follow hagi.life

肩の荷を下ろす。でもまた…

2020.02.05

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ずっと担ぎ続けてきた肩の荷を下ろすために、セミリタイア生活を始めたり、無職になって休んでいるのです。でも、ふと気付くとまた別の荷を拾い上げてゴールまで運ぼうとしているのですよ。たぶん人間ってそうプログラムされてる生き物なのでしょうね。

荷が下りたときの快感

僕たちは、いつも自分の肩に何らかの「荷」を載せている状態が好きなようです。

何か物理的なものを担いでいるわけではなく、いわゆる比喩表現というやつで、仕事だったり、自分で「やるぞ」と決めたことだったり、悩みごとや心配ごとのことを「荷」と呼び、それを肩に担ぎながら前に運んでいる様子をイメージしているのですね。

それから解放され、ひと段落ついたときに「やれやれ、肩の荷が下りた」という言い回しをするのです。

日ごろ暮らしていく上で、荷物なんか担いでいない状態のほうがラクちんに決まってるし、そちらの方が人間本来の姿であることなど分かってはいるのです。

僕はデザイナーになって30余年、そのうちの20余年はフリーランスで働いていました。
ずっと締切やら納期、公開日という「荷」を担いだり下ろしたりしながら生活をしてきました。

荷のない状態は失業状態なので、下ろせばホッとする反面、担いでいないとそれはそれで不安な日々でした。

50代半ばになったいま「ちょっと疲れたな、荷を担がなくてもいい期間を設けよう」と肩の荷を下ろしたのです。無職になって長期休養生活を楽しんでいるのです。

それでもやっぱり、荷を探し出して担ごうとするものなのですね。
それはたぶん、荷が下りたときの快感を何度も味わいたいからなんじゃないでしょうかね?

たとえば、取るに足らない、ときどき「オレは習慣化できましたよ」と言っているこのブログでさえも、起床とともに担ぎ上げ、投稿とともに下ろす「荷」なのです。
毎日々々「荷が下りたときの快感」を味わうことができるからこそ、習慣化できているのかもしれません。

その他にも「断捨離やりきらなきゃな」とか「萩市に移住するための拠点を決めなきゃ」とか、結局いろんな「荷」を見つけては担ぎ上げています。

たぶん人間は、そんなふうにプログラミングされてるんでしょうね。

制約はクリエイティブの母

デザイナーとして職業人でいたころと無職になった今と比べると、担いでいる「荷」に違いがあるのですよ。
それは、前者は「頼まれた荷」であり、後者は「自分で勝手に担ぎ上げた荷」なのです。

すべてがそうだとは言いませんが「おしなべて」そんな感じです。

一番の違いは「自分で勝手に担ぎ上げた荷には、制約がない」ということです。

「締切も納期もないならラクでいいや」と思いますし、クライアントのいない「荷」なので、自分の好きなようにやっていいものなのです。

ところが、これが結構クセものなのですよ。

誰がいい始めた言葉なのか知りませんが「制約はクリエイティブの母」という言葉があります。

クリエイティブ系業者ではない方には、あまり耳慣れない言葉かもしれませんが、試しにググってみてください。いっぱい出てきますから。

「納期はクリエイティブの母」「制限はクリエイティブの母」みたいな亜種も見つかりますが、言ってることは同じですね。

ある程度の制約がないと、自分の目標をどこに置くべきなのかが見えなくなって、割とツラいのですよ。

「逃げ」といえば逃げなのですが、「売れればオッケー」とか「この日までに、このレベルのものを」「この人に承認されれば、納品にこぎ着いたも同然」みたいな評価基準があった方がラクなんですよね。

クライアントワークであれば、地雷を踏もうが、炎上しようが、いつかは時間が解決してくれますしね。

モノを作る人って、おしなべて承認欲求強めなんじゃないかと思います。

僕自身、職業人生を伸ばすためのセミリタイアを目指しているのは、僕がモノを作る人じゃなくなって、誰からも承認されなくなったら、自分が自分じゃなくなるように感じるからなのです。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

でも「自分で勝手に担ぎ上げた荷」というのは、なかなか厄介なものだな、と最近思い始めています。
なんせ、下ろすことを承認するのは、お天道様と自分だけですからね。

だから、これから先のセミリタイア生活について、思いついている「あれやろう、これやろう」についても、あ〜でもないこ〜でもないと、紆余曲折を繰り返しているのです。

やっかいな「荷」が続きそうです

いま担いでる荷を下ろしても、また次の荷を拾い上げて担ぐことになるはずなのです。
僕は、セミリタイア生活の「セミ」の部分で、好きなことをユルめに仕事にしていこうと思っています。

クライアントワークには戻らずにひとりで完結する仕事」を構築していくつもりなのです。

ずっと、誰からも依頼されたわけではないモノを作り続けようとしているのです。

このあたりのことは過去にも、

という記事を投稿しています。

締切や納期に追われることもなく、自分のペースでゆったりと落ち着いた進行が可能になるはずで、それについては「心地よさそうだな」とか「ヨボヨボと老いていく自分に合わせながら楽しもう」などと思っているのですが、前項で触れたように、自分自身で評価基準を設定して承認しなければならない、やっかいな「荷」なのですよ。

「クリエイティブの母」としての制約が与えられませんからね。

だけれども、その分「肩から荷が下りたときの快感」も大きなものになるんじゃないかな? などと思っています。
なんせ、これまでずっと「制約あり」の荷を担ぐ筋肉を鍛え続けてきているので、「制約のない」荷を担ぐも下ろすも、僕にとっては新感覚なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。