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趣味と仕事の違いと接点

2019.07.15

最終更新日:2019年07月16日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「趣味と仕事は違う」と言いますね。一方「趣味を仕事にできたら幸せ」などとも言いますし、それに対する反論も見聞きします。僕は「趣味を仕事にした人」カテゴリに属しますし、幸せ派です。だからこそ「趣味を仕事に」をもう一度体験したいのです。

趣味を持っていないのです

セミリタイア中なのだから、仕事の強度をユルめ、かつ自分で完全にコントロールしたいと考えています。
このブログの中でもあらゆるところで「生産的な趣味」という言葉を使って、これから先の労働との向き合い方をイメージしようと試みているのです。

現在50代半ば、セミリタイア生活を始めたばかりですが、ゆったりとした労働を、75歳から80歳くらまで続けるつもりなのですよ。
遊び続けるわけでもないし、働き続けるわけでもないような過ごし方をしたいのです。
そういう状態のことを「セミリタイア」と呼んでいるつもりなのです。
(参考:[フリーランスの老後]遊ぶともなく、働くともなく

とはいえ、僕はもともと趣味なんて持っていないのですよ。

朝ランの習慣があったりとか、東京近辺くらいなら、なんとなくの不動産相場を把握してるとか、サーバーを立てたことがあったり、ときどきプログラミング言語の学習してるなどはありますが、どれも「趣味」って感じではないのです。

役に立つ立たないは別にして、業務上必要な行動だったりするのですよ。

そんな僕が、これから労働を「生産的な趣味」と捉えようとしているのです。
「なんかちょっと、これまでの生き方と矛盾してないか?」とも思い始めているのです。

ずっと生業にしてきたデザインの仕事も、最初は趣味だったのですよ。
デザインが趣味というか、DTPが趣味でした。
写植を発注したり、トレーシングペーパーに指定を書き込んでいた頃は「仕事」だったのですが、Macが導入されて、IllustratorやQuarkXpress上で、思考しながら手を動かしつつ、分限にバリエーションを作れるようになってからは、半分趣味になっていました。
(いまだに定期的に「QuarkXpressって、まだあるんだっけ?」「あった」が、儀式みたいになっています)

だって、印刷所に回した後もずっと、その案件をいじくり回してましたもん。
「あ〜することもできた」「これもありだったな…」って。

DTPの登場で、デザインの仕事を趣味化できたことで、僕はフリーランスになる決断ができたと思っています。もちろん、それだけじゃないんですけどね。

結局は、その趣味も時間とともに、仕事に吸収されていくことになるんですけどね。

仕事と趣味の違い

仕事と趣味は、その目的が明確に異なります。

仕事はクライアント(ときには代理店・制作会社)、つまり他者の問題解決を目的としています。外部からの評価を受けるものなのです。
他者の満足を共有する形で、自分も満足するし、達成感を得るものなのですね。

一方、趣味は自分だけ満足すれば、それでいいのです。他人のことなど一切気にすることなどないのですよ。
自分が設定したハードルをクリアしていけば、それで楽しいのです。
(※「お稽古ごと」ってのも趣味の範疇ですね…。その場合は指導者という、他人を気にする必要がありますね。ま、いいや)

反面、仕事は、納期やクライアントのオッケーによって作業の手は止まりますが、趣味は延々とこだわり続けて、いつまで経っても課題に取り組み続けることもありますね。

他に、金銭的な問題もあったりもしますが、概ね「仕事はツラい」「趣味は楽しい」って解釈でいいような気がしています。

したがって、趣味を仕事にすると「楽しい」が「ツラい」に、「自分のため」が「他人のため」に変わるのですよ。

気が乗らなくても、1ミリもアイデアが浮かばなくても、なにしてもやる気が起こらなくても、締切はやってきます。それでも続けなければならないのが仕事ですよね。

趣味って何?

その上で、僕は「生産的な趣味」などと思いついてしまったのですよ。

もともとは、誰かのブログか、どこかのコラムで出会った言葉だったと記憶しています。
「野菜を作ったり」「魚を取ったり」「料理を作ったり」なんらかの成果物がある趣味のことを「生産的な趣味」と言っていたはずなのですよ。
ラジコンやカラオケ、ゴルフなどの、お金を払うだけの趣味が「消費的な趣味」ということになっていたはずです。

僕は勝手に「生産的な趣味」という言葉を、「趣味として楽しみながら、収益を得る。その収益化を含めて趣味」みたいな解釈をしつつ使っているのです。

もともと趣味って、目的と手段の区別がつかなくなっている状態のことだと思うのですよね。

前述の「Macの導入でDTPが趣味になった」話だと、そもそも目的は、効率的に成果物を制作すること。過去の成果物を管理したり流用しやすくすることなのであって、Macを使い続けたいがために、すでに納品済みのファイルをいじくりまわしたり、謎作品を作り続けることは、本末転倒のはずなのです。

ただ、その趣味の部分が仕事を補強してくれることも確かなので「目的と手段がすりかわることも、それほど悪いもんじゃないな」と思ったりもします。

冒頭で「趣味を持っていない」と書きました。
もともと趣味だったものを仕事にしてしまったがように、趣味を趣味として留めおくことができない体質なのかもしれません。

仕事の周辺で興味を持ったり必要を感じたものが「趣味」になって、仕事を伴走するような位置づけを経て、仕事として吸収されるような過程をたどることが多かったような気がするのです。

「趣味を仕事にできたら幸せ」をもう一度

「趣味を仕事にできたら幸せ」って言いますよね。
当然のように、それに対する反論も多く目にするのですが、僕は概ね「幸せ」派です。

だって、なにか好きなものを見つけたときに「これで食べていけたらいいな」と思うことは、ごく自然なことで、そのまま真っすぐ1本道を突き進んでみるべきでしょ。
たどり着いた末に立ちふさがる苦労や後悔は、そのときはじめて対処すればいいと思うのです。

僕はそれをもう一度やってみたいのです。

たぶん、デザインでやってみたときよりも、歳いってるし二回目だし、もう少し上手にできる気がするのですよ。
一回目のデザインのときは、趣味を仕事に伴走させました。
二回目は、仕事を趣味に伴走させるカタチにしたいのです。

やる気を下げて、ユルユルで取り組めばいいものなのか? 完全に思想から変えなければならないものなのか? まだ良くわかっていません。

ただ、ひとつわかったのは「趣味を仕事にできたら、それが天職」ではないということです。
だって、今の僕は「別の趣味作って、それを仕事にしたいな」と思い始めてるのですから。

意識すれば、何回かおかわりできるものなんじゃないでししょうかね?

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。