむって飛んでみた」が同居してるんですよね。
結果、上手く行けば「狙ってた、分かってた」だけを語るし、失敗すれば行為自体をなかったコトにする、と。

オッサンになると自己検証する機会が増えてくるのですよ。
「結局、今まで歩いてきた道の延長線上にしか自分の人生はないもんな…」みたいなことを思い始めますからね。
(参考:自己検証してたら、昔の「やりたい」が見つかった

年を取ると思い出話が増えてくるのって「オッサン・オバサンは、過去の自分のことをよく考えるようになってる」からなんでしょうね。
自分が、そうなってる感じしますもん。だから群れから離れたがってるんでしょうけどね…。

最初っから上手くいくわけない

「トライアルの回数、少なかったな」と反省と後悔をしています。
前述の「不安いっぱい、目をつむって飛んでみた」をないがしろにしすぎてたんですよね。上手く行ったら「オレは分かってた」と思っていたし、失敗したら忘れてしまうことなので、ちゃんと自己検証の材料としてこなかったのです。

最初っから上手くいくわけないに決まってるのですよ。
まずは飛んでみる。違和感あったら飛び方を変えてみる。しっくりくる飛び方をくり返してみる。を経て「飛んでるわけじゃない、フツーにやってるだけ」になるのです。
まずは一番最初の「目をつむって飛んでみる」ありきなんですよね。

思い出をたどっていくと、準備に時間を使いすぎでタイミングを逸しちゃったり、飽きちゃったりしたものがいっぱいあるのですよ、「飛ばなかったもの」ってことになりますね。
そのうちのいくつかは、これから再びチャレンジしてみようと思ってます。

上手くできてものになった、もしくは、上手くいかなくて納得済みでやめたものって、準備もそこそこに「とりあえずやってみた」ってことの方が多かったように感じます。
大きな括りでいうと、例えば、僕の生活を支えてくれている「デザイン」が、まさにそうですからね…。

もっと自分の中で「最初っから上手く行くわけないじゃん」を気楽に考えられればよかったな、と思うのですよ。
なんとなくのイメージで言うと「求められる及第点の60%くらいレベル」で「オレこれできます」ってアウトプットをはじめちゃう感じ。

今、50代の僕が「40歳のオレ、なんで飛ばなかったんだろ?」と後悔しているので、たぶん60代になった僕も「50歳のオレ…」って思うはずなのですよ。
そうなるの嫌だから、なんかしら飛んでみるしかありませんよね。

60代の僕が語ることになる「50代のとき、オレわかってたんだよ」を仕込んでる最中です。何も分かっちゃいませんけどね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。