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何かを始めるとき。「ナメてる」くらいがちょうどいい

2018.10.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

どっちみち、何かを本気で始めると、先人たちを尊敬せずにはいられなくなるものなのですよ。入り口くらいは「そのくらい、オレにだってできるよ。ちょっとやらしてみ」くらいの感じでちょうどいいと思うのです。ちょっとナメた感じでいいんだと思います。

ちょっとナメてるくらいが、行動しやすいんですよ

「あこがれ」と裏腹なのは承知の上なのですよ。
自分の人生の転機となるような選択をするとき、まず最初の一歩を踏み出すときに必要なのは、「あなどり」だったりするんですよね。

高校生のときにバレーボール部だったのですが、県でベスト8にも入れない弱小チームでした。それが、進路を考えるときになって「一番強い大学に進学したい」と思うようになってたんですよね。
当時、一般誌にも特集を組まれるようなスター選手を要して、インカレや関東リーグで優勝していたチームです。
当時は、Youtubeなんてなかったし、大学バレーはTVで中継されてませんでしたから、バレーボールの専門誌での記事を読むくらいしか情報収集手段がなかったんですよね。
当時発刊されていた月刊誌を毎号買って読んでいたのですが、いつしか「オレもここでバレーやりたい」と思うようになっていたのですよ。まずは「あこがれ」たんです。

田舎の高校生ですからね「弱いチームにいるから、オレのチカラが発揮できてない」とか「指導者がよくない」とか、自信過剰気味にいろんなことを他人のせいにしながら、自分を庇ってましたよね。
「環境さえ変われば、オレは変わるよ」みないなことをいつも考えてました。
そしていつしか「このくらい、オレにだってできるだろ」という「あなどり」の気持ちも芽生えてきたんですよね。

結局、1浪しましたが合格して、志望通りの大学のバレーボール部に4年間在籍しました。
そして、そこで競技生活を終えることになったので、その程度のプレーヤーだったということですね。

ここで言いたいのは「あこがれのままだったら、受験してなかったかもな」ってことなんですよ。
もう40年近く前の決断なので、記憶はあいまいなのですが、その後も似たような感覚を繰り返すのです。今だってそうです。
だから当時を振り返って「オレ、ナメてたから受験したんだろうな」と思うに至っているのです。

崇めちゃうと、足が止まりますよね

その後も、デザイナー(最初は印刷物だったんです)になったり、フリーランスになったり、舞台公演をプロデュースしたり、Webデザイナーになったり、そして今「ブロガーになりたい」と思ってこうして記事を書いているのですが、いつの場合も最初は「こんなことやりたい」「こんな人みたいになりたい」から始まりますよね。

そして先人たちが書いたもの、受けた取材などを見聞きして情報収取します。
その過程で「あこがれ、羨望、嫉妬」から始まった感情を「このくらい、オレにだってできるだろ」という、あなどりに変換することで、行動のハードルを下げる工程を必ず経ています。

おそらく「すげえな」「オレもこんなふうになりたいな」とあこがれているうちは、足が止まって行動するに至らないと思うんですよね。

僕は今、フリーランスのWebデザイナーです。
若い人に限らず、僕より年長の人でもいいんですが、「事務所やめてフリーになりたい」「これから勉強してWebデザイナーになりたい」という人がいたら「僕ごときでもできたんだから、きっとできますよ」「僕に相談するよりも、チャッチャと動いちゃった方が早いっすよ」って言うことにしています。
やりたいんだったら、やった方がいいに決まってるじゃないですか。
うまくいかなかったら、別の「これやりたい」を見つけて、また行動すりゃいいんです。

大丈夫です。始めちゃったら、ナメっぱなしってことにはなりません

たぶん「フリーランス、ナメんなよ」とか「デザイナーなんて簡単に食える仕事じゃないよ」みたいなことをいう人もいると思いますが、無視していいんじゃないですかね?
僕調べに過ぎませんが、フリーランスにも、デザイナーにも限りませんが、どうやら「じゃない人」に限ってネガティブ反応をする傾向にある気がしてるんですよね。

行動に移すまでは、ナメててもいいんですよ。
実際に何かを真剣にはじめて「このフィールドで自分のポジションを得たい」とか「この仕事でお金稼ぎたい」と思うようになると、ほとんどの人は、先人をナメたり、あなどったりできなくなりますから。

何かを始めると「力不足、無力、萎縮」と「上達、成長、進歩」がずっと入り混じり続けるんですよね。
僕、50代半ばのオッサンですが、今でもそうですよ。

何かを始めたとき、最初は最後尾からのスタートですから、自分の前を多くの先人が走ってることにうんざりするのです。
「コイツらを抜かさなきゃ、自分は何者にもなれない」って思いますから、努力しますし学習もしますよね。そうすると成長しますから、目の前のランナーを抜かすことができるのです。

ひとりを追い抜いたから、先を走る人がひとり減ったかというと、そんなワケなくて、ひとり抜かして視界が開けたことで、もっと多くの人が自分の前を走ってることに気づくのです。それの連続なんですよね。

「新しいことをひとつ知ったら、それが原因でわからないことが増えた」みたいなのに近い感覚なんでしょうかね。

おそらくあとになってから「あのときのオレ、ナメてた…。バカだった」って後悔することになるんですよ。でも「ナメてた」からこそ簡単に行動に移せて、「バカだった」と気づくまでに成長できるんですから、やっぱり、何かを始めるときには「ナメてる」くらいがちょうどいいんですよ。

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