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水害と熱射病とセミリタイアと

2018.07.21

最終更新日:2018年07月28日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

7月初旬に西日本一帯に甚大な被害をもたらせた水害。その傷跡も癒えぬうちに日本全域で記録的な猛暑そして熱射病。多くの犠牲者が出たようです。今、自分が考えている「セミリタイア」と関連付けてしまうのですね。どうしても共通点を見出してしまうのです。

判断の遅れが命取りになる

ビビってるくらいがちょうどいいんだと思いますよ。
「まだ大丈夫」「まだいける」「他に誰も動いてないじゃないか」が、判断を鈍らせるんでしょうね。いや、そのとき本人は判断してるつもりなんですよ。
「自分は動かないことを、今の状態を継続すること、自分の意思で選んでる」と。

水害でも熱射病でも、圧倒的に「何も起こらなかった」「気のせいだった」の方が多いと思うんですよね。
だから、ちょっとした変化に対応し続けるって、すごく難しと思うんです。他人から見たら「いちいち大袈裟過ぎるよ」ってことになりますからね。

ただ「大雨だ、危ない、念のため逃げよう」「暑い、表に出るのやめよう」って思うことができなかった、もしくは思ったけれども行動できなかった人が、犠牲者になってるんですね。
行動できなかった理由なんて、後から山ほど思いつくんでしょうが、取り返しのつかない状態になるくらいなら、大袈裟なヤツだと思われたほうがましですよね。

状況の変化に馴れたくない

特に注意深くなくとも、日常的に状況は刻々と変化していて、それを感じ続けてるのです。大部分は、自分の生活になんら影響を及ぼすものではなく、何事もなく過ぎていきますね。
その量はあまりに膨大で、僕たちはそれに馴れてしまってるように思うのです。

僕は今、セミリタイアを目指しながらこのブログを書いたり、仕事まわりの状況を整理しようとしているのですが、途中でなんども「あれ? なにかの思いすごしか?」「セミリタイアなんてせずに、このままずっと仕事つづけられるんじゃないの?」などという考え方が去来することも多々あるのです。

「セミリタイアしよう」に至った根拠は、日々感じていた変化です。
自分自身の加齢による変化や、市場や技術などの職業的な環境変化、家族や実家などの人生設計上の環境変化、いろいろな変化を感じ取って、それに反応した結果が「セミリタイアしよう」なのです。
「別に今のままでいいか、動くのはリスクあるし、面倒くさいし」ってなってるとき、たぶん僕は変化に反応できなくなってるんですね。

これは、ちょっと警戒しなければならないと思っています。もっとビビらないとマズいと思っています。

「鷹揚ぶりたがるヤツ」を軽んじよう

「思考停止してる」って言いたがる人がいますね。
これ、結果論的に悪い事柄を修飾するために使う言葉ですよね。事故が起こるまで、誰も思考停止なんかしてないと思いますよ。
水害のときには、動かずにとどまった人が水に飲まれました。その人たちは「このまま家にいて大丈夫」だと思ったはずです。猛暑のときは、炎天下に、空調のない場所に出かけていった人が熱射病で倒れました。その人たちは「家から出ても大丈夫」だと考えたのですね。

「誰々との約束があった」とか「情報を得られなかった」「誰も止めてくれなかった」などの理由があるケースもあるでしょうが、その上で「判断を間違ってる」のですね。思考停止などしていません。
考え方を誤ってるんだと思います。リスクの見積もりを間違ってるんですね。

水害にしろ、熱射病にしろ、津波にしろ、地震にしろ。
情報って溢れてると思うんですよね。ググったら山ほど情報出てきます。そしてすべてに「状況を甘く見るな」「早く対処しろ」って書いてあります。
つまり、おしなべ専門家たちは「ビビれ」って言ってるのです。ビビって損はないのです。
でも結局、みんな判断を誤り続けるのですよね。

僕は「鷹揚ぶりたがるヤツ」「動じないアピールしたがるヤツ」を軽んじることにして、自身は、小さな変化に馴れずに反応し続けるヤツでいようと思っています。
日頃から、そういうクセを付けておくと、万事うっすらとビビりながら、ワンテンポ早い判断をすることができるんじゃないかと思います。判断のタイミングが早いと、誤ったときの修正も可能ですからね。
とにかく「ビビり癖」をつけようと思うのです。「オレは正しくビビって見せるぞ」と思っているのです。

「まだできるじゃないですか」ってやめてほしい

僕は、日頃感じる変化にビビって「セミリタイアしよう」という判断をしたのですよ。
今は「セミリタイアするよ」というテーマでブログを書いているに過ぎませんし。「セミリタイアするからね」と仕事仲間に告げてる最中なのです。「するする詐欺」中なのですね。

そうするとですね「何言ってるんですか、まだできるじゃないですか」「生涯現役目指しましょうよ」って言う人が少なからずいるんです。悪気はないんでしょうけどね。僕としては、裾を引っ張られてる感じがしますね。

「まだできる」から「生涯現役」でいるつもりだから、今備えを始めるんじゃん。今のうちに新しいことを始めようと思ってるんじゃん。
たぶん、その人にとっての今の状況が変わるのがイヤなんじゃないかな?
ほっといても、僕もその人たちも老いていくわけで、自然と状況は変わるんですよ。意図的に判断するポイントを作った方が、関係各者にとってもいいことだと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。