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え〜っと、もともと何だっけ?

2020.10.14

こんにちは、萩ドットライフ()です。

これ以上、何をどう頑張っても、大きな転換は見込めないなというとき、枝葉を切り落として根と幹だけを眺めてみるような作業をしますよね。「もともと何だっけ?」とか言いながら。過去記事の読み直しって、それに近い作業のような気がするのです。

これ、ホントにオレが考えたこと?

こうして毎朝ブログを書いていると、過去の自分の記事を検索してみることがよくあるのですよ。
だいたいは、何か書いていて「あれ? これって前にも書いたことがあるような気がするぞ」ってときに、それを確認するためだったり、似たような過去記事に参考リンクを貼るためだったりですね。

最近サボり気味ではありますが、サイト内リンクを作るのは、SEO上「良い」ということになっているのです。

ときには「これ書いたの、本当にオレか?」なんてくらい記憶に残っていない記事を発見したりします。
「本当にオレか?」の意味は「こんなこと考えたこと、一度もなかったぞ」ってときもあれば、「何だこの文章、言ってることが支離滅裂じゃん」だったりもします。

後者に関しては、公開時点でそこそこ自覚したりしていますので、自分の恥部を再確認してるだけなんですけどね…。
前者の「こんなこと考えたこと、一度もなかったぞ」に関しては、頭の中を整理するためになかなか役立ってくれているような気がします。

「オレって、もともとなんでこんなことしてるんだっけ?」がそこに書いてあったりするのですよ。

実際にその時点で自分が考えたことだから、その日にそういうことを書いたわけで「考えたこと、一度もない」ワケがないのですが、そのあと考え方が変わってしまったり、別の考えで蓋をしてしまったり、枝葉のことばかりを考えるようになって幹や根の考えから遠ざかってしまったり、いろんな理由で以前の自分が考えていたことを忘れてしまってるのですよね。

ミーティングや打ち合わせと呼ばれる、アイデアを出し合う会議なんかでも往々にして起こりがちなことですよね。

枝葉末節にこだわり始めると、どれだけ頑張っても全体の大きな景色が変わらなくなって「もともとの話に、いったん戻そうか」って。
せっかくみんなで考えたことなんだけど、いったん枝葉は切り落として、根っこと幹の形を眺めるところからもう一度始めてみよう、みたいな感じですよね。

なんかそういうのを繰り返してきたような気がするのです。

もとの位置に戻ってみる

今のこの、無職になったり、生まれた街、山口・萩に再移住したり、こうして毎朝ブログを書いて暮らしているこの生活が、どうこうではなくて50代になったくらいから、なんかこう「戻れるところまで戻ってやり直さなきゃいけない時期なんじゃないかなあ」みたいな感覚ってあったんですよね。

みんながそうなのか、僕だけがそうだったのかは謎です。
人生に停滞を感じてたんですよね。

定年という概念をもたないフリーランスでしたから「サラリーマンの人達と同じ65歳でリタイアするの、イヤだな」「もっと長くか、もっと早くか」みたいなことはずっと考えていました。

まだこうしてブログに書き残す習慣を持たない頃の決断でしたが「元気なうちに無職になる」「山と川を見て、土を踏んで暮らしてみる」みたいなところから、ひとつひとつ分解して実行に移して、結果いまに至ってるんですよね。

その過程で、前項のような「こんなこと考えたこと、一度もなかったぞ」みたいなことも書き残してるんですけどね…。
たぶんこういうのが、途中で切り落とした枝葉なんでしょうね。

昨日投稿した「毎日のブログの内容が、完全に日記と化している」でも触れたように、田舎に住み、緑を見ながら土を掘り木に触れる生活をしていると、日常的に考えることが明らかに変わってきて、もともと考えていたことの輪郭がはっきりと浮かび上がり始めているような感じはします。

でも「もうちょっと、いろいろとやってみないとわからないな。時間はかかるかな」という印象です。

もうひとつの「元気なうちに無職になる」は、絶対に正解です。

もしかするとサラリーマンのみんなと同じように、65歳でリタイアしても「元気なうちにリタイアできた、ヨカッタ」って言っちゃうのかもしれませんけどね。個体差がありますからね。

でも、現在50代半ばの僕が「40歳から50歳までの10年間でやりたかったこと、できてた?」と振り返ってみると、さほどできてやしないのですよ。
むしろ「やりたいことを犠牲にして、仕事に邁進するオレ」に酔っ払いながら、意図的に「やりたいこと」に向き合わなかったような気もするのです。

やったこと、できたことを事後的に「やりたかったこと」にすり替えてみたりね…。

無理矢理にでも記録していると、それなりに

50代半ばの僕は、最近よく「いま自分が65歳と仮定してみる。55歳からの10年間で何したかった?」と自問してみるのですよ。
その「仮想65歳(10年後)の自分」が考える「やりたかったこと」が、僕がこれから始めるべきことなんですよね。

そうすると、

  1. 生活のベースは田舎にあって、ずっと家や敷地をカスタマイズしながら暮らしていたかった
  2. 収入の多寡にはこだわらないにしても、職業人としてのポジションはキープしたかった
  3. 年に数回は都市部に出かけて、1週間から10日程度過ごせる体制を作っておくべきだった

みたいなことを思いつくのですよ。

(1)に関しては、今まさに萩に移住して、セルフリノベーション用のベースハウスを買って住み始めたところです。
おそらくずっと、家いじり、庭いじりをしながら暮らしていくことになろうかと思います。

(2)(3)に関しては、これからですね。

以前のWebデザイナーとしての業務を再開することもあるでしょうし、まったく異なる活動を始めるかもしれません。
また、その複合もありえるでしょうね。

ほぼ1年前、ちょうど無職になったばかりの頃に投稿した「長期休暇の過ごし方決めた。やることの焦点を絞ろう」という記事で、

  • 東京のマンションを賃貸に出し、山口県萩市に移住する
  • 自動車免許を取得する
  • 第二種電気工事士の資格を取る
  • 山口県萩市に古民家を購入する
  • 動画撮影と編集の練習をする

なんてことを書いているのですよ。

東京のマンションは賃貸に出さずに売却しました。
萩市の古民家は購入済みかつ、移住済みです。
自動車学校にはようやく通い始めました。

あとは「第二種電気工事士の資格」と「動画撮影と編集の練習」が残ってるんですね。
とりあえず、これから先の10年でどんな職業や人間関係を構築するかは謎ですが、もともと考えていたこの辺はクリアしていこうと思っています。

おそらくいま僕が「元気なうちにリタイアしてヨカッタ」と思ってるからこそ、こういうものにもチャレンジできるんですよね。

これからもたびたび「え〜っと、もともと何だっけ?」と自分で最初の思いつきのところに引き返すことを繰り返すのだろうと思います。
これまでも何度もそうしてきたし、自分の足元をしっかりと整地してくれたと思っています。

そうしてるうちに、新しいものに興味を持ったり、新しい出会いがあったりもしますしね。

何が言いたいかというと、毎朝テーマが見つからなくて無理やり絞り出すようにブログを書き続けていたとしても、なんかしらそのときに思いついたことを書いているワケで、あとから読み返してみると、ちゃんと自分の記録として成立してるもんなんだな。ということなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。