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住む場所って、人生を左右しますよね

2018.08.18

最終更新日:2018年09月12日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

山口県萩市に帰ってセミリタイア生活をすることが、このブログ全体のテーマです。そして「みんなも僕のやり方を気に入ったら、真似してみてね」というメッセージも込めているつもりです。しかし一概に「地方移住のススメ」を書くつもりなどないのです。

居住地に何を求めるかは、人それぞれ

ネット時代になって、完全リモートワークが可能になったことが「山口県萩市でセミリタイア生活」を僕が望むようになったきっかけです。
それまでに、

  • ドキュメントのやりとりがPDFになり、FAXを撤去する
  • ネットで大容量データを送れるようになり、バイク便を使わなくなる
  • VPNサービスの利用で、移動しながら固定IPを利用できるようになる

など、徐々に物理的に固定された位置にいることが必須じゃなくなっていったんですけどね。

だから僕は「住む場所は、もうどこでもいい」と思ってるし「どこでも稼げるし、どこでも仕事ができる」と思ってますし、そのように行動をしようとしているのです。
もちろん「どこに住むか」はその人の価値観によって大きく満足度が異なるため、一概に「地方がいい」「都市がいい」などということなどできませんよね。
個人々々が好きなように考えて行動すればいいと思うのです。

ただ、学齢期の人たちや、駆け出しの社会人にの人たちに、

  • 「東京や海外の大都市に行かなくても、田舎に残ってなんでもできる」
  • 「東京の50万円よりも、田舎の30万円のほうが豊かな生活ができる」

と、地方移住や地方に留まることを勧めたり、誘導するのは反対です。
むしろ「都市に出ていった方がいいよ」「多くのお金を稼げるところに行ったほうがいいよ」と勧めたいと思うのです。

高校卒業後に地元に残って、農業に従事することを決めた子は「田舎に残ったからエラい」のではなくて「自ら人生の選択をしたからエラい」のです。

お金と仕事は都市に集まりますよ

高い収入を得られる仕事は、都市に集まりますよね。「お金が欲しい」「面白い仕事に就きたい」のであれば、間違いなく都市を目指すべきだと思います。
都市同士も競争をしていますから、その中でも「新しい産業」がどんどん集まって来る都市を選ぶべきだと思うのです。

学歴の高い低いに関係なく、人生の中で一度は、イノベーション産業が集まる都市に居住する時期を作るべきだと考えています。
都市部は住宅費が高いので、少々収入が増えたくらいでは、生活水準を上げるに至らないかもしれません。
それでも「豊かな地域」「仕事の種類の多い地域」に居住する経験は、視野を拡げるために役立ってくれると思うのです。
高い賃金を得ることができない低技能労働者であっても、都市の郊外であれば、住宅費を安く抑えることは可能なので、都市居住の恩恵を受けることは十分に可能だろうと思います。

その上で「都市に居住し続ける」「田舎に移住する」の選択は各人がすればいいと思うのです。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということはないと思います。比較して考えればいいのです。

集積する理由ってあるんです

ネット技術によって「住む場所はどこでもいい」時代になってるのに「面白い人」「優秀な人」って都市に集まるんですよね。
たぶん「集まる」って行為が重要なんじゃないかと思うのです。
「ならば、ネット上で集まればいいじゃん、物理的な位置は関係ないじゃん」ではあるのですが、仕事じゃなくて、ただダラダラ話しながら楽しくて快適な時間を共有するとか、優秀な人のフォーマット化されてない思いつきを五月雨式に耳にするとか、そういう「交流」「学び合う」「刺激し合う」みたいなところから受ける恩恵ってバカにできないと思うのです。

また、人が多く集まる場所では、グループが細分化されますから、テーマごとに「楽しく快適な」人を選択しやすくなるのだろうと思うのです。組み合わせを最適化できるんですね。
また、多様な深い知識と知見を持つ専門家が集まる場所では、それまでにない「組み合わせ」が発生する可能性が高くなりますし、新しいモノや考え方が生まれやすくなるのですね。
そういう場所には、さらに多様な人々が集まり、組み合わせは更新される、と。好循環が起こりやすい状態にあるんだろうと思うのです。
自分に良い刺激を与えてくれる人と出会う確率も高まりますし、人が集まる場所の労働市場はどんどん大きくなりますから、新しい職業を目にする機会も増えてくるのです。
当然、良い雇用をしたがっている会社もその都市に集まります。

「住む場所はどこでもいい」し「どこでも仕事ができる」からこそ「人的な豊かさ」だけを求めて人が移動するのだと思います。

だから「セミリタイア」なのですよ

「都市は豊かだから、都市に行け」という話をしている僕が「山口県萩市でセミリタイア」というテーマのブログを書いているわけですが「セミリタイア」だからこそ「山口県萩市」を選んだのですよ。
僕は50歳代の中盤なので、次のゲームは違うルールでやってみたいのです。もうちょっとユルいゲームを楽しみたいのですよ。

これから、東京・名古屋・大阪などの都市部と、萩市を含む地方の格差は開く一方だろうと思っています。
日本も「製造業で外貨獲得」では先が見えているので、先進的な知的産業の育成が不可避だと思うからです。そうすると前述の「豊かな人的資源は都市に集積する」状態に拍車がかかり、都市間格差はどんどん開いていくのだろうと思います。

僕が高校を卒業した昭和の時代にはすでに、進学校・普通校を卒業したものは、大学に進学し都市部で就職。そうでないものは、各工業都市に移住して就職、もしくは地元に残る傾向がありました。
大学を卒業して満足のいく就職ができなかった者よりも、商業・工業高校から大企業に雇用された者のほうが、生涯賃金が高いという現象は、珍しくもなんともない年代です。
その当時と比べ「全国の工業都市に就職」という枠が格段に減っていますので、都市組と地元組の格差はさらに開いて行くのだろうと思います。

「どこに住むか」で、人生が大きくわかる時代になっているのだと思います。もしかして「どこで生まれるか」なのかもしれません。
仕方のないことだと理解をした上で、少しでも抗いたいのです。
前に「面白い人、優秀な人は都市に集まる」と書きました。同様に「地方に集まる」でもいいと考えているのです。
「面白い」「優秀な」の概念が、都市に集まる人々と違えばよいのです。

僕は「人生の終盤で、ユルいゲームを楽しみたい」から、そのフィールドとして山口県萩市を選びます。
僕が、1軒だけ空き家を購入したら、月に1度だけ割烹で食事をしたら、ほんの少しだけ萩市に納税できたら。
その分だけ「地方に集まる」に貢献できるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。