follow hagi.life

セミリタイアしたら、労働時間もっと増えちゃうんだろうな

2018.10.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

たぶん僕って社畜体質なんですよ。といってもフリーランスだし、経営者なので「ひとり社畜」ってとこですかね。そもそも仕事とプライベートを分けようという気がなかったりするんですよね。ずっとこれなので、良し悪しを考えることすらなくなりました。

もうセミリタイア生活、始まってるんですけどね

完全リモートワークで働けるようになったし、東京と田舎(山口県萩市)を行ったり来たりする生活を開始したり、新規案件の受注を無期限に停止してもらったりしたので、事実上はセミリタイア生活が始まってるのですよ。

僕はサラリーマンではないので、明確な退職日とかありませんから、なだらかにセミリタイア度が高まっていく感じなんでしょうかね。
現時点では、要件を挙げればセミリタイア生活を始めているのですが、まったく実感がない状況です。
なのでまだ「今後、セミリタイアしたら…」みたいなことを考えますね。

新規案件の受注は停止しましたけど、進行中の案件が数本あるし、運用もしばらくありますからね。
僕の主な仕事は、マンションデベロッパーの物件サイトの構築と運用なので、物件が完売するまで運用が続くのですね。逆に言うと、完売すれば解放されるので、手離れのいい案件が多いのです。
初動からサイトクローズまで数年かかりますが、引き継ぎせずに離脱できるタイミングが必ずやってくるのですよ。

おそらく、全案件が運用フェーズになったときが「第一段階」、全案件がクローズしたときに「第二段階」みたいな感じでセミリタイア度が強まってくるのだと思うのです。

ひとり社畜

今やってるクライアントワークが徐々に少なくなり、近い将来、限りなくゼロに近づいても、労働時間が減り、余暇の量が増えるなんてことはないと考えています。
このブログをはじめたばかりのときにも、こんな記事書いてました「頼まれない仕事を増やそうと思ってる」。

いつも自分の中で「クライアントワークは減らしていくけど、働くことをやめるわけじゃないよ」ということを繰り返し考え続けてるのですよ。
僕は仕事とプライベートを分けることがものすごく苦手で、むしろ「その方が効率いい」って思ってたくらいです。
「生涯現役」みたいな感じでもなくて、「ゲームが好き」とか「生産活動をし続けたい」とか、そんな感じですね。

僕はフリーランスですから、時給労働的な概念を持ってないのですよ。成果物で評価されますからね。
強弱はあるにしても、ずっと仕事のことを考えてるんですよね。逆に、仕事のときもずっとプライベートのことを考えてたりもしますけどね。
どこかに出勤するわけでもないし、上司っぽい人に見張られてるわけでもないし、サラリーマンの方とは労働に対する概念がそもそも違うのかも知れませんが、なんか知りませんが、ず〜っと仕事のことを考えている(働いている)のです。

実際に手を動かしてるのは、1日2時間とかだったりもするんですけどね…。

そんな感じで働いてきた僕も、50代のオッサンになったし、不動産と金融資産の運用益で生活すれば、どうにかなるので「生活のために働く」ではなくなったのですよ。
なので今、新しいゲームを始めようとしているのです。そりゃ「ハマっちゃうだろうな」「1日の大半をそれに使っちゃうんだろうな」って予想しますよね。

目指してるものの解像度が上がるという快感

何か新しいことを始めるときって、なんとなく未来像を持ちますよね。
どの時点で、どういう成果を上げたいのか? 自分がどう変わっていたいのか? ってところでしょうかね。

それに向かって、コツコツと日々の努力を継続していくのですが、ずっと続けてると、未来像の解像度が上がってくるんですよね。
それが、ものすごい快感なのですよ。

当然、一番最初に思い描いた未来図も、そのときの自分にとっては充分に鮮やかなものだったはずなのですが、それに向かっていくにつれ、もっと鮮明に感じるようになるので、前に向かうスピードがどんどん加速していくのですよね。

当然「ハマる」し、長時間それを続けることになるので「ひとり社畜」ができあがっちゃうんですけどね。「セルフ・ブラック」なんて言い方もしますね。
僕に限った話じゃないと思いますが、快感だから長時間やってるんですよね。

今のところ「やる気」ありません

労働時間なんて概念失くしちゃって、一日中やってるわけですから、もちろんダラダラ時間もありますよね。むしろ、ダラダラグズグズやってるやってる時間の方がメインかもしれません。
半分ボーッとしながら、仕事に関する連想をしてたり、関連する事柄をネット上でググり巡ってたりしつつ、「あ、これ」って思いついたときに、ガッて集中できるための準備でもあるんですよね。

10年くらい前は、この状態に罪悪感持ってたんですよ。「作業時間✕集中力によって成果物のクオリティが決まる」なんて思ってましたからね。
ダラダラやってる自分を「やる気が出ないな〜」などと感じつつ、「やる気」を出す努力みたいなことをしようとしていました。

たぶん「やる気」なんてありゃしないんですよ。
「やる気」があるから、何かを始めるんじゃないんですよね。何かを始めたあとに楽しくなって「もっとやりたい」と感じる快感のことを「やる気」って言うんじゃないでしょうかね?

前項で触れた未来像に関しても、ちょっと解像度が上がったあたりで「やっぱりこれだよ! もっとやろう」って感じるのが「やる気」なんだろうと思います。
「なんか、これじゃない気がする、撤退しよ」ってなることもありますが、それは「やる気がなくなった」のではなく「やる気が生まれてこなかった」のではないか、と。

とりあえず「いろいろコンテンツを生産したい」って思ってるのですが、今のところ、それほど「やる気」はありません。
今書いてるこのブログに「ちょっとハマり始めてるのかな?」という感触はあります。PV(ページビュー)とか、広告からの収益とかの目に見える成果が出始めると、急速に「やる気」が出てくる予兆は感じています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。