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セミリタイアして以降、怒ってない……けど

2020.01.20

こんにちは、萩ドットライフ()です。

セミリタイア生活を始めてからぜんぜん怒ってないな、ということに気づいたのですよ。「怒り」って長続きするし、気分悪いしで、とても嫌いな感情なので「怒ってない=快適」ではあります。でも、全体的に感情を失いつつあるような気もするのです。

もともと感情表現に乏しいのです

アンガーマネジメントというものがあるらしいですね。

アンガーマネジメント:
アンガーマネジメント(Anger management)とは、怒りを予防し制御するための心理療法プログラムであり、怒りを上手く分散させることができると評価されている。怒りはしばしばフラストレーションの結果であり、また自分にとって大事なものを遮断されたり妨害された時の感情でもある。怒りはまた、根底にある恐れや脆弱感に対する防衛機制でもある。アンガーマネジメント・プログラムでは、怒りは定義可能な理由によって生じる、論理的に分析可能な強い感情であり、適切な場合には前向きにとらえてよいものだと考えられている。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/アンガーマネジメント(2020年01月20日現在)

日本アンガーマネジメント協会」という団体まであるようです。

僕は昔から、さほど感情の起伏が大きい方ではないのですよ。
これは「良くも悪くも」だろうと思います。

怒りが沸点に達して(=いわゆる「キレて」)失敗したようなことは一度もありません。
だから「感情を上手にコントロールしなきゃ」なんて考えたことはなかったのです。

中学から大学までバレーボールをやっていました。
いわゆる「昭和の体育会」ですから、怒る人、怒られる人がわんさかいそうな集団の中に身を置いていたのです。

でも、僕自身はチームメイトや下級生に対して感情のままに怒りをぶつけることは少なかったし、いわゆる「怒られ役」を担ったこともありません。
(※プレー中の強い指示や責任の確認、思考や解釈に対する詰めは数限りなくありますよ)

他人に対して大きく感情をあらわにすることもなければ、反対に他人の感情に大きく影響を受けることも少ないのですよ。

だから、指導者や上級生に激しく怒られることで足がすくんで思考が止まってしまうようなことも、みんなのノリに影響を受けて、自分の調子がどんどん上がっていくということも少なかったのです。

他人からしてみると「感情のブツけ甲斐のないヤツ」なのだろうと思います。
それは、競技者時代のみならず、社会に出てからもフリーランスになってからも、ずっとそうでした。

それでも「爆発的にブチ切れるとか、誰かを捕まえて延々と罵倒するなんてことはなかったよ」という程度で、気に入らないことがあったときに不機嫌な態度を取ったり「どうなってんだ、いったい」と不満をあらわにする程度のことくらいは、頻度は少ないけれども人並みにあったように思います。

たぶん「若干ノリが悪く、取り繕ったような感情表現しかしないヤツ」程度の印象だったんじゃないでしょうかね。

ただ仕事上では、意図的に怒りを表明しておかないと、その後の進行に影響してしまうことだってありますから「怒ってる自分がイヤだな」と思いつつ、怒りを表明したことは何度かあります。
用途としては「状況の改善を求める悲鳴」のようなものですね。

ここのところ、ぜんぜん怒ってない

そんな感じなので、もともと街なかで知らない人と揉めたり、店員に延々と文句を言い続けるようなことが極端に少ない人生ではあったのですが、セミリタイアして以降、まったく怒っていないことに気づいたのですよ。

冒頭で紹介した「アンガーマネジメント」の説明文にもあるように「怒りはしばしばフラストレーションの結果であり、また自分にとって大事なものを遮断されたり妨害された時の感情でもある」ということになっているようです。

なので、まったく「怒り」という感情を完全に取り除くことは不可能なのだろうとは思いますし、僕自身、怒りの感情を失ったワケではないのですよ。

でも、一度も怒りをオモテに出していないのです。

もしかしたら少しくらいはあったかもしれないけれども、いつまでも後を引くような、記憶に残る「怒り」は感じていないし、行為にもしていません。

そりゃ「レジの兄ちゃん、もたついてるな」とか「宅配便の指定時間過ぎてない?」「こいつ、また同じ話繰り返してるじゃん」「道いっぱいに広がってゆっくり歩くなよ、もう」「さっきから、こいつのバッグが何度もオレに当たってくるな」みたいな細かいイライラはありますよ。

でも「いったい、どういうことなんだよっ!」みたいな感情に発展せず「別に急いでるわけじゃないから、ゆっくりやってよ」とか「別にどうでもいいか」みたいな感じで流せているのです。

そりゃ、道を塞ぐようにしてぺちゃくちゃしゃべってる人たちには「ごめんなさい、通りま〜す」くらいのことは言うし、何度もバッグをブツけてくる人には「もうちょっと気を配ってもらえますかね」程度のことを促すことはありますが、怒ってるうちには入りませんよね。

全体的に感情を失いつつあるかも…

やはり「仕事をしていない」ってことが重要なんでしょうね。
仕事をしていないと、利害を共有する人とコミュニケーションを取ることが極端に減りますからね。

逆に言うと、新しい出会いが減っていて、好きな人・気の合う人としか付き合わなくなってるということなんでしょうね。
良いことのような、悪いことのような、なんとも判断し難い現象ですね。

ただ「そういや、ぜんぜん怒ってないな」と感じることに関しては、とても快適です。

仕事をしてると、案件ごとの座組で反りの合わない人や、無駄なマウンティングを仕掛けてくる人と付き合わなきゃいけない場面に遭遇しやすいものだから、怒りを行為化せざるを得ない状況ってあるのですよ。

そして、それを続けてると「怒りの感情」と「怒るという行為」の距離が縮まってくるんですよね。
「怒りグセ」がつくというか、こらえ性がなくなるというか…。

仕事から離れると、知らないうちにこびりついていた「怒りグセ」が剥がれ落ちて、スッキリするんでしょうね。

喜怒哀楽の中で、「怒り」が一番長く持続する感情のように思っているのです。

未だに何年も前に体験した「気に入らないこと」を思い出したりしますし、朝一番で嫌なことがあって、1日中イヤな気分で過ごすなんてこともありますよね。

他の「喜哀楽」はワリと短時間でニュートラルな状態に戻るような気がするのですが、僕だけですかね?
だから「怒る」って、すごく嫌いだし苦手なのですよ。

今は、セミリタイアして怒ることがなくなって、なんだかとても快適だと感じているのです。

でもいい換えれば、全体的に感情を失いつつあるような気もしているのです。
それほど大きく喜んでいないし、哀しんでいないし、楽しんでもいないのですよ。

「失う」というと大袈裟かもしれませんね…。自分の中であまり増幅しないのです。

こういうのって、どうなんだろ? どうしようもないから、しばらく静観することにします。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。