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不景気なときの独立、悪くないかも

2019.04.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

後付けの理屈なんですけどね。「オレが独立したとき不景気だった。これが良かったのかな」などと思うのですよ。浮き沈みはずっとありますから、必ず不景気はやってくるのです。何があっても「起業時と比べたら屁みないなもん」と思えちゃうのです。

平成9年(1997年)にフリーランスになりました

あと少しで「令和」時代がやってきます。残り少なくなってきた「平成」でありますが、「平成不況」ってご存知でしょうかね?

僕がフリーランスになったのは、平成9年(1997年)です。
なんだか暗いニュースの多いときでした。有名なのは「山一證券の経営破たん」ですね、僕が会社を辞め、しばらくユルんだり、グズグズと営業活動したりしながら「やっぱ、法人登記するかな、なんて名前にしよう」などと思い手続きをしている真っ最中のことでしたから、よく覚えています。

このころ、ちょうど「平成不況」の真っ只中だったのです。

平成不況:
平成不況(へいせいふきょう)とは、日本においてバブル崩壊後に訪れた不況のことである。
内閣府景気基準日付では、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの32か月間(第11循環後退期)、1997年(平成9年)6月から1999年(平成11年)1月までの20か月間(第12循環後退期)、および2000年(平成12年)12月から2002年(平成14年)1月までの14か月間(第13循環後退期)が景気後退期とされており、それぞれ「第1次平成不況」(バブル崩壊)、「第2次平成不況」(アジア金融危機)、「第3次平成不況」(ITバブル崩壊)などと呼ばれる。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/平成不況(2019年4月23日現在)

「不況時を狙って、フリーランスになる」などという戦略をとったわけではないのですよ。
当時は、自分のことで一生懸命。景気のことなど考える余裕はありませんでした。

見聞きするニュースの内容から、なんとなく「不景気だな」という印象は持っていたのですが、自分ごととして捉えていなかったのですね。
とにかく「人生の転換期だ」「さあ、フリーランスだ」みたいな感じでしたから。

何歳になってもコンプレックスを克服できない」で書いたように、これまでやってきたデザイナー業から離れた、舞台公演のプロデュースを最初の仕事に選んだのも、不景気感を把握できない理由のひとつでした。

景気が悪いのか、自分の能力が足らないのか判断できませんからね…。
その後、借金を負って「しかたない、デザイナーに戻るか…」「ダメだ、仕事ない」「ちょっとWebに集中してみよう」という順でWebデザイナーになり、ようやくメシを食えるようになるのですが、独立後の2〜3年は、ホントに苦しかったですね。

好況不況は繰り返します

ようやくメシを食えるようになったタイミングって、俗にいう「ITバブル」の時代だったんですね。
「ホームページ制作会社」みたいなのも、いっぱいできてて、いろんなところで外注先の募集をしていたのですよ。

僕は、それに救われたような感じでした。

フリーランスなので当然なのですが、それからも、大なり小なり「波」はやってくるのですよ。
でも少々の不景気だったり、経営状態の悪化くらい「起業時の苦悩に比べたら、屁みたいなもん」なのですよ。

結果論ではありますが「不景気なときにフリーランスになって、よかった」と思っています。

たとえば、僕がフリーランスになったタイミングが、世の中好景気でいくらでも仕事があって、開業早々ロケットスタートできたとしましょう。
おそらく僕は、自分の判断が正しかったことに満足するでしょうし、自分の才能に揺らぎない自信を持つことができたかもしれません。

それでも、いつかは不景気はやってくるのですよ。
僕がフリーランスに向いていなかった場合、ここで潰れてしまうことになったでしょう。

幸運なことに、僕は開業時点が不景気の真っ只中。でも、なんとかそれを乗り切ることができましたが、その間、何度か「やはりサラリーマンに戻る選択肢も持たないとな」「今なら、まだやり直せるかも」と考えました。
まだ、30代半ばでしたからね。

これが、40歳に差し掛かるころに「不景気を乗り越えられない」「ダメだ、潰れる」「どこか雇ってくれないかな」と思い始めたとしても、かなりハードルは上がりますよね。
そもそも世間は不景気。自分は40歳。なのですから。

結局「塞翁が馬」なのです

つくづく「人間万事塞翁が馬」だと感じるのですよ。

人間万事塞翁が馬:
【読み】
にんげんばんじさいおうがうま
【意味】
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
出典:人間万事塞翁が馬 – 故事ことわざ辞典(2019年4月23日現在)

みんな盛んに「未来だ」「ビジョンだ」「展望だ」などと言います。
僕も、このブログ内で「フリーランスの老後」について、あれやこれやと考えていることを記録し続けていますが、これも未来のビジョンの解像度を上げてい期待からなのですよ。
(参考:「フリーランスの老後」をプロジェクト化

でもこれ実は、過去の評価を変えたいからなんですよね。
「自分の選択は間違っていなかった」「あのときの失敗が、この成功に繋がってる」と思いたいのですよ。

僕はずっと「働き方」について考えているつもりでいるようでいて、実は「生き方」を考えているのです。

このブログを書きはじめたとき「あまり、オッサンの思い出話は書かないようにしよう」と思っていました。
でも「今を生きていること」「未来を見ていること」を考えようとすると、どうしても過去と向き合わざるを得ないのですよ。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。