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他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました

2020.02.09

最終更新日:2020年07月29日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

古民家を購入することにしたのですが、改めて「中古戸建を買うということは、他人の趣味も併せて受け入れることなのだなあ」という気がしています。それを継承するべきか、ドライに処分すべきか決めかねているのですが、新しい発見ではあります。

古民家のオーナーと会ってみた

これまで「おおよそ自分の人生には縁がないものだろうな」と思っていたものが、突然手元にやってきそうなのですよ。

正確に言えば、その準備段階に入っているのです。

昨日投稿した「人生の立地条件」で述べたように、現在の僕の「やりたいことの芯」は、萩市内に生活の拠点を設けることなのです。

そのために不動産に関する情報を収集し続けてきましたし、一昨日も関心のあった物件を内覧し、昨日は現オーナーと面会し購入手続きに入るべく、残置物の処理や、既知の不具合等に関して話し合いを進め、スケジュールに関しても大枠を決めてきました。

このまま大きなトラブルがない限り、ゴールデンウィーク頃には僕が自由に使用できる状態になりそうです。
所有権移転登記等の事務手続きがすべて終わるかどうかはわかりませんけどね…。

築50年を超える古民家です。

「古民家」という用語。単なる「築古物件」の違いなんて定義などなくて、なんとなくのイメージで使い分けられているってことで構いませんよね…。

Google検索の結果が圧倒的に「古民家」の方が多いし、「築古物件」だと投資対象物件に関する記事が多いみたいなので、僕は「古民家」という表現で通すことにします。

正面に大きな丸太の梁があり、土壁作りの家なので、まあ「イメージ通りの古民家」という部分もありますしね。

その前面に、前オーナーが手塩をかけて育ててきた庭があるのですよ。
複数本の庭木、鯉のいる池、庭石…。
敷地が100坪足らずの家なので、大庭園ではありませんが、それなりに趣のあるものです。

僕にとっては「どうするんだ、これ?」という難題です。

前オーナーが亡くなった後も、相続された現オーナーが月1回くらいのペースで訪れ、別荘として使用しつつ欠かさずに手入れを続けてきておられたのです。

「ワシもオヤジと一緒で、山へ入ったり庭をイジったりするんが好きじゃからねぇ」とのことでした。

冒頭で述べたように僕にとって、庭なんて「縁のないもの」だったのですが、前オーナーが木や石を集めてきた話とか、それを現オーナーが手入れをしに通っていた話を聞いてると、なんとなく「うん、確かに庭のある生活というものはいいものだなあ」「継承するのも、悪くないかもな」なんていう気持ちになるものなのですよ。

思いがけず他人の趣味と出会うことで、すでにちょっとだけ「得るもの」は感じているし、そこからの「学び」もありそうな気になっているのです。

「庭いじり」といえば、古(いにしえ)から中高年層の趣味として一般化しているものです。やはり、それなりの裏付けはあるのでしょうね。

「自分には合わないものだから」と排除してしてしまうのも、惜しいのです。
「これは不要だ」と決め付けてしまうことが、自らの豊かな生き方を妨げてしまうような気もしているのです。

まだ時間はあるのだから

事業者でもない限り、人生において家を買う機会って限られていますよね。
僕も、17年前に東京でマンションを購入したとき以来、人生二度目です。

マンションは新築物件だったので、デベロッパーの販売担当者に誘導されるがままに、意思決定したり手続きをしていればよかったのです。

今回のように、中古物件を購入するのも、戸建てを購入するのも生まれて初めてのことなのです。

購入予定物件を、まだ現オーナーが別荘代わりに使ってるということも影響しているのかもしれませんが、中古物件を買うということは、他人の気配も一緒に買うということなんですね。

ここが「だから良いんだよ」だったり「そこが気になるんだよね」だったりするポイントになります。

現オーナーと顔合わせするまでは、作りはどうだ? 傷みは? 設備は? 周辺環境は? ばかりが気になっていました。
ところが、世間話を含めて小一時間、いろんな話題で盛り上がると、とたんに「そっか、オレはこの家のストーリーの新しい登場人物になるのか…」という気になっています。

残置物の処理については、業者の通常の業務内で持っていけるものは撤去してもらい、工事が必要なものに関しては、僕の方でタイミングを見ながら処理することにしようと思っています。

でも、なんだかんだと言いながら、一番の気がかりは前項で述べた「庭」の処分なのです。

現オーナーには「これの保全は僕には無理なので、来訪者用の駐車スペースにするかもです」と伝えたものの、ほんのちょっとだけ「自分でちょっと庭いじりに挑戦してみようかな?」という気持ちも生まれてきているのですよ。

まだ売買契約の締結にすら至っていないのが現状です。
あまり先のことを考えても仕方ないんですけどね…。

余白に詰め込みたくなるもの

以前「ゆるミニマリストを目指してみよう」という記事を投稿したことがあります。

なんでもかんでも捨ててしまおう、持ち物を最小化しようというワケではありませんが、なんとなくスッキリとした生活を目指しているのです。

中途半端ではありますが「断捨離」を進めつつあり、どんどん身の回りが軽やかになりつつあります。

そうすると、そこに余白が生まれてくるのですよ。
その余白が「気持ちよさ」の根拠でもあるし、同時にそこにまた新しい何かを詰め込みたくなるものなのです。

萩市への移住が、だんだんと現実的なものとなるにしたがって「余白に詰め込みたくなるもの」が目の前に現れ始めているのかもしれません。

今のところ何が正解かもわからないし、風の流れが変わったことでフラフラと揺れ動いているだけかもしれませんけどね。

先日投稿したように「僕はその問題に答えを出せない」のです。

ただ「価値観ってのは、常にアップデートされ続けてるものなのだな」とか「変化するって、それ自体が楽しいものなんだな」という気がしていて、そこそこ気分のよさは感じています。

断捨離とかミニマリズムとかが流行っていますし、僕も乗っかってみていますが、いったん身の回りをスッキリしてみるということは、余白ができて視界が変わるということに繋がりますから、なかなか良いことのようです。

大前研一氏による有名な言葉で、「人間が変わる方法は3つしかない。1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目は付き合う人を変える。この3つの要素でしか人間は変わらない」ってのがありましたね。

原典となった本は…、残念ながら知りません。ので、読んでいません。

まさに今、その中の「住む場所を変える」をやろうとしているのです。

遠隔地から不動産探しをしているので、目を瞑って全力ジャンプしなければならないようなこともありますし、空き家バンクの利用=仲介業者がいない、ということなので、事務手続きや進行にあたふたしていたりしていますが、今回記事にしたようななことも含めて、いろいろな新しい発見があります。

この話は、まだ始まったばかりです。

僕が「萩の作業場」と呼んでいる実家と、前オーナー家とは親交があったようですし、親戚との付き合いも公私にわたってあったようです。狭い街だからなのか? 何かの縁なのか?

そのへんの話は、また追々。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。