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「行き当たりばったり」は、思考停止じゃない

2019.04.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

このブログでは、過去の思い出になんだかんだと理屈を付けていますが、ずっと「行き当たりばったり」だったし「とりあえずやってみた」ことが多かったのですよ。ユルめに物事を進めたほうがいい結果につながるような気がしているのです。

今「行き当たりばったり」で、なんとなく行動してる最中です

僕は現在、セミリタイア中なのですよ。「セミ」なので、少し労働していますが、おおむね暇ではあります。
フリーランスのWebデザイナーなのですが「ここいらで、働き方を変えてみよう」と、デザイナー業から足を洗うつもりなのです。
とはいえ「じゃあこれで」と去るわけにもいかず、新規案件の受注を停止し、すでに受け持ってる案件についてはサイトクローズまで、お付き合いしている状態なのです。

僕のメインクライアントは、マンションデベロッパーなのです。僕が受注している案件は、新築マンションのプロモーションサイトなので、完売すれば、サイトクローズするものなのです。
企業やサービスのサイトと違って、最初から「完売まで」と、寿命が決まってるのですよ。
なので、今年中には無職になれるはずなのです。

無職になったらば、少なくとも1年間以上、その状態を維持しようと思っています。
長期休暇を取るつもりなのですよ。

ただその間、ずっとインプットはし続けるし、考え続けるし、業務ではないことに関して、どんどん手を動かして行こうと思っているのです。

そして、その後はクライアントワークには戻らずに、自己完結する仕事をしようと思っているのです。
このブログを解説して間もない頃に「自己完結型(スタンドアローン)の仕事を模索しよう」という記事を書いているので、この1年間くらいずっと考え続けてることなのですね。

結局、何するの?

この先、何をするのか? 何になるのか? ちゃんと決まっていないのですよ。
このブログ内でも「楽しいこと」「好きなこと」みたいな表現で留めていることが多いですね。
なんとなく「こんな感じかな?」とイメージできたときには、タイトルに[思いついてることを記録する]と付けた記事を記録しようと思い立ち、「古民家再生をDIYでやりたい[思いついてることを記録する]」という記事を書いてみたりしたのですが、それっきりになっちゃってますね。

30年以上前、社会に出るときと同じ感覚なのです。
もともと僕は「バレーボールの強いチームに入りたいな」と、いう動機で進学を決め、体育学部のある大学に通っていたのですが、企業チームから声がかかるほどの名選手でもなく、漠然と「教員になって、自分のチームを持ちたいな」くらいの気持ちでいました。
さほど準備もせずに受験し、落ちるべくして落ちた教員採用試験。翌年の合格に再起を掛けるような気持ちにもならず「どこかテキトーに雇ってくれる会社に入りたいな」と。

そのときには、その時なりの熱を持った理屈もあって「10年後に自分の会社を作りたい。だから、できるだけ小さな会社に入りたい」みたいなことも言ってたのですよ。

今でもそうなのですが「行き当たりばったりでいいや」という、ちょっと世間を舐めたような考え方と、「目的をもって」「こういう行動を」みたいな前向きな考え方って常に併存しているものなのですよ。

この20年以上、フリーランスのデザイナーとしてメシを食ってきたのですが「そうだ、デザイナーになろう」って思ったのって、会社に入って2・3年経過してからですからね。
そこから、自分で勉強し始めたり「僕できます」って言って、会社のパンフとか商品パッケージとかを作る仕事に回してもらったのが、はじまりなのですよ。

フリーランスになったときもそうでした。
最初の2年間は、デザイナー業をせずに舞台のプロデュースをしてたのですよ。
結局、上手にできずにデザイナーに戻るのですが、そこでもグラフィックデザインの仕事が見つからず「Webがよさそうだな、これやろう」という感じで、Webデザイナーということになってしまったのです。

今もそうなのです。
明確に「これになる」って決めてないのですよ。

「(行き当たりばったりで)とりあえずやってみる」くらいが向いているようです

「行き当たりばったりでいい」とか「なるようにしかならない」みたいな言葉、嫌いなのですよ。
「ちゃんと考えなきゃダメだ、それって思考停止じゃん」と思うのです。

自分の中に「考えた通りになんてなるわけないじゃん。行き当たりばったりでいいから、やっちゃった方がいいんだよ」という考えが、いつもあるから、そのいい加減さを否定したいんでしょうね。
だから、このブログ内でも記録しているように、あ〜でもないこ〜でもないと考え続けてるのですよ。

「行き当たりばったりでいいや」と思いつつも、なんだかんだと考え続けた結果、目についたものに関心をしてしてたら、だんだんと「これやりたい」が段々と分かってくるもんなんですよ。

で、結局「やってみなきゃわかんないよな」「なんか、できるような気がする」というところに落ち着くんですよね。

だいたいの場合、行動する時点で、強い目的意識をもっているわけではないのです。
反対に、だからこそ「あ、こっちの仕事も面白そうかな」「こんどはこんなのやってみたいな」と、簡単に次の行動に移りやすいという効能もあるように思っています。

僕は今「デザイナー辞める」ということにしていますが、何年か後に「やっぱり、またやる」ということになっている可能性もあるのです。

これまでずっとやってきたように、とりあえず今は、自分が考えてることに従って、目の前のことをコツコツとやり続けてみようと思っているのです。

過去に投稿した『「最初から分かってた」なワケないじゃん』という記事で、

上手くできてものになった、もしくは、上手くいかなくて納得済みでやめたものって、準備もそこそこに「とりあえずやってみた」ってことの方が多かったように感じます。
大きな括りでいうと、例えば、僕の生活を支えてくれている「デザイン」が、まさにそうですからね…。
(中略)
なんとなくのイメージで言うと「求められる及第点の60%くらいレベル」で「オレこれできます」ってアウトプットをはじめちゃう感じ。

と書いているように「(行き当たりばったりで)とりあえずやってみる」くらいのユルい感じで、いろんなものに取り組んだほうが、いい結果が得られそうなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。