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ブログを書く習慣がついて、自分との向き合い方が変わった

2021.03.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

前にも書いたような気がしますが、思ったことや感じたことをちゃんと文字にして残すのって大切なことなんだなあと、あらためて感じてます。記憶や印象って時間の経過とともに変わるんですよね。それを上手く補正してくれるのが文章の力だと思うのです。

そろそろ開設千日目です

あと半月程度で、このブログを開設してから1,000日目がやっていきます。
当時、どのくらいの頻度で書こうかすら決めておらず「まずは、3ヶ月くらいは継続してみよう」くらいの気持ちだったし「100記事くらいは書きたいな」みたいな感じだったように覚えています。

有り体に言えば、そこらじゅうで「ブログ書いてアフィリエイトで小遣い稼ぎしてる」って発信してる人がいるから「オレもやってみるか」くらいのものです。

それが今では、毎朝の習慣となっています。

途中で義務感めいたものが現れては消えていた時期もありましたが、次第に「なんか投稿しないと気持ち悪い」と感じるようにすらなってきています。

開設当初に考えていた「検索されやすいワードを選んで記事を書こう」とか「他人の役に立つブログを目指そう」みたいな考えはいっさいなくなりました。
(参考:人の役に立つブログになってない。それでもいいか…

それでも毎月々初に「運用報告」という定形記事を投稿しているので、アクセス数とGoogle AdSenseの収益くらいは気にしているし、多いに越したことはないんですけどね。

もっぱら、自分の考え方を整理したり、ちょっとした思いつきを言葉として残しておくための、いわば「日記」と化していますし、我ながら「いい習慣ができたな」と思っています。

思いついたことを言葉にする習慣

いわゆる「ひらめき」や、身体を動かしている中で得た身体感覚みたいなものを「ちゃんと言葉にする」ということが、とても苦手でした。

「やったらできたんだから、それでいいでしょ」とか「こういうのセンスなんだから、いちいち言葉にできないよ」とうそぶきつつ「逃げ」を正当化していた時期もありました。

ぼんやりと「論理的な思考」を経ていることは感じているのです。
でも、それを他人に伝えるときの術を持たずに、やきもきする人生を送ってきていました。

こうしてブログを書く習慣ができて、頭の中にあるものを言葉にする訓練ができつつあるように感じています。

その昔、僕が通っていた小学校では、毎日日記を書くことが義務でした。
今でもそうなんでしょうかね?

大人たちは知ってたんですよね。
感じたことをそのままにせず、言葉に置き換えるのって、ものすごく大切なことなのです。
そのためには、ちゃんと訓練をすることが必要だし、そのための機会だったのです。

当時の僕は、その義務を果たせない子どもでしたけどね。

心の中にあるものを、口から発する言葉でもなく、感情を身体的に表現するでもなく、文字にするというところに特別な効能があるんですよね。

気持ちや感情の整理にもなって、メンタルに良い影響があるように思うのです。
書き残している自分の文章に、後からもう一度触れることで、そのときの感覚がもう一度蘇ってきて、そのときの自分といまの自分の間で、上手く折り合えることが増えるのです。

記憶の解釈って変わりますよね

むかしの体験とか、少し前に考えたことって、時間の経過とともに偏ってきますよね。
自分の都合のいいように改変されるといいましょうかね。

それを文字にしてみつつ、その文字にしたものを読んでみることで、上手い整理がついて「ぼんやり」が「くっきり」に変わるんです。

もちろんすべてを整理し尽くせるわけもなく、投稿後にも「なんかちょっと違うんだよなあ」と思い続けていることもいっぱいありますけどね。

それでも、自分と向き合うフォームが改善されつつあるような気がして、なかなか気分がいいです。

「考えてる」「誰かと会話している」だけでは認識できなかった自分の思考に気づくことができますからね。

それを「自分を客観視できるようになった」と表現していいものかどうか? は謎です。
どこかしらで、そんな物言いをしている可能性もありますけどね…。

千日行なんてつもりはなかったけれど

開設当初は「千日間、毎朝休まずに書き続けるぞ」なんてことは考えていませんでした。

でも「あと半月かあ」と思うと急に「この間、アクシデントがあって途絶えるの、嫌だな」なんて意識してしまいますよね。
「あと○日、あと○日」なんて逆算しはじめたりね。

それが嫌なので、ここで後何日とは書きませんし、当然カレンダーにも載せていません。

「今日が開設千日目です」なんて記事も書かないと思います。
よっぽどネタに詰まったら書くかもしれませんけどね。

前述の通り、思ったこと感じたことを言葉にする訓練ができつつある感覚を持てたことは、思いがけない収穫でした。

あと、もうひとつ感じている大きな変化は「完成度の低いものを公開するハードルが劇的に下がったこと」です。

匿名ブログとして運用していることもありますけどね。

「これをひと様に読んで頂くのは心苦しいなあ」とか「こんなオッサンの独り言、需要なんてあるわけ無いじゃん」と、以前だったら仕舞い込んでいたようなブログ文を日課だからという理由で投稿してしまうことの躊躇がなくなってるんですよね。

「ダメだ、今朝は何も書くことない。適当に『風がうるさいし、虫が出たし』みたいなことでも書こう」くらいの感じでチャッチャと書いて投稿した記事も多々あります。
昨日投稿した「寝る・食う・動く。自分じゃどうにもならないのが「寝る」だよね 」も、そうです。
ただ「夜中目が覚めて、睡眠不足だ。ツラい」ってだけの話ですからね。

ただ、あとから読み直してみると、そんなやっつけ投稿した記事の中に「そうそう、これこれ」みたいなことを書いてたりするんですよね。

変に格好つけずにダーッと書き進んじゃうからなんでしょうね。

と、まあ。こんなことを定期的に思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。