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余白を作るために、無職になったはずだったじゃん…

2020.03.17

こんにちは、萩ドットライフ()です。

次々とやってくるドタバタに、少々自分を見失いかけています。せっかく余白を作って、しっかり休むために無職になったのですが、なかなかそうはいかないようです。まあ結局「いつかは収束する」し「なるようになる」しかないんでしょうけどね。

「何もないとこ」を大切に

僕が30年以上にわたってずっと生業にしていた、デザインという仕事では、「余白」とか「ホワイトスペース」「マージン」といった、「何もないとこ」を大切にします。

クライアントから「このアキ、無駄」などという修正指示が入ることもあります。
人は、空いてるスペースがあったら、そこに何かを詰め込みたくなるものなのですよね。

でも、その「何もないとこ」を上手に作ることによって、視線を誘導したり、情報をグループ化したり、全体の印象を整えたり、ちょっといい感じに仕立てることができるのですよ。

どうやら僕は長らく、人生の余白を上手に作ることについてはポンコツで、「このアキ、無駄」とばかりに空いてるスペースにどんどんモノを詰め込みながら生きてきてしまったのです。

このあたりのことは「フリーランスは自分自身を経営しなくてはならない」でも少し触れています。

50代になったくらいから「オレ、このままずっとデザイナーで食っていくのかな」と思いはじめて、いろんな連想ゲームを繰り返していくうちに「いったん休んで余白を作って、そんで仕切り直そう」という気持ちになって、こうして今のように、無職になって長期休暇を取るに至っているのです。

そこそこ、気分よく過ごしています。

余白をどのくらい取って、どの位置にどんなオブジェクトを置こうかとか、ここにはこんな情報を整列させてみよう、といったプランはまだまだ「考え中」なのですが、こうして生き方の中に「余白」という概念を持ち込めていることで、なんとなく面白い方向に向かっているという感触はあります。

ちょっとおかしいぞ。落ち着け

ところが、ここのところ「あれ? 少し自分を見失い始めたかな、落ち着け」と思い始めています。

何かを失っていたことに気付くときって、それを必要とするときですよね。
たとえば、宅配便のアンちゃんに「ああハンコっすね」というときになってはじめて「ここに置いといたシャチハタ無くなってるじゃん」とか、たまに自転車で出かけようと思ったときにカギがないとか。

たぶん失くしてるわけではなくて、置き場所を忘れてるだけなんでしょうが、思ってた場所にそれが見当たらないだけでアタフタしてしまいますよね。

僕が今、自分を見失ってる理由は二つあって、ひとつは「東京のマンションの売却」なのだろうと思っています。

萩市への完全移住に際して東京のマンションの運用を考えています。

かつて「フラット35で住宅ローンを組んでいれば、賃貸に出せるようです」という記事を投稿したことがあるように、ずっと賃貸運用を考えていたのですが、最近は「もう売却しちゃおう」という気持ちになっています。

その理由については「家の売買って、パワー要るよなあ(萩市の古民家購入編)」で触れていますので、ご参考に。

マンション売却などという、人生で初めての出来事に少し戸惑っているのです。
「どの業者と媒介契約するのがいいのかな」とか「思い通りの価格で売れるかな」「いろいろと事務手続きがメンドくさそうだなあ」とかで、バタバタしているのです。

現役中のとんでもないツメツメ進行と比べると、大した忙しさでもなかったりしますが、慣れてないことって、負担と不安が大きいのです。とにかく変なバテかたをするのですよ。

正直なところ「最高額じゃなくてもいいから、早く売れてくれ。終わってくれ」と思い始めています。

後になって後悔するのもイヤだから、ちょっと戒めてますけどね…。

そして、自分を見失っているもうひとつの理由が「新型コロナウイルスによる株価暴落」だろうと思います。

金融資産が大きく目減りしていますからね。

株価が上がったり下がったりすることは、当然わかっていたことなのですが、無職になって労働による収入を失って、かつ「金融資産の一部を売却して新しい家の支払いに充てよう」と思っていた矢先での暴落は少々堪えますよね。

その上「もしかしたら中古マンション価格にも影響があるかも…」「いろいろと予定狂っちゃうかもな」と、ドキドキしているのです。

金融資産頼りのセミリタイア人、みんなそうなんかも知れませんけどね…。

現役中のときみたいに、毎月報酬が振り込まれて、手元にたくさんの現金があれば「さあ買い増すぞ」という場面だったのでしょうが、その選択ができないことに対するフラストレーションもありますね。

今度からは、少し手元に現金を置いておくようにしよう…。

なんだか、ちょっと狼狽気味の自分と向き合っています。
ちゃんと「余白」をコントロールできていない感じです。

そのうち、なるようになるだろ

一方で「そのうち、すべてが丸く収まるだろう」「なるようにしかならないもんね」などとも思っています。

株価がどこまで落ちて、いつ頃からどんな速度で回復するかとか、自分の不動産が、いつ頃どのくらいで売れるかなんて、時の運だったり、やってみなきゃわからないことなのですよ。

僕はいま「しばらく休んで、その後に次の職業を考えよう。どうなるかは、やってみなきゃわからないもんね」みたいな不確定なことに取り組んでいる最中なのですよ。
そのためにセミリタイア生活を初めて、無職になって、長期休暇を取っているのです。

もともと抱えていた、想定済みの不確定要素がここに来ていくつか顔を出してきたので、ビックリしているだけなんですよね。

でも連日の報道でわかるように、世界は移動とか、活動とか、交流とか、いろんなことを止めて「余白」を作ろうとしているようにも見えます。

たぶん「何もないとこ」を作りながら世の中が整理されていくフェーズを目の当たりにしているのだろうと思います。

「もっと思い切ったレイアウト変更してみようよ」かもしれないし「やっぱ、最初のがいっちゃん良かったね」かもしれないけれども、そのうち落ち着くところに落ち着くのです。そういうもんなのです。

僕がアタフタしながら見失ってる「自分」は、きっとそのへんに「ある」はずです。
どこか出先で忘れてきているはずはないのです。

子供の頃よく「そんなの適当なとこにしまってるから、要るときに見つからないんだよっ」なんて怒られていましたね。

でもモノと違って「自分」は手にとって使うものではないので「見失ってるな」と気づいた時点で自然と出てくるものなのですよ。

それにしても、余白を作るために無職になったはずだったのに、こんなバタバタになるなんて…。

とても「楽しんじゃえばいいんだよ」なんて境地に至ることはできそうにはありませんが「そのうち、なるようになるだろ」と思える程度には「自分」を取り戻せているように感じるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。