follow hagi.life

数十年ぶりに、MONO消しゴムを買いました

2021.03.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

手書きで計算したりフリーハンドの図を書くことが増えています。以前から多少は気づいていたのですが「手書き力」って衰えますよね。漢字がちゃんと書けなかったり、平行線が重なっちゃったり…。たまには手書きをして感覚を取り戻すのもいいですよ。

鉛筆って、なかなか使いませんよね

学校に通ってた頃は「鉛筆と消しゴム」って、日常的に持ち歩くものでしたよね。
それが、いつの間にか身の回りから、両方とも消えました。

鉛筆はシャーペンに形を変えて、いまも目の前の缶カラに刺さってますけど、たまたまキャビネットの中から発掘してきた消しゴムは、ただのプラスチックのかたまりと化していて「消し」の能力を失っていました。

人によって差があるのでしょうが、僕がボールペンを持ち歩くようになったのは社会人になってからです。
たぶん、日常的に複写式の書類への記入を求められることが多くなったからでしょうね。

同時に、鉛筆やシャーペンは持ち歩かなくなりました。

それでも、昭和から平成になるくらいまでは、手書き書類も多くありましたので、まだ「下書き」って概念が残ってましたよね。
持ち歩かないまでも、引出にはシャーペンと消しゴムが常備されてました。

だいたい僕の場合、コンビニの100円シャーペンか、何かのノベルティでもらったものを使ってました。
消しゴムは、まあだいたい「MONO消し」ですよね。

大学時代から自分で持っていたものが複数個、いろんなところに紛れ込んでいましたし、当時勤めてた会社で備品として買ってたのもこれだったので、所有者不明のMONO消しが、引き出し、バッグの隅、缶カラの中…、いろんなところに転がっていました。

仕事はすべてPC上で済むようになり、筆記具と言えばせいぜいメモ程度にしか使わなくなってから、完全に鉛筆は使わなくなりました。
たぶん「鉛筆を削った」のって、中学生時代が最後なんじゃないかな? 当時はなぜか「シャーペン禁止」って言いたがる教員がいたんですよね。

なんでだろ?

「いつ頃まで、どんな何を使ってたか」「どんなきっかけで、持ち歩く筆記具が変わっていったのか」を思い出して見ようと書き出してみたのですが、なんだか曖昧でよくわかりませんね…。
とにかく、だんだんと手書き筆記具の必要性が失われて、だいたいのことはPCで済ませるようになってから、ずいぶんと年月が経っていることだけはたしかです。

最近、手書きをすることが増えています

とにかくここ数十年の間に、仕事もメモもPCもしくはスマホ、タブレットに置き換わったのですよ。
せいぜい、ミーティングや会議で机の上に出しておく用に、ボールペンやシャーペンを何本か常備してたくらいのものです。

僕の職業はデザイナーでしたから、たまにシャカシャカっとラフレイアウトみたいなの書いて「こんな感じっすかね?」なんてことはありましたけど、あくまでもPC上で手を動かして形にしたものを「ラフ」ってことにしてましたしね。

ところが最近の僕は、ノートとシャーペンと消しゴムを机の上に置いて、手書き計算をしたり図面を書いていることが増えています。

以前投稿した「本を読んでいるのが、楽しい」でも少し触れましたが、いま頭のリハビリみたいなことにハマっています。
これまでに関わってこなかった分野の資格の本を読んでいるし、過去問に挑戦したりして遊んでいるのです。

その中に「n進数の計算」だの「単線図を複線図に変換する」だのという工程があって、そこでチョコチョコっと手書き計算をする必要があるのです。
ルートの付いた計算とかもそうですが、PC(特にediter)だと、具合が悪いのです。

手元でフリーハンドで書く感じが便利なんですよね。

僕の作業台の上には、常時ノートPCが3台並んでいて、その上さらに紙ノートを開く場所を確保しなきゃいけないので、なんだかガチャガチャになっています。

消しゴムは、100円ショップで数十年ぶりに買いました。

「MONO消しって今でもあるんかな?」と思っていたのですが、逆にMONO消ししかありませんでした。
「ライト」って付いてました。
昔のよりも、軽い力で消せるようです。

