follow hagi.life

快適さを求めて「セミリタイア」とか「地方移住」とか考えてる

2018.08.07

最終更新日:2020年07月29日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

オッサンになると、心身ともに流動性を確保できなくなるんです、澱みますよね。年をとるほど人間関係が固定していきますからね。「仕方ないかな」とも思いつつも、社会性っていうか、付きう人たちは撹拌した方がいいと思うんですよね。新陳代謝だな。

流動性を確保する

人間のカラダが新陳代謝が悪くなったら不健康になるのと同様に、人間関係も流動的を失うと、どんどん居心地が悪くなりますよね。仕事のメンバーにしても、地域コミュニティにしても。
誰々が気に入らないとかいう話じゃなくて「変化しないこと」にフラストレーションを感じるんですよね。もちろん「固定化されていること」に対する快適性や安心感もあって、それは否定しないんですけどね。
「変化」と「固定」のバランスなのかな?

今の僕は、変化することに快適性を求めているようなのです。
それを「セミリタイア」とか「地方移住」という言葉で表現しているような気がしています。

子供の頃は、クラス替えがあったり、校区や受験で通う学校が変わったりと、強制的に新陳代謝がありましたね。大人になっても、転職やら配置転換、引っ越しなどで、新陳代謝の機会はありますが、だんだんと固定化してきますね。
年齢とともに「変わらない」ことのほうが居心地よく感じるようになるのは確かです。変化ってメンドくさいんですよね。
そしてどんどん澱んでいって、今の僕のように「自分の環境とか生き方、変えなきゃダメだ」って考える時期が訪れれるのですから、日頃から意識的に新しい人との出会いや、環境や行動を体験していかないとダメですね。

人間関係の断捨離

このブログでに「人間関係の断捨離」ってタグ使ってるんですよ。
ところで、断捨離って、やましたひでこ(山下英子)さんという方の登録商標なんですね。

断捨離:
断捨離(だんしゃり)とは、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想であり、やましたひでこ(山下英子)の著書において発表された。「断捨離」「クラターコンサルタント」は山下英子の登録商標である。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/断捨離(2018年8月7日現在)

まさに人間関係にこそ「不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想」を取り入れたいのですよ。割とこの考え方を意識して行動しています。
フリーランスだし、完全リモートで仕事していますから、割と恵まれている方だとは思います。
プライベートの会合の誘いでも、つまんなそうだったら「欠席します」のひとことだけをメッセージで送ることに躊躇しなくなってます。
結局、残るべき人は自然と残るんですよね。最適化されるんですよね。

「人脈なんて要らない」って話に持っていこうとしてるわけじゃないんですよ。
なにか物事を進めるのに「人脈」ってとても大切だと思ってますし、それに助けられたこともたくさんあります。
ただ、人脈を最適化する過程で、どうしても取捨選択は行われますよね。
増えていくものでもあり、減っていくものでもあると思うのです。
「うっとおしいヤツ」「ピント合わないヤツ」を遠ざけることに注力する方が、人的資源という観点からは効果的な気がします。仕事であれば「能力の不足しているヤツ」ってのも遠ざける対象になるでしょう。逆に、自分も遠ざけられる対象になるのですね。

場面によっての組み替えも当然おこりますよね。
ある、Aゲームのメンバーで「僕ら仲良し、このメンバーでBゲームもやろう」は、どうかな? と思うのです。

結局、人間関係を最適化するのって、快適なんだと思います。心地いいんですよ。

続けるための快適さって重要

仕事でも趣味でも、地域活動でも、なんだっていいんですが、生きてる限り、延々と何かをやり続けたいんですよね。
全部自分で考えて、失敗も成功も自分次第。その工程を止めたら終わり。延々と続けるんだから、続けるための快適さって重要ですよね、と。
快適さを求める作業も、延々と続けるんですよ。

定期的に「楽しいコトをやってるだけ」というシンプルな原則に立ち戻らないと、継続できないですよね。
こども時代から感じ続けている、何をやっているときが楽しいのか? わくわくするのか? できないと悔しいのか? を味わい直すことが大切だと思っています。そのあたりが「楽しいコト」の原点だったような気がするのです。
それをしないと、どうやったら今の自分が満足できるのか分からない。
なかなか言語化できないし、誰からも教えてもらえない。

だから、トライアル(試行錯誤)を繰り返すしかないんですよね。結果、良くもなるし悪くもなる。

成功か失敗かは善悪じゃない

楽しいコトを求めて、トライアル(試行錯誤)をしている過程で「セミリタイア」「地方移住」「田舎暮らし」みたいなことを思いついているのですよ。
今まさに行動に移そうとしているところなのですが「失敗したらどうするの?」と問われても「次のトライアルの糧にします」以外の言葉が思いつかないのです。
成功でも失敗でも、また時間が経ったら別のトライアルをしたがるに決まってますもんね。

トライアルできるフィールドに自分の居場所があることが「善」それを失うことが「悪」くらいに思っています。
トライアルを継続できることが「善」であり「快適」なんですよね。

こういうトライアルって「オッサン・オバサンになったほうが、ラクにできる」と思ってますよ。
住む所は確保してたり、なんらかの資産があったり、「あと○年後には年金出るさ」みたいな状況ですもんね。
「背水の陣で臨む」みたいな覚悟は要らないんですよ。好き好きですけどね。

もひとついうと、こういうのって特に「生きがい」とかそういうのとは違う感じがしますね。
「あなたにとって、何が生きがいなんですか?」って聞かれても「知りません」としか答えられません。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。