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何かをする前に、ちょっとだけ感じる憂鬱

2019.11.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分が望んで起こす行動であっても、いざ始めるときって、ちょっとだけ気が重くなりません? コトの大小や好き嫌いに関わらず、何かをする前ってちょっと憂鬱になるんですよね。最近いろんなことを始めようとしているので、特にそう感じるのです。

なんだってそう、いつもそう

始めてしまえばなんてことないのだけれども、何かをする前ってほんの少しだけ憂鬱になるのですよ。
コトの好き嫌い、行動の大小に関わらずです。

僕は現在、東京と山口県萩市の二拠点生活をしています。
今日は東京にいますが、明日は萩への移動日なのです。

もう1年以上繰り返しているのですが「そっか、明日移動日か」と思うと少しだけ気が重くなるのです。

「ゴミは全部捨てなきゃな」とか「洗濯物もゼロにしとこう」「寒いしダウン持っといたほうがいいかな?」などと、判断しなきゃいけないことがちょっとだけ増えるからなのかもしれないし、慣れてなんとも思わなくなることを避けているのかもしれません。

ほんのちょっとだけでも、今いる環境が変わることに躊躇しているような気もします。

思い返せば、幼少期に保育園に毎日行くのも軽く憂鬱だったし、今でもビール買いにコンビニ行くときにもちょっとした憂鬱を感じますもんね。

だから当然、いったん無職になるために、新規案件の受注をすべて停止したときもそうだったし、二拠点生活を開始するときもそうでした。
そして、東京のマンションを引き払って萩市に完全移住することを目論んでいる今も同じように憂鬱を感じているのです。

とくに引っ越しなどの大掛かりな行動は、やることが多いですからね。
憂鬱の連打をくらっちゃいますよね…。
タイトル通りの「ちょっとだけ感じる」どころじゃありませんね。

たいていのことは、する前の憂鬱よりも、始まってからの楽しさのほうが上回っているような気がするのですよ。
そもそも、始まっってからも楽しくないことがわかっていれば、やろうとしませんしね。例外はたくさんありますが。

それが分かっているのにも関わらず、いつまで経っても何かをする前って気が重いなものなのです。

これ。ものごころ付いたころからずっと持ってる感覚なのですよ。
だいたいのことは「ま、しょうがねえか」と投げ捨てたり、「イヤだな〜」とグズグズしたりしながらも、予定通りものごとを始めてしまうのです。

50代半ばになった今でも同じように持ち続けている感覚なので、これからもずっと変わらないんでしょうね。

する前と、した後。期待値の差

このブログ内で頻繁に触れているように、僕はいま無職になって長期休暇中なのですよ。
概ね暇だし退屈にしています。

なので、他人からの誘いに応じやすくなったかといえば、それがまったく逆なのです。

やりたくないことをやること、行きたくないところへ行くことを徹底的に回避するようになっています。
「する前の憂鬱」と「し始めてからの楽しさ」の差を測ってみて、楽しさの方が大きく上回っていないと行動しないのです。

決して「行動力が衰えた」という印象は持っていません。
むしろ「時間があるのだから、何かしなきゃ」という切迫感がまるっきりなくなっているのです。

「つまんない所へ行くくらいなら、ボーッと考え事をしていたほうがいい」と本心から思えるのですよ。

何かをする前に、ちょっとだけ感じる憂鬱というのは、むやみにつまんないものに関わることを回避する効能があるような気すらしています。

前項でも触れたように「初動の憂鬱」は、ものごごろ付いた頃から、50代の今まで変わらずに持ち続けている感覚です。
でも、その憂鬱を乗り越えるか留まるかについては、自分の成長だったり、コンディションだったり、ときには機嫌だったりによって、ずっと変わり続けているような気がします。

たとえば高校・大学時代のバレーボールの練習なんて「これから地獄みたいな時間が始まるな」と思いつつも、重い足を引きずりながら毎日体育館に向かっていました。
にも関わらず、社会人になったら、毎日電車に乗って同じ時刻に同じ場所に赴く生活に耐えられなくてフリーランスになったり…。
(※勤務先を辞めてフリーになるときにも、同様に憂鬱を感じでいました)

かと思えば最近、高校時代の同窓会の出欠確認に「出てもとくに話すことないだろ、メンドくさい欠席」と、さして検討することもなく不参加を決めたり…。

必ずしも年齢を重ねれば憂鬱を乗り越えるチカラが高まるわけでもなく、憂鬱の軽重に因るわけでもなく、その時々の考え方や、求めている人生観によって思考様式は変わるのでしょうね。

現在の僕の判断基準は「行動したあとの楽しさが、初動の憂鬱を大きく上回ること」です。
「ずっとそうだったじゃん」とも思うし「最近とくにそう感じるようになったよね」とも思いますが、そのへんは自分ではよくわかりません。

なにぶん、この感覚を言語化してみたのが初めてなもので…。

今いろんなことを「する前」なのです

ちょうど今、人生の転機なので「これから始めること」が目白押しなのですよ。
先日投稿した「長期休暇の過ごし方決めた。やることの焦点を絞ろう」で、

当面、現時点では、

  • 東京のマンションを賃貸に出し、山口県萩市に移住する
  • 自動車免許を取得する
  • 第二種電気工事士の資格を取る
  • 山口県萩市に古民家を購入する
  • 動画撮影と編集の練習をする

を「長期休暇中の課題」としようかと思っています。

などと書いています。

これらすべて自分が望んでいることではあるのですが、同時にすべてにおいて、ちょっとだけ憂鬱を感じているのです。

中にはすでに着手しているものもありますが、まだ「楽しさ」を得るところまでは達していません。

まあ、ひととおり終えてみれば「なんてことなかったな。行動してみてヨカッタ」と思う日が来るはずなのですが、ちょうど今はグズグズしているところなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。