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住みたいところに住んでコンテンツを生み出す

2018.08.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

変化しないことに対する恐怖なんでしょうかね? 「都会で暮らしたいな」とか「田舎暮らししたいな」みたいなキモチって、交互にやってきますよね。螺旋階段みたいにクルクルまわりながら、次に出てくるときは前回よりもちょっと位置が変わってる。

地方移住って撤退戦なのかな?

高校生の頃って、とにかく都会へ行きたかったですよ。まあ、東京ってことになりますよね。
僕は当時バレーボールをやってたので「一番強いリーグに参加したい」「そこに集まってくる人たちと会話したい」「その人たちのプレーを見たいし、自分もできるようになりたい」って思っていました。
実際に入学したのは、千葉県にある大学だったんですけどね。

動機となったバレーボールって要素を除くと「見たい」「やりたい」「会話したい」にまとめられちゃうのかもですね。

大学の卒業時には、田舎に帰りたいと、都会で暮らし続けたいが半々でした。
体育学部だったので、故郷に帰って教員になりたかったんですよ。企業チームからオファーが来るような優秀な選手じゃありませんでしたから、競技は続けられないけど、指導者として関わり続けたいと思ってましたね。
同時に、東京での職業人体験もしたかったんです、漠然と。どんな職業に付きたいともなく。
この辺は、とてもいい加減でした。就職活動に関するニュースも目にしたんですが、あまり関心を持つことができなかったんですよね。
この辺の就職にまつわる話は、別の記事で書くかもしれません。

人生の途中で何回か「都市へ、また別の都市へ」と「まったりとした田舎へ」みたいな、移動の欲求が交互にやってくるのですが、一貫して「都市へ向かうのは、前進」「田舎へ向かうのは、後退」みたいな感情が自分のなかに生まれてきてたのですね。
結局、大学に進学してから今までの30数年間、大きな居住地の移動はしていないのです、ずっと東京近郊で過ごしています。

そして今、ようやく「山口県萩市でセミリタイア」を考えているのですが、同時に「田舎へ向かうのは、後退」という感情も芽生えています。「オレはこれから撤退戦に臨むのか」と。

撤退戦の最前線でコンテンツを生み出す

前項で、高校生の時に、都会へ出たかった理由を「見たい」「やりたい」「会話したい」にまとめましたけど、これってほぼテクノロジーで解消されてるんですよね。
だから「見たい」「やりたい」「会話したい」を残したまま撤退できるんですよ。
一般論として「地方移住は撤退」って言ってるんじゃなくて、「山口県萩市でセミリタイア」を決めた僕が今、ポジティブな意味で使用している「撤退」です。「純化」なのかもしれませんし「研磨」でもいいのかもしれません。

このブログのあらゆるところで「完全リモートワーク」の話を書いているように、仕事に関しては東京にいなくてもできるのです。
気の合う、一緒にいて快適な人たちと会って、ダラダラしゃべるためだけに、東京へ移動すればいいのです。

そうなれば、僕たちは単に住みやすいと思うところに住めばいいのですね。
自分が快適だと思うところであれば、どこに住んでもいいのです。「だから東京に住む」も全然アリです。
「だから東京に住みたくない」な人も増えてきますよね。僕がそうです。
親の問題だったりとか、生まれた街の行く末を気にしたいだとかはありますけど、景色が綺麗だとか、食事が美味しいだとか、住む場所を選ぶ要素っていっぱいあるような気がするのです。

僕は僕なりに、撤退戦の過程で、その最前線で「田舎暮らし」の楽しさ、快適さを見つけられると思うんですよね。
地元民でも旅行者でもない視点が得られると思うのです。
そういうものをコンテンツ化して、このブログなのか、また別の媒体を作るのかわかりませんが、コンテンツを生み出して投入したいのです。
結果「山口県萩市っていいじゃん」と、自分が住む場所の価値がちょっとでも上がるとうれしい。
街の中から「自分もこんなブログ書きたい」「媒体作りたい」って真似してもらえると、もっとうれしい。

都市 vs 地方である必要ない

なんとなくなんですけど、「田舎の方が暮らしやすい」って思ってる人って、わりと多いんじゃないですかね? 便利さとか物量みたいなものだったり、仕事の多さとかで都市と比較して「やっぱ東京が暮らしやすいよ」みたいな感じになってたんだと思うんですけど、これからは、そういった要素ってだんだんなくなってくると思うんですよね。

地方は、今そこで生活して働いてる人たちが不自由じゃなくなりつつあるように思うのです。
今までは、田舎だとできる仕事も限られていろいろ不自由があったんだけど、どんどん解消されつつあるんじゃないかと。
逆に考えれば、田舎であることを言い訳にする必要がなくなるのですね。
「ここは田舎だからそんなことはできない」も「こんな田舎でそんなことやっても意味ない」も両方。
田舎にいても、やりたいことがあれば、どんどんやればいいのです。今後、楽しいことが、どんどん起きていくんじゃないかな、などと思っています。

それと、わざわざ「この街のオリジナリティ」を発明しようとしなくてもいいんじゃないでしょうかね?
みんなそれほど「オリジナリティ」って求めてないような気がするんですよ。
みんな「普通」「定形」「標準」に安心感を覚えるんだと思うんです。
今、どこの自治体も魅力をアピールするのに躍起ですが「あれがあります」「これがあります」よりも「この街に住んでる人たちは、こういう生活が好きなんです」「だからこうなってるんです」って単純になことをコンテンツにしていって、その街らしさが出たものを後付で「オリジナリティ」って言っちゃえばいい話だと思うんですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。