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セミリタイア中の仕事との関わり方

2019.07.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「好きなことを仕事に」って昔からある言い方ですが、最近とくに見聞きするような気がします。これ、若い駆け出しの人だけが向かい合う問題じゃありません。僕は50代半ばにして、もう一回やってみようと思うのです。確認したいことがあるのですよ。

セミリタイア生活に入っています。
現在50代半ばなのですが、75歳か80歳くらいまで「セミリタイア中です」といい続けるつもりです。

「もうお仕事お請けしてないんですよ。セミリタイア生活に入っちゃったんです」と「大丈夫ですよ、セミリタイアなんで。完全に引退したワケじゃないです」を使い分けながら、これからの四半世紀を生きていくつもりです。

このブログ内で何度も書いていることなのですが、僕はフリーランスのデザイナーです。
デザイナーは辞めるつもりなので「でした」になるつもりなのですが、マインドセットとしてのデザイナーではあり続けるつもりなので「フリーランスのデザイナーです」という言い方をすることもあります。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

まとまった退職金がもらえるわけではないし、年金も国民年金に毛が生えた程度しか受給できないので、「労働」という収入源は失いたくないのです。
反面、不動産と金融資産を運用することで、最低限の生活はできますので「生きるための労働」をする必要はなくなっています。

なので、ここいらで「セミリタイア」という状態を作りながら、仕事(=労働)との関わり方を見直している最中なのです。

簡単にいえば「もっと楽しいことをやり残してる気がするから、確かめてみよう」ということなのです。

もう1回、市場に自分を晒してみる

20代半ばくらいからずっと、「デザイナー」で飯を食ってきました。
僕自身は「好きなことを仕事にできた」「楽しかった」という折り合いはついています。

でも、歳を取るにつて「ホントに自分が好きなことは『デザイン』だったのか」という疑問も湧き上がってくるのですよ。
仕事がマンネリ化していたり、人間関係で嫌なことがあったときの「オレって、もっとスゲぇヤツのはずなんだけど…。今のオレは本当のオレじゃない」みたいな妄想も込みだったりもしますが、たいていの人は定期的に自分の現状に疑問を抱くものですよね。

サラリーマンで言えば、もうそろそろ定年する年代だし、前述の通り、仕事をやめても最低限生きていける程度の資産はあるので「一旦リセットして無職になって、もうワンゲームやってみるか」というフェーズなのです。

僕が社会に出る前から「好きなことを仕事にする」という言い方はあったのですよ。
それが、ネット上で他人の言説に触れるようになってからは、どんどん増えてきているような印象があります。

もちろん、それに対するカウンター的なことを言う人も増えているようではありますが、概ね「好きなことを仕事にしたい」し、そう言いたいのでしょうね。

「好きなこと」は、そのままじゃ仕事になりません。
市場に晒して、仕事(=お金がもらえる)用に調整する必要があるのですよ。

その過程で、好きでもない「学習」をしなければならないフェーズと向き合うこともありますが、「好きなことを仕事に」するためならば、仕方ありませんよね。

僕はそれをもう一度やってみようと思っているのです。
セミリタイア中なんだから、すぐに結果がでなくてもいいのですよ。
デザイナーになった前回のゲームよりも、もっと「こっちのほうが楽しい」を優先しながら進められるはずなのです。

以前『「作る人」で居続けよう』という記事を投稿したことがあります。
僕は、何かを作って、それを他人に見せびらかすことが好きなのですよ。ずっとやってきた「デザイン」は、その方法のひとつに過ぎないのです。

ここいらでデザインを辞めて、「作る人」軸は残しながら違う方法論を模索しているのです。
そうするともっと「何かを作ることが好き」が磨かれて、さらに楽しくなるような気がしているのです。

「好きなこと」の後付け感

「そういえば、デザインをするのが好きだと気付いたのって、いつだったっけ?」などとも思います。
子供の頃に、友達に出す年賀状を「ちょっとカッコよく仕上げたい」とか、各教科のノートに書く自分の名前を同じ場所に同じ書体で書きたい、かつ背表紙に教科ごとのアクセント付けたい、みたいなことが好きだったりしたのですが、それはちょっと違うような気がするのですよ。

大人になった、社会に出てからのことだと思います。

そう考えると、最初に入った会社。小さい会社だったので「営業部」というざっくりしたカテゴライズしかされていなかったのですが、その中で、パンフを作ったり展示会の準備をしたりする係をさせられたのがきっかけだったと思います。

正直、最初はあまり喜んでいませんでした。
外回りが担当の人たちのように、営業車が与えられて、朝出かけて夕方帰ってくる働き方の方が楽しそうだと思っていたのですよ。

ただ、デザイン事務所の人と二人三脚みたいな感じで、印刷物やパッケージの制作に多大な時間を費やし、会社と交渉してMacをはじめとする機材を導入、自分自身で手を動かすべくDTPの学習を始めたくらいから「好き。ってことにしないと収まりつかないな」ということになり始めたような気がします。

OEMで供給していた商品をパッケージや取説ごと受注できるようにもなったので、褒められることも多かったのですよ。

なんとなく「ものを作るのが好き」ではあったのですが、「デザイン好き」は、後付で獲得したものだろうと思っているのです。

結局これでフリーランスになれたし、50代半ばまで飯が食えたので、とても感謝しています。

もう1回「自分ごと」を

確かめてみたいのですよ。
何分「デザインが好き」って思うようになったのは、30年も前。途中で、グラフィックからWebに軸足を変えるときにもちょっと意識したのですが、それから20年が経過しています。

おそらく「これが好き」って思ってからよりも、そう思うに至る過程のほうが、もっといえば「これ好き」って瞬間が一番楽しかったんじゃないかと思っているのです。

「後から記憶が書き換えられる」的なバグの可能性もありますが、なんとなくそう感じているのです。
だから「それ、もう1回やってみたいな」「セミリタイアしてるから、失敗しても人生崩壊しないし」などと思っている最中なのです。

そう思うに至った理由って、人生の中でそれほど数多くない「没頭できた日々」だったからなのですよ。
すべてが「自分ごと」。自分で計画して、自分で動かす。

会社員時代の直属の上司は、いかにも「営業マン」って感じの人だったので「そういうの、オレわかんないから、社長に直談判してよ」と言ってくれたのも助かりました。

そのおかげで「好きなこと」に辿り着くことができたのです。

それが、30年のときを経て「もしかして、これだけじゃないかもな」という考え方に至っています。「たぶん別なやつ、あるぞ」と。

僕がデザイナーを選んだ当時とくらべて、環境も社会の雰囲気も格段に良くなっていますので、単体で動きやすくなっているのですよ。
もっと「自分ごと」に集中できる時代になっていると思います。

もう一回「これ楽しいかも」「こういうのちょっと気になる」に手を出していって、その中から「これ好き」「これを仕事にすべく、学習したり修正したりしてみよう」に辿り着きたいのです。

これをやるためにセミリタイアしたようなものなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。