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そろそろ撤退戦が終わる。無職になる

2019.09.21

最終更新日:2019年09月26日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

このブログで書き続けているように、僕は無職になります。30年間メシを食ってきたデザイナー生活を終えようとしているのです。1年ちょっと前から新規案件の受注を停止し、運用案件だけをやってるのですが、その撤退戦もそろそろ終わりそうなのです。

最後に残っていた案件の担当者から「サイトクローズの準備願います」という指示がきました。

僕のメインクライアントはマンションデベロッパーです。新築マンションを販売するときに、見込み客に情報を提供する「物件サイト」を制作して運用するのが僕の仕事です。
したがって、そのマンションが完売すると同時に、そのサイトは閉鎖するのです。

この仕事は、僕に合っていました。
終わり方がわかっているからなのです。なんとなくの「案件の寿命」を読めるのです。

僕たちWebデザイナーが携わるホームページの制作・運営という仕事。案件によってはクライアントの都合ですぐにクローズしてしまったり、反対に時代遅れになってしまったものを延々と更新し続ける場合もあります。

マンションの物件サイト、ものによっては一棟まるまる売却することが決まり、制作途中でクローズすることになった案件も、不人気で延々と何年間も小手先のリニューアル作業に終始してしまった案件もないわけではありませんが、概ね「先が読める」感じを僕は気に入っていたのです。

10年後も、これやってるのか?

冒頭で「最後に残っていた案件」と書きました。
このブログのいろんなところで触れているように、僕は今セミリタイア生活をはじめているのです。
1年以上前に「これにて、新規案件の受注は停止します」と仕事仲間に伝え、手元にあった案件の運用作業のみを続けることとし、案件がクローズするごとに無職に近づいていくようにして、少しずつセミリタイアを進めてきたのです。

僕はフリーランスですから「退社します。あとは後任が担当します」というわけにはいかないのですよ。
制作会社とコミュニケーションを取れば、不可能ではなかったのでしょうが、「立つ鳥」である僕は、最後まで自分でクローズさせたかったのです。まあ、矜持みたいなものですかね。

20数年間もメシを食ってきた「フリーランスのWebデザイナー」という職業からの、いわば撤退戦です。
クライアントや中間業者から、戦力外にされるわけではなく、僕自身の半ば「ワガママ」で群れを離れるのですから、少しは美しくありたいですよね…。

僕が「いったん無職になってセミリタイア生活を始めよう」という結論に至った理由は、ずっとこのブログであらゆる角度から考え続けているし、また、考え方も少しずつ変わっていっているように、ひとことで言えることではないのですよ。

おそらく、これからもずっと向き合い続けるのだろうと思います。

ようやく撤退戦が終わろうとしている今、まず感じたのは「10年後も、これやってるのか?」という自問自答から解放されることに対する、喜びと寂しさです。

20数年前フリーランスになって、数年仕事がなくて苦しんで、ようやくWebデザインの仕事にありついて、食えるようになり、借金も返し、「マンション買うぞ」と頭金を握りしめたたときは「20年後も、30年後も、この仕事にしがみついていたい」と思ってたんですけどね。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

途中で「オレは、やりたいと思ったことができる人間なんだ」と思い始めちゃったんでしょうかね。
いつからか「これ、10年後にもやっていたいことか?」という気持ちが芽生えてきたのですよ。

オレは経験を積み重ねているか?

仕事が「順調に行ってる」「安定して受注できてる」ときって、パターンにハマってるときなんですよね。
言い方をかえれば、同じことを繰り返してるときなのですよ。

当然、技術の進歩や流行り廃りがあいますから、それなりの対応ができないと、10年も20年も仕事をもらい続けることはできません。
クライアント側の発注者も世代がどんどん変わっていきますからね、それに耐えられないのですよ。

50代半ばのオッサンに、よく指名発注してくれたと感謝しています。
本当にありがたいことだし、僕は運が良かったのです。

ただ、僕のほうが先に折れてしまいました。
前項の「10年後も、これやってるのか?」に耐えられなくなってしまったのですよ。

焼きが回ったのです。

  • 「現状維持は後退だよ」
  • 「同じことを繰り返すことを経験とは言わないよ」

みたいなこと、僕がずっと他人に向かってエラソーにいい続けていたことなのですが、何よりも自分自身がそこにハマり込んでるような気になってしまったのですよ。

そうなった以上、撤退するしかありませんよね。
もう一度、ゼロ地点に戻ることに決めたのです。

もう一度、健康を見直すことにします

おそらく、加齢と無縁ではありません。
「死なない程度のお金と、健康があれば、それでいいか」という気持ちになってくるものなのですよ。

半分は「怠け心」だったり、「人生、折り返してるんだから」と捨鉢な気持ちだったりも混ざってきてるのですが、もう半分は「健康」の価値が急上昇してきてるのですよ。
先日も「健康は大切。人生の選択肢に影響しますよ」という記事を投稿しましたが、「健康さえあれば、残りの人生でもうワンゲーム、何かできるぞ」という気になっているのです。

もう50代半ばですから、残された時間が無限ではないことも理解しています。
だから、できる限り自分に裁量権を取り戻したかったのですよ。

このブログ内で何度も書いていますが、30代40代くらいの頃から「健康」と「時間の余白」を意識していれば、もう少し違った人生だったろうと思いますが、気付いたのが50代の今なのだから仕方ありませんよね。

70代になって「50代60代くらいの頃から…」と後悔しないように、今始めようと思うのです。
そのためのセミリタイアなのです。

使い古された言葉ではありますが「健康第一」なのですよ。
健康は、一度失うと回復にコストがかかりますからね。

以前投稿した『「50代無職」のススメ』でも書いたように、「人生100年時代」ということになってるので、ここいらで一旦大きめの休息を取るのも「健康のため」なのです。

撤退戦が終われば「ほぼ無職」になります。「ほぼ」です。
セミリタイアの「セミ」にも満たないような、小さな作業が残りそうなのですよ。
僕としては「完全なる無職になりたいな」と思いつつも、ほんとの「ちょっと」の仕事なので、他人に依頼するのが気が引けるような作業なのですよ。

「ちょっと」と言っても「イレギュラーにやってくる『ちょっと』」とか、「全然『ちょっと』じゃないじゃん、メッチャ拘束してくるじゃん」みたいなのは嫌ですよね。
でも、あらかじめスケジュールが立っているし、作業範囲も確定している「ちょっと」が残るのです。

悩んだ結果、無職になってもサーバー代、Adobe CC代とか、機材購入代とかもかかりますから「このくらいは、残しとくか」と考えているところです。

昨日「曜日感覚を失ってからが、本当のセミリタイア生活……なのかもしれない」という記事を投稿したばかりなのですが、仕事としての曜日感覚が、もうしばらく残りそうです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。