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セミリタイア人が求める達成感

2021.03.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ずっと走りつづてけいた職業人時代には、キツくて早く立ち止まりたかったんですけどね。いざ止まってセミリタイアしてみると「あれ? 走ってたから達成感を得られてたのか」と気づいたりするのです。たぶん、人生ずっとこんな感じなのでしょうね。

達成してたはずなんですけどね

好きなことをやっていいし、何もやりたくないならそれでいい。
誰かに会ってもいいし、ずっと籠もりっきりでも構わない。

そんな状況を作りたくて、無職になりました。

それでも、ほんのちょっとだけの労働を残してることと、これから先ずっと無職を貫く「完全リタイア」を決めたわけでもないので「セミリタイア」と称してますけどね。
「無職」と「セミリタイア」、さほど厳密に言葉を使い分けているわけではありません。

無職になった時点で、自分の望みは達成してたはずなのですよ。
この状態になって、もうかれこれ1年半が経過しています。

たしかに、ストレスからは解放されたし、毎日好きなことをやって暮らしています。
人に会う/会わないに関しては、新型コロナ禍の影響でちょっと不自由ですが、おそらく平時でも僕は籠もり気味な生活スタイルを好んでいたと思います。

なんだかずっと「しんどさの芯」みたいなのが残ってるのですよ。

なかなか言葉にしにくいのですが、ものすごく曖昧にわかり易い言葉を選び出すと「メリハリがない」ってことでしょうかね?

仕事をしなくなったことには慣れたけれども、それでもず〜っと何かを考え続けてるんですよね。
考えてるというか、いろんなことが現れては消えを繰り返してるといいましょうかね。

身体的にも、適当に朝ランや散歩はしてるし、事務椅子でもソファでも好きなところに好きな姿勢で過ごしてるし、早寝早起きも続けてるので、文句のつけようがないんですけどね。

朝礼があって、終礼があって、みたいなのはまっぴらだけど

ずっと、ズルズルしてるんですよね。

僕はもともと、ピシっとしたスケジュール進行が苦手で、例えば始業の15分前に朝礼があって、終業時にもみんなで集まって終礼をやって帰る、みたいな働き方はまっぴらごめんなのです。
だから、会社員をやめてフリーランスで働くことを選んだのです。

僕が勤めてた会社には朝礼も終礼もありませんでしたけどね…。

それでも「今日はここまで作業を進めたら終わり」とか「クライアントのチェックバック待って、その分量次第で終わり時間を決めるか」みたいな区切りみたいなのがあったのですよ。

「週」「月」のスパンで見ると、締め切りだとか公開日だとか、作業から「手を離す日」が決まっていました。
そこで、なんとなくの満足感だったり達成感を得ることになるんですよね。

「ここまではちょっとキツいけど」
「ここいらへんで、揉め事が起こったりするけれど」
「ここまで仕上げて。ここで手を離して」
「そしてみんなで飲みに行く」

みたいな感じの繰り返しって、なかなか大切なことだったんだなと感じています。

職業人時代には「まだやれたことがあったんじゃないのか?」とか「自分の思う感じと、周りの評判がなんか違うな…」みたいなモヤモヤ感が残り続けるのが嫌で仕方なかったんですけどね。

それでも一定のメリハリは得られていたのですよ。

自分でToDo増やしちゃいますよね

昨日(2021年03月22日)、第二種電気工事士の資格試験の申込を済ませました。
受験手数料も振込みました。

まだ試験会場は決まっていませんが、5月30日に筆記試験があります。
それに合格すれば、7月17日(土) もしくは7月18日(日)に技能試験を受けることになります。

これまで何度か、このブログでも「受けます」「やります」「勉強してます」って書いてたのですが、これで後戻りはできなくなりました。

ずっと過去問を解いて遊んでいて「こりゃ通るな」なんて手応えを感じていたのですが、いざ申し込んでみると急に不安になるものですね。
「ちょっとふんどしを締め直して、再点検しなきゃな」なんてことを思いはじめています。

そして同時に、クリアすべき目標が決まったことで、ちょっと心が晴れた感じがしています。

世間的にはさほど「難関」な部類の資格でもありませんが、合格すればそれなりに達成感を得られると思うんですよね。

実際に「電気理論」なんて、中学生以来(?)見たことも聞いたこともない領域を理解しなきゃいけなかったし、暗記することもたっぷりあるし、僕としては「50代後半のオッサンが資格試験に挑むって、結構キツいものだなあ」という印象を持っています。

その次は、秋に「基本情報技術者」の試験を受けようと目論んでいます。
こっちは勉強の進捗次第ですけどね。

これらの資格を取ったからといって、何かが起こるわけじゃありません。

そもそも、僕は「資格不要論者」っぽい立ち位置を取ってました。
「資格とったからって、それがすぐにメシの種になるわけねえじゃねえか」と思ってる派です。
(参考:資格不要論について考えてみた

昨日投稿した「ついつい、前例を探してしまう」でも触れたように、前々からこういうことに包括的に触れてみたかったし、何よりもカチコチになった頭の可動域を広げるリハビリみたいなものだと思っています。

その上、ちゃんと合格して「達成感」を得られたら、なお嬉しいな、と。

結局、走り切るのが大切

結局、職業人だった頃の思い出に戻ってしまうのですが、走り切ることってすごく大切なんですよね。

「走り切る」にもいろんな意味があって、たとえば今抱えてる作業は、いつかは手を離さなきゃいけないのですよ。

締め切りや納期は必ずやってきますからね。

「まだ思い通りじゃない、もっとできる」と、ずっと抱え込み続けるわけにはいかないのです。
自分の意思と関係なく「はい、ここで手を離してください」と、ゴールは設定されてしまうものなんですよね。

その時点で、望まれたクオリティに仕上げておかなければならないのです。

あるいは「最後まで倒れちゃいけない」という意味でもありますよね。
成果物を発注してくれた方にお渡しするまで、自分が無事でいる必要があるのです。

途中までどんなに素晴らしくても、途中で走ることをやめたら元も子もないのです。

その上で、こうしてセミリタイアしてみて思うのですが「走り切る」ことに、仕事かそうじゃないかなんて関係ないのですよ。

一番長く走り続けなきゃいけないのは、人生です。

その間に幾つもの「走り切る」があって、その中で仕事が占める割合なんて、ほんのちょっとなんですよね。
仕事なんて、数ヶ月か長くても数年で走り切れちゃうものですしね。

「自分はちゃんと走りきれてるか」を確認するために、達成感というものがあるのだろうと思います。

ずっと走り続けていて、しんどかったときには「どうにかして止まりたい」と思っていたはずなのですが、こうしていったん止まって見ると「走り続けないと得られない快感ってあるんだなあ」と気づくのです。

まあ、自分が好きなところに「達成感」を求めて、ゆったりと走り続けることにします。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。