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仕事をやめても、承認欲求を満たし続ける

2019.04.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

そんな感情があることが恥ずかしくてイヤだったからなのか、これまでの人生において、自分の中の「承認欲求」をちゃんと認識していなかったのですよ。それがオッサンになった今「承認欲求あるぞ」「ちゃんと向き合うぞ」みたいな感じになっているのです。

そういえば最近「承認欲求」が満たされてないな、と

完全リモートワーク状態になり、ほぼ1年が経過しようとしています。
かつ、新規受注を停止する宣言をすることで、ひたすら仕事が減り続けゼロになることを待ち続ける、セミリタイア生活をしつつ、長期休暇への突入を心待ちにしている状態なのです。

タイトルで使った「仕事をやめる」という表現について前もって補足をしておきますが、サラリーマンの方々がイメージする「会社をやめる」とは少しニュアンスが異なるのですよ。
僕は、50代半ばのフリーランスのWebデザイナーなのですが、「デザイナー業をこれで終わりにする」ということなのです。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

また、僕は自分の法人を持っているのですが、それは今のところ、ずっと残し続けるつもりでいます。
法人税や決算の負担に耐えられなくなれば、休眠させる可能性はありますが、働くための足場として使い続けるつもりではあるのです。

さて、本題の「承認欲求」ですが、最近よく考えるのですよ。
働き方が、完全リモートワーク化して依頼、あまり満たされていないのですよね。

承認欲求:
承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「認められたい」と思う気持ちのことである。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/承認欲求(2019年3月4日現在)

ということらしいのですが、まず人と会わなくなりましたから、会話の中から「認められてる感」を得ることがなくなりましたよね。
その上、新規案件の受注を断っていますから、指名発注の声を聞かなくなったのですよ。
「失ってはじめて分かる」ってヤツですね。

たまに、メールの文言や電話の会話から、小さな「認められてる感」を見つけ出すことができる程度になっているのです。

「承認欲求」を動機にしつつ行動してた

僕はもともと、承認欲求が強いと思います。自分の人生を振り返ってみると、バレーボールが日本で一番強い大学チームでプレーしたくなったり、体育学部卒なのにデザイナーになりたがったり、市場評価をまともに確認もせずにフリーになったり、シロートのくせに舞台作品をプロデュースしたり、基礎的な知識ないのにWebに軸足移したり…。

これまでの自分の行動を顧みると「ちょっと人と違ったことをやりたがるオレ」を他人に面白がってもらいたがったのだと思いますよ。
もちろん、根底には自分自身の「これやりたい」が強く強くあるのですが、間違いなく承認欲求が行動に移すときの動機になっています。
「なんでもいいから、とにかくやってみろ」って自分に思い込ませるためのパワーの源が承認欲求だったように思います。

理論的に正しいことを行動に移すんじゃなくて「他人に思われたい自分」になるために行動し続けてきたように思います。

ところが、今やってる「仕事断りました = セミリタイアしました」も「仕事やめます = 長期休暇に入ります」も、他人に面白がられたいという感情がいっさいなく、自己消化しちゃったような感じなんですよね。
雑な言い方をすれば、どこかしらで「メンドくさい。や〜めた」って放り出したような感じなのですよ。

行動し始めてから「あ、承認欲求が満たされなくなっちゃってるじゃん」と、気づいて寂しくなってる次第なのです。

昨日投稿した「[フリーランスの老後]遊ぶともなく、働くともなく」で書いたように「生産的な趣味」と呼ぶべき、ユルい作業をやり続けることになると思うのですよ。
このあたりが、ずっと考えている承認欲求との折り合いの付け方なのだろうと思います。

「承認欲求」の存在を認めて、向き合い直して…

実は、ずっと自分の中にある「承認欲求」について、まともに考えたことなどなかったのですよ。そんな欲求が自分の中にあることが、ちょっと嫌いで、ちょっと恥ずかしかったんですよね。「他人に認められたい」行動ばかり取ってきたクセに、です。

オッサンになったからでしょうかね? 「オレ、承認欲求強いわ」って自分で認められるし、普通に口にも出せるようになっちゃってますね。
そうやって自分で認められるようになると、さじ加減みたいなものを考え始めるんですよね。
「承認欲求はこのくらい満たされれば、たぶん大丈夫。あとは、できるだけラクな方がいい」みたいな感じだったり「これに関しては『スゴい!』って言われたいけど、これは自ら『実はね』って語りたい」みたいな変なストーリーを妄想し始めてたり…。

そうやって「承認欲求をコントロールしてるオレ、面白いでしょ」というアピールをするという方法で、承認欲求を満たそうとしてる、とも言えるのですが、このへんは考え詰めても堂々巡りにしかならないので、適当なところでヨシということにしておきます。

おそらく、他人から認められたい自分の姿も年齢とともに変わり続けているのですよ。
高校卒業時に思ったような「一番強いチームの中でポジションを得て活躍したい、注目されたい」みたいな欲求なんて、もうまったくありません。
「デザイナーとして信頼しています。あなたと一緒に仕事がしたいです」みたいなアピールは、すごく嬉しいし、ひとりでニヤニヤしてる…。でも「加齢とともにだんだんと慣れつつあるな」と感じはじめてるし、「こういうの、いつまでも続かないんだよな」っていうカウンターパンチみたいな感情が芽生えてるのですよ。

「オレは、デザイナーやめたらどうやって承認欲求を満たすんだろう?」
「どういう自分に見られたくて、今いろんなことをやり始めてるんだろう?」

みたいなことを、考えながら行動しながら、延々と探っている最中なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。