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やることがないときの過ごし方

2020.12.03

こんにちは、萩ドットライフ()です。

いつの間にか、やることがないときの「やること」が固定化しているのですよ。なんとなく思考停止しているというか、マンネリ化しているというか、自分の中でアラートが鳴っているのを感じるのです。些末なことで構わないから、ちょっと変えてみよう。

「何もしない」ができなくなってる

当たり前のことではありますが、無職の僕は暇な時間が多いのですよ。

1年以上前、職業人だったころには毎日のように「あれやらなきゃいけない」「ちょっと時間が空いたから、これやっときたい」と思うことがいっぱいあって、それらに一つひとつ手を付けていけばよかったのですが、セミリタイア人は毎日「やること」を探さなければならないのです。

昔はわりとボーッと何もしない時間を過ごせていたような気がします。

どのくらい昔かというと、インターネットがなかった頃くらいの「昔」でしょうかね。いつの間にか「何もしない」ということができなくなってるんですね。

環境の変化によるものなのか? 老いによるものなのか? は、謎です。

以前投稿した「田舎暮らしも、なかなか情報量が多い」という記事で、ときどきボーッとしに近所の陶芸の村公園に出かけるということを書きましたが、別に数時間もボーッとできるわけではないのです。

「さあ、ボーッとするぞ」と意気込んで数分間ボーッとして、耐えられなくなってスマホを取り出してSNSやら株価指数の動きやらを眺めたり、ニュースを見ながら「そうだ、ボーッとしなきゃ」とまたボーッとする、そんなことを小一時間繰り返すのが精一杯なのです。

それでも眺めはいいし、風も心地よいので、すごく好きな時間なんですよね。
平日なんて、周囲に人の気配がしない場所で過ごせますからね。

しかし公園に行ってそんな時間を過ごせるのって、春と秋だけなんですよね。
夏場なんて、自宅からそこへ行くだけで汗だくになって、とても快適になんて感じられません。

冬の入り口というか、晩秋のいまは、天気のいい日は気持ちよく過ごせます。
当然、ベンチコートを着てニットキャップを被って出かけますけどね。

風が少し冷たくて、陽がポカポカしている感じ、わりと好きなのです。

そんな感じの季節もあと少しでしょうね。
本格的な冬になると、どんなに防寒しても、小一時間も公園で過ごすなんてできなくなりますよね。

そもそも、外に出かけるのがおっくうになりますからね…。

どうしても家の中で「やること」を探すことになるのですよね。

やることがないときにも、それなりに何かをしているものなのです

いくつかの「やることがないときは、これをやっていればいい」ということはあります。

いまこうして向き合っている「ブログ書き」もそうです。
朝の日課なのではありますが、日中でも気が向いたら「今度はこれ書こう」とか、適当に思いついた言い回しみたいなのをメモったりしています。
tweetという形で残しておくこともあります。

ひとつのことを思いつくと、連想ゲームみたいに、あれもこれもといろんなことを考えますよね。
そういうことをしていると、知らぬ間に時間が経っていたりするものなのです。

あとはYouTubeを次から次へと見て回ったり、庭に出て芽を出した雑草を抜いてコンクリの上に並べて干したり、何週間か前に切ったり抜いたりした木を焚き木サイズに切りそろえたり、第二種電気工事士の試験の解説サイトを読むとか…。

こうして挙げていけば、それなりにいろんなことを思いつくのです。

朝ランもそうですね。

前項で触れたように、冬に向かって公園に行く頻度が減っている代わりに朝ランに行く回数が増えつつあります。
眼と手をデジタルデバイスから離して、何かをボーッと考える時間が気持ちいいんですよね。

最近は「朝じゃなくて、昼間にランニングしてもいいかな」なんてことも考え始めています。

考えてみれば、朝とか夜にランニングするのって「昼間は仕事する時間」というのが前提になってますからね。
僕は無職なので、別に何時に走っても構わないのです。

そうすることで、生活のリズムが変わるのもちょっと良さそうな感じがしますしね。

やることがないときの「やること」を固定化したくない

やることがないときに「これをやっていればいい」ことが固定化するのは良くないような気がするのですよ。
なんとなく思考停止したまま日々が流れていくみたいな、ね。

無職になると「このミーティングから案件がスタートする」とか「公開日を迎えて、いったん手が離れる」みたいなメリハリがなくなるのですよ。
そのぶん、これまでの人生でなかったくらい、季節の移り変わりを強めに感じることができたりもするんですけどね。

それはそれで、新鮮で心地よいのですが、もう少し「自分の生活は自分が作ってる」感が欲しいんですよね。

ランニングや散歩をしたがるのも、そういう側面が強いような気がしますね。
健康を保持するためだったり、体を引き締めてスッキリした見た目でいられたり、暮らし始めた街を自分の足で移動することで何らかの発見をしようとしていたりする成分が含まれているので、「ちょっといいこと」をしている気になれるのです。

ランニングや散歩から帰ってきて、お風呂に入って、そのままお腹をペコペコに空かせてスーパーに行くと、いつもと違うものに目が行きますよね。

そうでもしないと、スーパーでの買い物ルートも「お決まり」になっちゃうんですよね。

たまたま手にとった食べ物が美味しくて、次の買い物時からレギュラーになったりして、これまで買ってたものを買わなくなって、そうやって自分の生活がちょっとずつ変わっていく感じが良いのです。

ランニングや散歩のコースもそうですよね。

とくにランニングは、だいたい決まったコースを走っています。
信号の変わり方や、その日の調子によって変える、いくつかのバリエーションはありますけどね。

どうしても「この街並みは通り抜けたい」とか「この丁字路を右に曲がってからが後半」とか「海岸沿いはマスト」みたいな自分なりの通過点を意識しますからね。その方が気分がいいのです。

だからランニングコースは置いといて、散歩コースを「毎回変えてみる」を始めてみようかと思います。
前述の通り、公園でボーッとする時間がツラい季節に向かっていますから「いつもの公園」をめざす必要はないのです。

そうすることで、ちょっとずつ気分や感じることが変わったり、それによって「やることがないときの過ごし方」が固定化することを避けられるといいなあ、と思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。