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文字コミュニケーションの快適さ

2021.04.05

こんにちは、萩ドットライフ()です。

数日間じっくりと考え推敲を重ねたメール文よりも「了解っす」ってひと言の即レスのほうに救われることってありますよね。ときどき文字でのコミュニケーションの快適さについて考えます。内容や文章よりも重要度を増してることがあるように思うのです。

開けたら、すぐ返す

もともと、メールのレスは早いほうです。
職業人時代のクセなのです。

すぐに返してしまえば、ほんの数秒から数分で手が離れることなのに、溜め込んでしまうとタスクになってしまうので、それが煩わしかったのです。

時間が経てば経つほど返信が困難になります。

「この件は、あとで返そう」って先延ばしを決めるときに理由付けしちゃうからなんですよね。

「大切な人だから、時間のあるときにちゃんとした文章を返そう」
「この件は、ちょっと調べて、誰かに確認して…。それからだな」

なんてことを考えて先送りしちゃってるものだから「ちゃんとした文章を作る時間」「調べ物をする時間」「誰かからの確認を待つ時間」を含めた、数十分かかる仕事に膨れ上がってしまうのです。

それが何本も溜まると軽く数時間の作業になってしまいます。

だから僕は、ちょっとピントが外れてても、あやふやな事実が含まれていても「あとで訂正すりゃいいや」くらいの気持ちですぐに返すクセをつけていました。

事実「さっきのメール送ったあと気付いたのですが」みたいなメールを送ったことも何度かあります。
人によっては「ちゃんと考えてから返信してよ」って思うこともあるかもしれませんね。

公式感が、もうない

ただ、相手がクライアントだったり、付き合いの浅い仕事関係の方だったり、ちょっとした「公式感」を要するときには、もちろんそれなりのフォーマットに従います。

「○○会社〇〇様(cc 関係各位)、平素はお世話になっております」から始まって「以上、引き続きよろしくお願いいたします」みたいな感じのヤツですね。

みんなが仕事の連絡に、メールを使い始めたころからずっと「いちいちお決まりの前置き、要る?」みたいな議論がなされてきているのですが、一向になくなりませんね。

というか、みんな当たり前のように場面によって使い分けてるんですよね。

仕事の連絡であっても、気心の知れたメンバー同士だったら「了解っす。なにかあったらまた連絡します」みたいな感じでオッケーなんです。
そのほうが「この件は、これでおしまい」って感じが共有されますしね。

いつまでも「あ〜でもない、こ〜でもない」とずっと往復し続けるメール(メッセージもだけど)、苦手なのです。
(参考:メールとかメッセージに疑問文いれるヤツ。会話が終わらん

元より、友人・知人同士のやりとりはメールからLINEやメッセージに移行してますしね。
メールで来た連絡にも、メッセージっぽいスタイルで返すことが増えたような気がしています。

さらに、僕の場合は無職になって公式感を出さなきゃいけない場面が急速に減りましたからね。
「お世話になります」で始まり「よろしくお願いします」で終わるメールがなくなりました。

それでも「大変ご無沙汰しております」みたいな、ていねいな文章から始まる知人には、それなりの返しはしますけどね。
必要以上に「前置きも結びも、大っ嫌い」アピールをすることはありません。

文章よりも伝えたいこと

文章なんて、いくら推敲に推敲を重ねても、誤解や情報不足って含まれるものだと思うのですよ。

それを気にして、どんどん返事が遅れちゃったり、結局返事しまいままになっちゃうよりは、いい加減な文章で構わないから即レスしたほうがいいと思う派です。
「ちゃんと考えてから返信してよ」派の方には、ゴメンナサイ。

即レスの効能に関しては、いろんなところでいろんな方々が意見を述べられています。

僕の場合、まずは「あなたの連絡、受け取りましたよ」ということを先方に伝えることが大切だと思っています。
対話が始まったことを認識するって、安心感ありますもんね。

中には「これはちょっと、軽々に返答できないぞ」とか「やりとり次第で伝える内容が変わるなあ」みたいな場面もあります。
そういう場合には、即レスしつつ「メールじゃなんとも言えない。対話のほうがいいかもね」みたいな文を返します。

僕、いろんな人に「電話嫌い」であることを告げてるんです。
でも、必要な場面でも「絶対にダメ」なわけないのです。
(参考:電話嫌い。実は相手によるし用件による

メール文の内容についてずっと逡巡しながら、時間ばかりが経つよりも「メール見た。電話で話そっか?」って即レスしたほうが、コミュニケーションがスムーズな場合もありますもんね。

「文字をやり取りする」という行為の心地よさ

これだけ通信手段が便利になった「のに」というべきか「から」というべきか、僕たちにとって文字のコミュニケーションがどんどん重要になってきてると思っています。

このブログを開設して間もない頃にも「ライティング(書くこと)の重要度が高まってる」なんて記事を投稿してますね。

もちろん、ちゃんとしっかりした文章、上手な文章、美しい文章が重要であることは当然です。

でも、それと並行して「タイミングのいい」「リズム感のある」文字コミュニケーションの重要性が増してきているように感じるのです。

メールを送った10日後に、練り上げた美文が届くよりも、3秒後の「それ、ありっすね」のほうが、多くの大切な情報を含んでいることだってあるのです。

問いを投げかけたのに、2日も3日も返信がないと「何か気に触った?」「無視されてる?」「もしかして、見落とし?」「再送してみようか」などと、ずっとヤキモキしてしまうんですよね。
相手が、じっくりと文章を作り込むために要している時間だったとしても、です。

それよりも、ちゃんと先方に思いが届いたという情報のほうが、心の安定をもたらしてくれることって多いのですよ。

「文字をやり取りする」という行為の心地よさについてときどき考えます。

SNSやメッセージアプリがインフラ化したことにより、短文でやりとりすることが増えてきたし、メールの返答もそのスタイルに近づいているような気がします。
フォーマットが昔とは変わってしまったことを嘆くよりも、それに馴染んでいくほうが心地よく暮らせると思うのです。

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