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人の評判って当てにならないものですよね

2020.02.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人を通じて人の評判を得るとき、当たり前だけれども、目の前にいる仲介者のことを見てるのですよね、本人ではなく。そして、仲介者は他人をダシにした自分の話をしているのです。だから僕は「人の評判って当てにならないな」と思うことにしています。

人の評判は真に受けないことにしています

「その人、どんな感じの方です?」

仕事でもプライベートでも、初めての人と会うときに事前にその人のことを知ってる人から情報収集することってありますよね。

こちらが望まなくとも、仲介してくれた方や、知ってるふうの方から「あの人、気難しいよ」とか「楽しい人だから、なんの心配もいらないよ」みたいなアドバイスを頂くこともあります。

僕は、これから会う人に対する他人の評判に関しては真に受けないことにしています。

話の行きがかり上、僕が他人の評判を口にする側になることもありますし、僕がこれから初めて会うことになる人の評判を聞かされることもありますけどね。

そういう場合「人の評判を口にしませんし、聞きません」などと頑なな態度を取ることはせず、常識的な範囲でその人をダシにした会話をしますね。

そこにいない人の人物評なんて、ごくありふれたテーマなので「ここにいない人の話をするのはやめようよ!」なんてことを言うことはありません。

その場の会話を楽しむことと、話された内容を鵜呑みにすることは別物だということが言いたいのです。

人に対する印象って、自分と他人では異なることが多いですからね、自分で会ったり、言葉を直接聞いたり、一緒に行動してみたりしないと、なんとも言えないのですよ。

いわゆる「一次情報に当たれ」ってやつですね。

そのへんは、これまでAさんと会ったことのないBさんに、多少なりともBさんのことを知っている僕がAさんに対して「Aさんって人はね…」という話をしている場面を想定してみれば、なんとなく理解できると思うのです。

そのときの僕は、Aさんのことを語っているのではなくて、Aさんをダシにして自分のことを語っているのですよ。

Bさんに伝わっているのは「Aさんのことを評している僕」なのですよね。

自分が「他人の悪口を言わない人」というアピールをしたければ、Aさんのいい部分ばかりを並べ立てるでしょうし、AさんとBさんが上手くマッチングすることが自分の不利益になるようならば、Aさん評の中に適度な悪口を混ぜて伝えることでしょう。

Aさん評をどのように組み立てるかは、僕の胸先三寸なのです。
そう考えると、あまりニュートラルな人の評判ってあり得ませんよね。

大切なのは、訊ねた人と訊ねられた人の関係

だから僕が誰かに「たしか○○さんとお知り合いでしたよね。あの人、どんな方です?」と訊かれたならば「あ、この人オレのことを知りたがってる」と思うようにしています。

自意識過剰気味ではありますが、その人に伝わるのは「○○さん」の評判ではなくて、僕の印象なんですもん。

身も蓋もな言い方をすれば、僕は僕の人生を生きているのですから、他人の人生に関わっている暇はないのですよ。
僕が○○さんについてどのように伝えようが、いま目の前にいる人はそのうち直接○○さんと出会って、ご本人なりの印象を持たれるのです。

その場面では、僕が語った○○さん評など忘れ去られてるに決まっています。
残るのは僕が○○さんのことを「褒めていた/貶していた」みたいな印象だけなのですよね。

だから実際に僕が○○さんに対してどんな印象を持ってたとしても、20くらい褒め、60くらい毒にも薬にもならないエピソードで繋ぎ、20くらいの注意点を、決して悪口にならないように、あくまでも自分の感想として話すくらいがいつものパッケージでしょうかね。

重要なのは、訊ねてきた人と僕の関係であって、○○さんと僕の関係ではないのです。
だから、訊ねてきた人によって回答が変わったりします。

訊ねてきた人に、論理的だと思われたければ、論理的に○○さんについて分析した話を組み立てますし、感情的だと思われたければ、感情的に語ります。

訊ねてきた人が○○さんの悪評をすでに仕入れてきていて、その裏付けを欲しがっていれば、それに協力するかもしれませんし、しないかもしれません。その悪評を払拭したがっているように感じた場合も同様です。

あくまでも僕は訊ねてきた人との関係の中で話を組み立てることになります。
結局のところ、読書感想文みたいなものですからね。「気になるんなら、本買って読んでみりゃいいじゃん」なのです。

だから僕は「人の評判なんて当てにならない」と思っているのです。

いっとき「この方の人を見る目は確かだ」なんて思って尊敬してた人もいましたけどね。
その印象も時間の経過とともに変わっていきました。

とくに不思議なことじゃありません、そういうもんでしょ。

自分の中に人の悪評が芽生えてるときは、要注意

「△△さんが、あなたのこと悪口言ってたよ」に関しても同じように「真に受けるべきではない」と思っています。
往々にして、悪感情を持っているのは「悪口言ってたよ」と告げてくる、その人だったりするのですよ。

すべてがそうだとは思いませんし、その悪感情は「善意」で分厚くコーティングされてたりしますよね。

その場では、感情を表に出さずに「そうですか、誤解があるようですね。△△さんと直接話してみます」くらいで逃げるのが吉だと思います。

そこで僕が「何言ってやがるんだ、△△のヤロー!」という話をし始めると、今度はこっちが「△△さんの悪口を言ってた人」ということになっちゃいますからね。

僕はいま50代半ばなんですが、少なくとも30代くらいまでは人の評判を鵜呑みにして、ムダにビビったり、相手をナメてかかって変な空気になったこともありましたし、人づてに聞いた自分評に一喜一憂したりしていました。

「直接、本人から得た情報じゃないし、話半分で聞いとこ」と思うようになったのって、ここ10年くらいのことじゃないでしょうかね。もしかすると、加齢によるものなのかもしれません。
世間でいう「丸くなった」という現象なのかもです。

でも、人の評判は当てにならないからといって、まったく気にしなくていいってワケではありませんよ。

いま僕は無職になっていますが、ちょっと前まで20年以上にわたってフリーランスのデザイナーを生業としていました。

フリーランスにとって「評判」って、職業人生命に関わりますから、大切なものだということは肝に命じておくべきなのです。

冒頭で「これから会う人に対する他人の評判に関しては真に受けない」と書きましたが、決して軽んじているワケではないのです。

自分の評判も、他人の評判も似たようなもので、結局は会うなり、一緒に仕事をするなりして一次情報を得るまではなんとも言えないということなのですよ。

付き合ってるうちに、だんだんと印象が変わってきたりもしますしね。
相手も自分も、環境も変わっていくのですから、当たり前のことです。

ただ50年以上生きてきて、なんとなく分かるのは、仕事やプライベートが充実してる人は、基本悪口少な目ですね。

自分に当てはめてみても「なんだあのヤロー、レベル低いなクソが」などと悪態の限りを尽くしてるときって、余裕がないときなんですよね。考えても考えても、なにも絞り出せないときとか、スケジュールがキツキツでテンパり気味のときとか…。

繰り返しになりますが、つくづく人の評判って当てにならないものなのです。
仲介者のコンディションによりますから、それは仕方ないのです。

そして、自分が他人の悪口を言ってるときは特に要注意ですよね。それは自分自身に異常が起きてる可能性が高いのです。

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