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「勘の正当化」に時間を費やす

2019.03.12

最終更新日:2019年03月16日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「勘」で決めて、行動し始めちゃったことを正当化するために、自分に対してのプレゼンをくり返している時期なのですよ。時間さえあれば「間違ってないよな」と自己肯定してるし、その過程で「アイデアの素」が生まれてきてることにも気づいているのです。

決断はしてるし、行動しはじめちゃっってるけど

とりあえず今、自分がし始めた行動を肯定するためにヒッシです。
「結局、なんだかんだ言いながら、勘で決めちゃったもんな」と思っているので、どうにか理屈をつけて正当化したいのですよ。

朝起きてすぐに、ブログネタを考えるのですが、いっつもこれ。
「もしかして、起き抜けにネタ考えるから同じことになっちゃうのか?」と、今日は、起きてすぐに朝ランに行き、汗をかいて入浴を済ませてから、キーボードに向かったのですが、やっぱりこれ。

このブログ内でも、なんだかんだと現状を正当化しているのですが、結局気になってるのは、

  • デザイナーと言うキャリアを中断すること
  • これまで生活を支えてくれたメインクライアントから離れること
  • 東京を離れ、山口県萩市に移住すること

なのですよ。
セミリタイア」とか「二拠点生活」、または「働き方を変えたい」「新しいことにチャレンジしたい」は、決断を正当化するための要素だったり、理屈だったりするのですよね。

解決すべき問題は、大ざっぱに「資金」と「生きがい」の二つなのですよ。

資金に関しては、所有している不動産と金融資産を運用すれば「贅沢はできないけど、死にはしないよな」という程度の皮算用はできてるのですよ。

生きがいについては、以前『「作る人」で居続けよう』という記事を書いたことがあるのですが、おそらく何かを作る時間を与えられれば、まずは満足できるはずなのです。

つまり、この二つを総合すると僕は「パトロンを自作できているので、好きなもの作って遊べばいいじゃん」という状況なのですよ。
だから「デザイナーを辞め、クライアントから離れ、萩市に移住する」という決断をしたのですが、次から次へと自分で不安を探し出しちゃうんですよね。

「そのうち、いい生活したくなるって。絶対お金足りないよ」とか「世界経済が破綻したら。大震災で東京のマンション壊れちゃったら、計画崩壊じゃん」「自分で好きなものを作ってるだけじゃ、承認欲求満たされないよ」みたいなことを考えちゃうのですよ。

他人と話すときには「決断しちゃったんだもん、なるようにしかならないよ」「むしろ、清々しい気分です」くらいのことは言いますけどね。

オレ、間違ってないよな

決断に至るまでに、それほど理論的に考え抜いたワケではないのですよ。
結局「勘」なのですよね。

勘かん:
分析的な思考によらないで直観的に物事の真相をとらえる精神作用。ある盲人が通りすがりの人の足音を聞いてその人の性別,年齢,職業などを言いあてるとか,ある敏腕な刑事が些細な偶然的な出来事から何か「ピンとくる」ものを感じ取るというような場合である。このような働きはだれでもが一朝一夕にして身につけるようになるものではなく,長時日の経験の積重ねから生れるものである。黒田亮の『勘の研究』 (1933) が著名。
出典:勘(かん)とは – コトバンク(2019年3月12日現在)

何日にもわたって、こういう文章をだらだらと書き続けておきながら、こういうことを言うのはへんなのですが
僕は仕事上「論理的」であることを意識しているのですよ。
デザインの仕事って、どうしても「カッコいい〜」「キレイ!」みたいな感覚的なところで良し悪しを語られることが多いので「なぜこういうレイアウトなのか」「なぜこの配色なのか」「パーツの形状」「マージンのとり方」「フォントの色、サイズ、行間」などなど多岐に渡って、説明できる準備をしていますし、想定外の質問にも答えられるよう、変な流れに向かったときに修正えきるような引き出しもそれなりに用意できているという自負はあります。

とはいえ「勘」は重要なのですよ。

理論上正しくても「なんかイヤ」「キモい」ものを人は受け入れてくれないのですよ。
「直感」「感性」「感覚」みたいなものを他人と共有できれば、その時点でみんなの腹におちて、論理的な話がはじまらなかったりするんですよね。

これ、自分の中でも起こるのですよ。違いますね。自分の中だからこそ、起こるんですね。
自分で思いついたことなんですもん、自分が共感しないワケがない。

そのまま、理論的な検証をする間もなく、決断に至り、行動を始めたあとになって、自分自身を「論理に頼った説得」をし直しているのが今なのですよ。

動機は「自分が間違ってないことを再確認したいから」ですね。

延々と自分に対するプレゼンを

「論理に頼った説得」ってプレゼンとかセールストークみたいなもんですよね。
現状分析からはじまって「あなたは、こうなりたいんじゃありませんか?」「ならば、こういう方法(商品)があります」と。

僕は、毎朝ブログ記事を書いているようでいて、実は自分に対するプレゼンをしているようなものなのですよね。
ブログを開設するときに、いろいろググりまわって調べた中に「読者の問題解決になる記事を書こう」って、いろんなところに書いてあったんですが、僕が書いてるのは「自分自身の問題解決の経過報告」みたいなもんですね…。

「ま、こういうのが役に立ってくれる人がいれば、それでいいか」くらいの気持ちで書き進めています。

ただ、こうして自分の勘を正当化する文章ばかり考えていると、頭が整理されるのですよ。

新しいことって、ある日突然思いつくっていうよりも、ずっとまえから、ユルくボンヤリと考えてたことに、何かのきっかけでスポットライトが当たるような過程を経て、ちゃんと考えるようになって急速に解像度を上げていくようなものだと思うのですよ。

その、ユルくてボンヤリした「アイデアの素」みたいなのが、どんどん作られてきてるような気がしています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。