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言葉が行動に変わるための、時間と距離

2020.01.21

こんにちは、萩ドットライフ()です。

他人にアイデアを伝えて、やってくれると嬉しかったり、やってくれないと「なんだよせっかく…」と思ったりしますが「言う側」と「行動する側」にはズレがあって当たり前だと思うのです。その間には、ちょっとした時間と距離があるものなのですよ。

自分の言葉が他人に届くまでのズレ

人と話していると「それ、前にオレが言ったことだよね。さも『自分が考えました』みたいに語ってるけどさ」とか。
逆に「前に言われたことが、ずっと心に残ってて、あれから自分変わったんです」「え? オレそんなこと言ったっけ?」みたいなことってよくありますよね。

たぶん、自分の言葉が他人に届いて、その人の考えになったり、行動に変わるにはそれなりの時間と距離が必要なんでしょうね。

いや、「オレの言葉が他人の人生に影響を与えたぜ」みたいな大袈裟な話をしてるんじゃないですよ。

そうじゃなくて「こないだ言ってた檸檬堂(コカ・コーラ社の缶チューハイです)、僕も買ってみました。僕的には『塩』がアタリっすね」とか「靴紐の結び方、こないだ教えてもらったやつに変えたんすよ」程度の話で充分なんです。

なんで、こんな話を書いているかと言うと、昨日「僕、ジンバル買いました」という連絡を受けたからなのですよ。
ジンバルってのは、ちゃんと説明しようとすると「軸を中心として物体を回転させ…」「ジャイロがどうしたこうした…」みたいなややこしいことになりますので、割愛しますね。ググるといろいろ出てきますから。

簡単に言えば「ジンバルを使った動画撮影時の手ブレを補正する機材」のことです。

僕は海外の小さな出版社に出資しています。
特に経営も従業もしておらず、ときどき社長から連絡があって経営の状況を聞いたり、一緒にものごとを考えたりする程度です。

その社長から連絡があって「ジンバル買いました」と。

一瞬「なにそれ?」と思ったのですが、数ヶ月前にその社長が日本に取材に来ていて、東京に寄ったときに、ちょっと会って話したんです。
その会話の中で「動画コンテンツ作りなよ、手ブレ? 今、ジンバルっていういいのがあるよ」って話を伝えていたのです。忘れてましたけど…。

どうせ、毎日のように取材に出かけてるんだから、ついでにその様子をスマホで撮って、許可もらえるところだけをつないでコンテンツ化すればいいじゃん、みたいなことだったと思います。

実はもう何年も前から「動画コンテンツ作れるようになったほうがいいよ。ネタなんていっぱいあるじゃん」なんて話はずっとしていたたのです。
ときどきお試し程度の動画コンテンツは作っていたものの、さほどチカラが入ってる感じではありませんでした。

それが、昨日になって唐突に「ジンバル買いました」なのです。

聞いてみると「長年発行している媒体やビジネスモデルを見直している最中だ」と。
(うん。ずっと僕たちはそんな話を続けているのです)

競合他社の様子を見ていたり、提携できそうな他業種の人と話したり、従業員や外注さんの意見を取り入れたりしつつ、あれやこれやの思考の工程を経た上で「とりあえず動画コンテンツだ」「よしっ、ジンバルだ」ということになったようなのです。

関係が親しいほど、最初の言葉は粗末にされる

おそらく、昨今のYouTuberの活躍に触発されたのだろうし、周囲からも「動画だ、動画だ」と言われたのでしょうね。

「だからオレが『動画やろうよ』って言ったじゃん。あのときに始めとけば、状況変わってたんだよ」と、思わなくもありませんが、一方で「まあ、そんなもんだろうな」と思うのです。

往々にして、こちらは「いいこと考えた!」と思って伝えても、先方は「へえ、そんなもんかね」と気のない返事をして何も動いてくれないものなのですよ。

たぶん、これが常態なのです。
日常のコミュニケーションの量が多いほど、親しい関係だったりするほど、そんなもののように感じます。

「インフルエンサーの○○さんがツイートしてた」とか「初めてあった○○業界の人が、すごく強調してた」みたいなことがジャンプ台になったりするんですよね。

世の中では「即行動するヤツがすごい」ということになっているし、僕もこのブログで「決断が先、迷うのはあと」みたいな記事を投稿したりして、そんなノリを大切にしようとは考えているのですが、実際に言葉が行動に変わるためには、そこそこの「ころ合い」ってものがあるんでしょうね。

タイミングだったり、「誰に言われたか」だったり、自分自身の煮詰まり具合だったり。

前述の話にしても「生産・配達コストのかかる紙媒体事業を縮小して、Webメディアやイベントにチカラ入れたい。さて、どうやって?」と考えているときに「動画やろうよ」って言われても、素直に染み込んでこないんですよね。

これ、自分が「他人の言葉を聞いて、行動する側」に置き換えて考えると、思い当たるフシだらけなのですよ。

基本「話は聞くけど、自分のことは自分で決めるよ」ってのが前提ですからね。

先方の熱量が高ければ高いほど「あぁ、そんなもんかねえ」「ま、考えとくわ」と、そっけない対応になりがちですよね。特に親しければ親しいほど、ね。

あまり親しくない人に対しては「ほう! へえ! 勉強になります」くらいの芝居はしますけどね。

初めて連れて行ってもらった店で「ここ、鶏を使った料理が美味いんだよ」「そう、ならチキン南蛮もらおっか」程度のことならば即行動に移しますけど、仕事や人生に関わることだとそうもいきませんもんね。

自分で考えたことでも、行動に至るものって限定的なのですよ

繰り返しますが、言葉が行動に変わるためには、それなりの時間と距離が必要なのですよ。

「距離」っていうのは、物理的な距離じゃなくて、その間にどれくらいの思考を繰り返したのか? とか、どの程度まで考えが深まったか? 結論に至りたくてウズウズしてる具合とか、でしょうかね。

だから行動した側が「あのとき、こう言ってもらったのが役立ちました」なんて言ってきても「は? なんすか、それ」みたいなことも起こりうるのですよ。

たいてい、言う側は言いっぱなしですからね。

すぐに応じてくれれば「オレの言ったこと聞いてくれたんだね」と喜びますが、そうでなければ忘れちゃうものなのですよ。

前述の「社長」との会話の中でも「いいじゃん。それ、まるっと賛成」と同意した事業案について「何言ってんすか、これこないだ萩ドットライフさんが言ってたことっすよ」みたいなメンボクないことになっていたり…。

こういうこと。対人のみならず、自分の中だけでも起こりますよね。

他人のtwitterやらブログやらを眺めていて「そう、まさにこれっ。上手い表現するなあ」と感心していたら、過去に自分が考えてたり、ブログに書いていたことと同じだったり…。

実は、自分が考えたことや、思いついたアイデアの中で、本当に自身の行動に影響を与えたものって極々限られてるんですよね。

以前も似たようなことを考えていて、「新しい感情」という記事を投稿したことが会って、思いついたけども行動に至らなかったものや、行動したけれども上手くできなかったことを「心の熾火(おきび)」という言葉で表現していますね。

なんだか、ずっと同じことを考え続けてるような気がしますが、これも言葉が行動に変わるための距離を詰める工程なのだと思うことにしましょう。

さらに、これについても過去に「グルグルと、同じことについて考え続けてる」という記事を投稿してますね…。

ま、そんなもんです。時間と距離がいるんですよ。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。