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見覚えの精度

2020.11.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

なんとなく「この人、見覚えあるんだよな」と感じることが増えてきています。ここ山口県萩市は、僕が高校卒業するまで暮らした街だから何ら不思議はないんですけどね。でも時間の経過とマスクのせいで、いまいち見覚えの精度に自信が持てないのです。

みんなマスク人だから仕方ないんだけどね

このブログで何度も書いているように、僕は約38年間暮らしていた東京を離れて、山口県萩市に移住してきています。
東京のマンションは売却して、萩に家を購入してしまったので、もう完全に「萩の人」なのです。

萩はもともと僕が生まれ育った街です。
高校を卒業して、大学に進学するまでずっとこの街で育ちました。

だから街の様子も覚えているし、知ってる人もたくさんいるのです。
街も人も、見かけはだいぶ変わっていますけどね。

街に関しては「お、あたらしい道できてる。通ってみよ」とか「そういや、ここにお店があったよな。そっか今は空き地かあ…」などなどと昔を懐かしんだり、ちょっときれいになってる「我が街」が嬉しかったり、感慨もいろいろなのですが、相手が人となるとちょっと反応に迷いますよね。

「飲み会だよ。誰々が来るよ」みたいに最初っからメンバーが分かってれば、どんなにビジュアルが変わっててもなんとなく、その人が誰であるかを特定できるんですけどね。

たとえばスーパーですよ。

週になんどか食料品や簡単な生活用品を調達をしに、スーパーへ行くのですが、ときどき「この人、中学校の同級生じゃない?」なんて人を見かけるのです。

ただ…、なんせ40年以上ぶりなので、お互いにかなりビジュアルが変わっているし、特に相手が女性だとお化粧しているし、男性でも頭髪の関係でいまいち確信が持てずに判断に悩むのですよね。

その上、いまはコロナ禍のため、屋内に入るときはマスク必須ということになっていて、顔の下半分が隠れているのです。

すれ違う数秒の間に「おっ、誰々じゃん」って結論付けるのって非常に困難ですよね。

「よっ、久しぶり」って声をかけていいものかどうか…。
お声がけした人が、もし本人じゃなかったらとても気まずいことになりますしね。

そのうえ、もし本人だとしても「おう、久しぶり」以降の会話が弾むとも限りませんしね。

結局「なんとなく、知り合いな気がするんだよな」と思いつつ、通り過ぎることになるんですよね。

そっか。田舎は街なかで知人と会うことが多いのか

こんな感じだから、せっかく昔住んでいた街で再び暮らし始めたのに、古い知人との偶然の出会いってこの3ヶ月弱の間に1回しかないんです。

その1回は早朝、僕はランニング、先方は犬の散歩なので、お互いにノーマスクだから気づいたんですよ。
しかも「あれ? もしかして」を3回くらい繰り返しましたかね。

僕は走ってるし、向こうは犬に目をやってるからうつむき気味だし。
何度か「おはようございます」って挨拶だけを交わしてすれ違いながら「うん。やっぱり間違いない」って思って声をかけたら本人でした。

こういうのって、ありそうでなかなかない体験だと思うんですよね。

たとえば同窓会とかで何十年ぶりかに同級生と会う、なんてシチュエーションはよくあります。
この場合「ここにやってくるのは同級生」っていう先入観があるから、少々ビジュアルに変化があってもなんとなく誰が誰だか分かっちゃうもんなんですよね。

いや、当然例外はあるけれども…。

でも、特にずっと東京なんかの人の多いところで暮らしてると、街なかで知人に会うなんて非常に稀なのですよ。
もしかして、すれ違ってるのかもしれませんけれども、いちいち他人の顔を見ながら歩くわけでもありませんしね。

約38年間暮らした東京で「住んでる街で、近所の人と会う」のは別にして、ビジネス街や繁華街を歩いていて偶然知人と会った(ことに気づいた)ことなんて10回もないんじゃないでしょうかね。

まあ、そもそも僕は自分から「見つける」よりも「見つけられる」ことのほうが多いので、そのへんの感覚が鈍いような気もするんですけどね。

改めて「そっか、田舎の人って街なかで知人に出会う機会が多いのか」と気づいています。

ちょっと考えればわかることだし「そういや盆暮れに帰省したときでも、飲みに出れば誰かしらに会ってたもんな」なんてことも思い出すのですけれどね。

どういうわけだか、まるっきり頭の中から抜け落ちていました。

このまま続くのか? いつかはみんなマスクを取るのか?

そんなふうに考え始めると、街なか、とくにスーパーやショッピングモール内にいるときの目の配り方がちょっと変わりますよね。
なんとなく「この中に知った人、いるんじゃなかろうか」なんてことをアタマの片隅に置きながら行動することになるんですよ。

みんなもそうなんでしょうかね?

巷間「田舎は監視社会だ」みたいなことを言われますけどその正体って、あんがいこんなことだったりするのかもしれませんね。

「あそこにいる人、なんか見たことあるぞ」とか「前から歩いてくる人、近所の人じゃなかったっけ?」みたいな感じで、知り合いだったら挨拶してちょっとした立ち話をしたりね。知らんぷりはちょっとイヤですもんね。

そのための準備行動として常に「視界の中に、知り合いいるんじゃない?」がいつもアタマの中にあるんじゃないでしょうかね。
なんとなく、そんな気がします。

東京みたいな都市部で暮らしてると「この場に知り合いなんて、まずいないでしょ」が前提ですから、そんな思考にならないのですよ。

ただ、今はみんなが顔半分をマスクで覆っていますから「知った人」とすれ違っても上手く判別できないんですよね。

特に僕の場合の「知った人」は、40年くらい前に交流の会った人である可能性が高いので、まずは「知った人」よりも「見覚えのある人」として気づくことが多いのですよね。

あまりにも時間が経過しているし、マスクをつけているしなので「なんとなく見覚えありそうな感じなんだよなあ」で、通り過ぎています。

時間の経過は仕方ないにしても、せめてマスクだけでも外して暮らせるようになると状況は変わってくると思うんですよね。

逆に「マスクのおかげで、知人に気づかれずに済むから楽」とか「マスクのせいで気づかなかったことにしよ」なんて利点もあるんでしょうけどね。

とりあえず僕は、いまいち情報量が少な過ぎて、自分の見覚えの精度に自信が持てないことにモヤモヤしているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。