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「1万時間の法則」について考えてみる

2018.09.16

こんにちは、萩ドットライフ()です。

このブログを開設して2ヶ月が経過したのですが、ヒマさえありゃググって、他人の経験談を読んで回っています。すると「1万時間の法則」ってのに辿り着くことが多いですね。なんとなく聞いたことがあるのですが、これについて考えてみることにします。

「通過点」的なものにハマってるのかもですね

こないだまで、ブロガー界隈で語られている「3ヶ月経過・記事100本に達するまでは何も始まっていない」というお言葉を信じ、一生懸命100記事は書きました。「3ヶ月」に関しては、時間の経過を待つだけ。あとひと月でブログ開設して3ヶ月が経過するので、また報告しますね。
ググってると、他にも「300記事書くと状況が変わる」みたいなことを書いてる人もいて、そのうちこれについての考察も書こうと思っています。

こういうのって、あまり「当たってる」とか「ハズレてる」とかはどうでも良かったりするんですよね。
「どういう背景があって、こんなことが言われてるんだろう?」とか「これについて、みんなどんな意見を持ってるんだろう?」って調べてるときが楽しいんですよね。「自分はこう考える」「こんな感じで書いてみようかな」って考えながら。

そして「100記事」も「3ヶ月」も「300記事」も、ブログを続けてる限り「通過点」になりますので、それを記事にしたり、自分のやってることを見直したり、そういうきっかけを共有するための指標なのかもしれませんね。

で、最近よく目にするのが「1万時間の法則」ですよ。
簡単にいうと「人が何かをモノにするには、1万時間の努力を要する」みたいな話ですね。「何かひとつのことを1万時間やり続ければ、100人に1人の人材になれる」みたいな言い方もあるらしいです。

ネタ元があるっぽいですね。
天才! 成功する人々の法則 マルコム・グラッドウェル (著), 勝間和代 (翻訳)
2014年の出版なので、ここ3〜4年で広まった言い方なんですね。
いろいろググってみると、肯定論も否定論もあるみたいですが、これはタイトルの付け方次第なのかな?

「石の上にも三年」と同じような考え方なんでしょうかね?

以前「「石の上にも三年」の意味を勝手に変えてみる」って記事を書いてて、そこで

「少なくとも3年は頑張れ」じゃなくて「どんなに好きなことでも、3年続けて食えなかったら見切りをつけろ」でいいんじゃないでしょうかね。「そんなに好きってわけじゃないけど」ならば、3年も続けるべきじゃないと思いますよ。
「石の上に3年もいて何も起こらないんだから、もうないよ」だと思うのです。

って書いちゃってるんですよね。
この「1万時間の法則」に関しても、同じような考え方ですかね…。

「1万時間の法則」の方が、自分でペースを決められるような感じではありますね。「1日12時間✕2年半」でも「1日3時間✕10年」でも、自分の好きなペースでやればいいし、習得したいものの身体的強度によって調整してもいいっていう自由度を含んでるような感じはしますね。

デザインやプログラムなんかだと、1日12時間没頭し続けても構わないけど、スポーツ競技だと、そんなに練習したら、ぶっ壊れちゃいますもんね。
また、1日12時間費やすと専業になっちゃいますけど、1日3時間なら余暇を当てられる、みたいな考え方もありますね。

いや、正直「新規案件の受注をストップして、集中して3年間、ライティングを含めたブログ周りの学習に費やしてみようかな」などと、チラっと思い始めてるのですよ。

ガタガタ言う前にやってみたら?

結局、

  1. やりたいと思ったら、やってみりゃいいじゃん
  2. みんな成果が出る前にやめちゃうから、それに気をつけてね。それが1万時間ね
  3. でも楽しくなくてやめる分には、仕方ないんじゃない?
  4. 1万時間やって成果が出ないんなら、才能ないんだから、やめるか趣味にしたら?

みたいな感じで考えときゃいいんじゃないでしょうかね?
始めるも辞めるも自分次第なので、そのための、ちょっとしたモノサシにはなってくれるんだろうと思います。

僕は、中学3年・高校3年・大学4年の10年間バレーボールやってきました。練習時間、計1万時間いってるのかな? まあそれに近い時間は費やしてるような気がします。
「競技者としてメシを食うことは困難だけど、指導者への道は残ってる」程度の地点に到達したところで、道を離れました。そのあとは、ごくたまにレクレーションとして楽しむ機会があったり、友人・知人がプレーしたり、采配をふるうゲームを観戦するくらいの関わり方ですかね。

結局、才能とセンスに依るところが大きいんだと思いますよね。それとカリキュラムや環境にもよるのかな?
僕、大学は関東1部リーグのチームでプレーしていましたから、それなりにちゃんとした環境とカリキュラムの中にいたのですが、中学・高校に関しては、そこまで真面目に取り組むめるような環境ではなかったのです。だから、大学に進学したときには、チームメイトとのあらゆることに対する経験値の差に驚いたものです。

「1万時間」でも「三年」でもいいのですが、この考え方の本質は、数年にわたる期間を費やすのならば「今までやってきたことを継続するために費やしますか?」「これから新しく始めようとすることに費やしますか?」という選択の問題だと思うのです。

「1万時間取り組めば、自分の才能を見極めることができる」というふうに考えれば、何かをはじめようと思ったときに、決断しやすくなりませんかね?
「こんなことはじめて、モノになるんだろうか?」って逡巡しながら、何もしない時間を過ごすよりは「さっ、ここで気持ちを切り替えて三年」「ダメなら、別のもんでやり直し」って、行動しちゃったほうが楽しいと思うのです。

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