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あまり「運」って言葉、使わないほうがいいのかなあ

2018.07.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分の成果を讃えられて「運がよかっただけです」と謙遜してみたり。他人の努力を否定したくて「運がよかったんですね」と嫌味を言ってみたり。どうも実力ではない「偶々働いた、実力外のチカラ」の存在を示すために「運」という言葉を使いますよね。

「運」って準備のことなんじゃないの?

常に自分の中に想定問答集を持ってるようなもんでしょうかね?
「なんで、このタイミングでそんなすごいことができるの?」ということのほとんどは「こういう場面なったら、こういうふうに処理しよう」という準備に支えられていて、ひとつの「すごいこと」の裏にはアウトプットする機会のなかった用意が膨大に存在するんだと思うんですよ。
それはスポーツでもサービスでもプロダクトでもジョークでも。
それを日頃から訓練してて、日常的にそんなにすごいと思われなかったり、「え? なんで今そんなことするの?」って思われちゃうことを延々とやり続け、修正し続けてるんだと思うんですよね。

いわゆる「カラダで覚える」作業を繰り返してるんじゃないかと。

そしてその行為自体が「運」を発揮するための下地づくりなんじゃないかとも思うのです。たぶん「運」
って、そこそこの才能を認められて、はじめてそれを発揮する機会が与えられるんだと思うんです。
だって「目をつぶってバット振ったらあたりました」「毎日2,000回素振りしてたんです。それが報われました」って、それ以前にバッターボックスに立つ機会を与えられてるってことじゃん?

「バットは目をつぶって振るべき」「成果を得たければ、毎日2,000回素振りするべき」ってことじゃないんですよね。ここでいう「素振り」って、やみくもな反復練習という誤解のことね、方法論のことじゃなくて。
こういうのって「すごいこと」ができた後に、盛り付けるためのストーリーに過ぎなくて、本質はそれまでに延々と繰り返してきた準備なんだろうと思うのです。

とはいえ「偶々(たまたま)」に支配されますよね

「運は準備。自分でなんとかできるんだぞ」って思いながら生きているのではありますが、すべて自分が考えたとおりにできてるはずもなく、自分ではどうにもできない場面に遭遇することも多々ありますよね。
で、ググってみたら、

運:
運(うん)とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/運(2018年7月28日現在)

って書いてある…。やっぱり、自分ではどうにもならないことを指して「運」って言うっぽいな。
読み進んでいくと「意志の力や祈りで運(幸運・不運)を変更できるとする主張が多い」みたいな記述もありますが、一義的には不確実な事象として語られるべきもののようですねえ。

たとえば、自分が得意なことと時代背景の関係なんてそうですかね。
「自分が得意で好きなことが、たまたま時代に合うかどうか」ってすごく需要ですよね。みんな得意を好きになり、好きなことだから、もっとがんばって成功しているんですよね。
ただその部分が、時代に求められてることなのか、そうでないのかで、自分の評価は全然違ったものになりますよね。
これはやはり「(自分ではどうにもならないタイプの)運」だな、と。

ならば、前述の「(準備によって成果とすることのできるタイプの)運」は、他に呼び方あるんでしょうかね?
これこそを「実力」って呼ぶのでしょうね。

深く考える意味、あまりなさそうだね

いろいろとググってみましたよ。
ここでは紹介しませんが、宗教的な文脈だったり、スピリチュアルな人々が「運は操ることができる」的なことを多く書いておられますね。
それだけ、定義が定まってないと言うか、どうにでも取れる概念なのかもしれませんね…。

この記事を書こうと思ったきっかけが、何年か前に初めて同席した方に言われた「へえ、ずいぶんと運がいいんですね」という、ものすごく嫌味を含んだ言葉、僕がそう感じた表情だったのです。
あのときの記憶が、今でもときどき思い出されるんですよね。たぶん言ったご本人以上に、僕がわだかまってるんでしょうね。

その方は最初、僕の経歴にすごく興味を持っておられたようでした。同業者と括っていいのかどうかは不明ですが、近い業務をなさってる方でしたね。お話を聞く限り、僕よりもはるかに華々しい経歴をお持ちのようにお見受けしていました。
最初の頃は、ひざを乗りだすようにして聞いておられたんですけどね。
話が、デザイナーとしての話から、フリーランスとしての話に移ったころでしょうか、急に能面のような表情になり、僕を蔑むような表情を作りながら「へえ、ずいぶんと運がいいんですね」という言葉をおっしゃったんですね。
その言葉を言いたかったのではなく、話を遮りたかったという印象を受けました。

「え? なんだ、この感じ」とは思いましたが、すぐに座が崩れて、それ以降その方とはお会いしてないんですけどね。
「その方もフリーになりたかったけど叶わず、僕のフリー話を自慢だと受け取ったのかな?」とか「フリーは苦労してるのが当たり前、聞きたいのはそんな話じゃない、だったのか?」とか、いろいろ想像はしてるんですけどね。
「運がいいんですね」という言葉の向こうに「それ、あなたの才能じゃないよね。実力じゃないよね」という含みを感じたのです。

そのときたしか「はい、いろんな方に助けられてます」と答えたのが最後だったと記憶しています。
「はい、運がいいです。誰に生まれてきたかで、すべてが決まりますから」って答えてみれば面白かったと、後になって後悔しています。そういう想定ができていなかったので、準備をしていませんでした。
やはり「運」というのは自分ではどうにもならないものなのか……。

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