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毎日のブログの内容が、完全に日記と化している

2020.10.13

こんにちは、萩ドットライフ()です。

田舎暮らしを始めて、ふた月も経っていないのですが、環境の変化によって、アタマの中が変わってきているように感じています。自分の身に起こりつつあることに、わりと興味津々です。当然、ブログ記事も自分の日常生活がテーマになってしまうのです。

最近、ただの日記になっちゃってますね

正直なことをいうと、心のどこかで「もう、日記でいいや」と思っている部分もあるのです。

開設時点は「読んでくれた人の役に立つ情報を」とか「検索頻度の高いキーワードを狙って検索上位に」なんてことを考えていたし、今でも完全に捨て去ってしまったわけでもないのですが、朝起きてなんとなく思いついたことをなんとなくツラツラと書いて投稿することが日課になっています。

僕は今年(2020年)の8月17日に長年暮らした東京のマンションを退去し、萩市民になりました。
そこから自分が暮らす家の改修工事が始まったので、しばらく実家に居候していましたが、9月1日から今暮らしている家に入居しました。

そして、ようやく涼しくなって台風のシーズンも終わった10月2日には自動車学校へ入校手続きに行き、6日からは教習が始まっています。

田舎暮らしをはじめて、まだふた月にも満たないのですが、その間、土をいじったり木を切ったり、毎日どこかしらでクモの巣に引っかかったり、イタチやネズミを目撃したり、作業場の窓から見える気色が基本、緑だったり。

東京で暮らしていたころとは、ガラッと環境が変わったことを実感するようなできごとが次々と起こっています。

萩市に移住する前の2年間、僕は東京と萩との二拠点生活を続けてきました。
不思議なことに、二拠点生活中と移住してからは、環境の変化を感じるポイントが少し変わったような気がするのですよ。

まだ、萩市民になって2ヶ月弱なので、わかったようなことを言うつもりじゃなくて、あくまでも現時点の僕の感想に過ぎないんですけどね。

二拠点生活をしているときには、空港から萩に向かう車の窓から見る景色だったり、当時は萩にいる間は実家に居候していましたので、そこから見える景色だったり空気感、自転車で市内をグルグルと散策して回りながら感じる雰囲気から「東京にいるときとは明らかに違う感覚があるな」と思っていたのです。

人生の一時期か、これからずっとになるかはわからないけれども、頭の中をリセットするために、この環境に身を置くことを選んでみようと考え、そう実行してみたのです。

で、実際に移住して萩の街外れに家を買って住んでみると「自分ちの敷地内」から、環境の変化を感じるようになるんですね。

そういう家を選んで買って住んでいるということもありますし、入居してからしばらくは暑くてどこにも行きたくなかったし、どこかへ出かけると行っても、新型コロナ禍で、他人を誘いにくい…、だからずっと家の中にいなきゃいけない、ということも影響しているかとは思います。

ただ、明らかに東京で暮らしているとき、二拠点生活をしているときと日常的に考えていることが変わってきたような気がするのです。

少しずつアタマの中が変わり始めてる感じ

極端なことをいえば

  • 庭の雑草取り
  • 植栽の抜根
  • 石ころ拾い
  • 廃材の焼却
  • 落ち葉の処理

みたいなことばかり考えています。

それに加えて「車の免許」とか「建物のリノベーション計画」「買い物ルートの開拓」程度でしょうかね。

これまでの人生のなかで、ここまで「毎日少しずつ変わりゆく自然」と関わった経験なんてありませんでしたからね。
しかも、その大部分は自分の家の敷地の中で起こっているのです。

放置してしまえば、自分の家の「中」が荒れ地になってしまうのです。

敷地内に(たぶん)2本の柿の木があります。
現在、たわわに実っています。

すべて人の手の届くところではなく、屋根のはるか上で実っています。

以前はそういう風景を見て「こういうのが田舎の風景だなあ、柿の色と澄んだ青空のコントラスト、キレイだなあ」などと思っていたのです。
今の家に越してきたときも、そんなふうに思っていました。

でも、柿は屋根の上に落ちるんですね。
夜中に「ゴン! コロコロ」と音がするのです。

最初は屋根裏に風が吹き込んで、置き去りにされた木片かなにかが転がってるのか? はたまた屋根裏部分の土壁が剥がれて落下しているのか? などと想像していました。

最近は、柿の実を食べに鳥が集まってきています。
食べかすを庭に散らすし、雨樋も詰まらせるのです。
屋根の上をカタカタと走り回っていて、わりと気になるのですよ。

慣れの問題かもしれませんけどね。

だから、他の家の敷地内にある柿の木を見ても「ここんちも、屋根の上に落ちてくるなあ」とか「うまいこと、となりを流れてる川に落ちるようになってるなあ」みたいなことを考えるようになってるんですよね。

この柿の実の話は一例に過ぎず、一事が万事なのです。
この環境の変化が、僕のアタマの中を変えていってるような感じがしているのです。

この状況、自分でも興味津津なのです

だから、こうして朝起きて「さあ、今日のブログは何について書こう」と考えたときに思いつくことは、自然とこうして身の回りに起こってることばかりになってしまうのですよ。

「昨日抜いた根は、なかなかやっかいだったなあ」
「最近、イタチの姿見ないな。でも地面に落ちた柿が齧られてるから、いるのは間違いないな」
「裏の竹やぶにくる鳥の種類が、ちょっと変わったな」
「涼しくなったから、自転車で買い物行くの、全然苦にならなくなったな」

みたいなことばかりを考えてしまうのです。
当然、書く内容は日記と化してしまいますよね…。

たまには「木の根の抜き方」みたいな記事でも書いてみようかとも思うのですが、なかなか上手く構成できないのですよ。
僕自身、根を横に張るタイプの木と、地中深く伸ばしていくタイプの木の見分けが付いていませんからね。

それよりも今はまだ、この環境の変化によって自分のアタマの中が変わっていく様子が珍しくて、自分自身でも興味津々で観察している最中なのです。

「なんだか、完全に日記になっちまってるなあ」という自覚はあります。
だけど、しばらくはこのまま放置してみようと思っています。

だから、冒頭でも書いたように「もう、日記でいいや」なのです。
そのうちまた、気持ちを切り替えて、別のスタイルに変わるかもしれませんけどね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。