シャーペンの芯は、そこらじゅうの使ってないシャーペンに何本も入ってましたし、ノート(メモ帳)は、昔どこかからかもらったノベルティが数冊キャビネットの中から発見されました。

たまにはアナログも「あり」ですね

実は、もう何年も前に気づいていたのですが、ずっとPCやスマホで入力作業をしていると「手書き力」が退化しますよね。

ときどき、何かの書類に手書き記入を求められると「あれ? 自分の名前すら一定の筆跡を保てないぞ」とか「長めの文章のバランス、めっちゃ悪い。なんだこれ」ってことが多々ありましたもん。

手書きメモを日常的にするようになると、そんな退化がもっと見つかりますよ。
「●」がいびつだったり、平行線がくっついちゃったり、複数の線を1点で交わらせることが困難だったり…。

手書き力の退化なのか、老いなのか謎な部分もありますけどね。
ただ、毎日やってるとだんだん慣れます。昔の感覚を取り戻すことができます。

今のところ、アルファベット、数字、図形くらいですけどね…。

また本を読み始めたことは、前出の「本を読んでいるのが、楽しい」でも書いた通りです。
この中で「kindleでの読書を試みたけども、しっくり来なかった」ことについても触れています。

繰り返しになりますが、本は昔ながらの「本」って形がいちばん合ってるようです。

以前は「小説は紙本がいいけど、技術書とかはeBookのほうがいいかもね」なんてことも言ってたのですが、いま中身がちんぷんかんぷんな参考書を「とりあえず通しで」と、頭から読み物のように読んでいるのです。

なので「技術書も紙本のほうがいいね」なんてことを思っています。
でも、読み物としての役割を終えて、辞書っぽい使い方を始めたら、kindle版を買い直すかもです…。

自分が見えてる範囲だけで考えちゃダメだ

つい最近まで「作業ならPCだし、メモならスマホだし…。筆記具なんてほとんど使わないよね」なんてことを思っていました。

現実的には「えっ、こんなにもいっぱい自分の住所と名前書くんすか…」みたいなことも多々あったんですけどね。
ローンの借換えとか不動産の売買とか、ここ数年でいろいろやりましたからね。

「こういうのも、そのうちなくなっちゃうんだろうな」「まだ残ってる、わずかな例外だよな」なんて思いながら、対応していました。

おおまかな方向としては、いろんなもののデジタル化を望んでいるし、できれば「紙」をやりとりしないほうを選択しています。
実際「ハンコの廃止」とか「無駄な書類の削減」とか、社会がそっち方向に向かってますしね。

まだまだ、例外はありますけどね。
先日の確定申告でも、あまりにも不動産売買時の書類が多すぎて、まとめて税理士に宅配便で送るのがいちばん効率的だったりね…。

それがここに来て「意識的にアナログなこともやっておいたほうがいいんじゃないかな」「そんなに毛嫌いしちゃうと、視野が狭くなるかもね」などと思い始めています。
ちょっとした揺り戻しみたいなものかもしれませんね。

ちょうどいま、これまで関心のなかった分野のことに触れている最中なので、頭の中のこれまで使ってなかったとこを刺激してますからね。
その影響なのかもしれません。

こうしてediter(Evernoteだけど)で、文章をベタ書きしてるのと、Adobe Illustratorでレイアウト組みながら文章を作るのって、ちょっとした感覚の違いを伴うのですよ。
それと似なような感覚が、表計算ソフトとか電卓アプリでサクっとやる計算と、手計算でもあるのですよ。

そもそも、指数とかルートとかPCで入力しにくい計算の場合は手書きに限りますけどね…。
あと、図を書きながら解を導く問題なんかでも、手書き一択なんですよね。

もしかすると「いいアプリあるよ。知らないの?」ってことなのかもしれませんけどね。

むかし書いていたような字や図が書けるようになったり、1ページを上手に分割して使う方法を思い出したりするのも、なかなか嬉しいものです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。