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人の話に割り込むときのセンス

2020.03.03

こんにちは、萩ドットライフ()です。

多人数の会合などに参加していると、座に加わるために人の話に割り込むことってありますよね。その割り込み方にもセンスというものがあると思うのです。他人の話を遮るようにして、自分のしたい話をするような人は当然煙たがられるに決まっていますよね。

人の話に割り込むのはいいんだけど…

多人数でガシャガシャした飲み会が嫌いです。

理由はたくさんあって「どれが誰のグラスかわからなくなる」とか「主催者が変なアトラクションを用意していて、せっかくの会話が分断される」とか、例を挙げると数限りないのですが、なにより嫌いなのが、他人の話に割り込んでくる人が多いからなのです。

「人の話に割り込む」こと自体は仕方ないことだと思うのですよ。
そうしないと、いろんなグループといろんな話ができませんからね。

でもなんとなく、割り込み方のセンスってありますよね。
冒頭で触れた「多人数の飲み会」のみならず、ですけどね。

当然「そういうとき、オレはどうだっけ?」と自分のことを考えるのですが、そこそこ気は使ってるはずなんですよね…。でも、どうだろ? それほど自信満々というわけではありませんが、自分のことはとりあえず棚に上げておきますね。

いろんな割り込み方のパターンがあると思うのですが、僕が思いつく「気に入らない割り込まれ方」としては、

  • いきなり人の話を遮って、自分が話したいことを話し始める
  • 微妙にピントのズレた意見を、合いの手のように入れ続ける

あたりでしょうかね。

反対に、違和感のない割り込まれ方としては、しばらく話を聞いて座の流れをつかんだ上で、

  • 誰かの意見を補足する形で加わってくる
  • そこになかった視点を良きタイミングで放り込んでくる

みたいな感じだと「この人の意見、ちゃんと聞いてみたい」ってなることが多いような印象です。

大雑把にいうと、話の腰を折ってくる人はイヤだし、盛り上げてくれたり話のレベルが上がる人はオッケーという感じなんでしょうね。

あと「話の内容なんて関係ない、このメンバーで話してる事自体が楽しいんだから邪魔しないで」ってこともありますが、これはちょっとレイヤーが異なりますね…。

対応に気を使うのが面倒なんですよ

イヤな感じで話に割り込まれたときって、むしろそれに対応するほうが気を使いますよね。

「みんなどうしてるんだ? いいサイトないかな」と思いつつググってみると「発言中に割り込んでくる相手にうまく対処する5つの戦略 | ライフハッカー[日本版]」という記事を発見しました。

どうやら「割り込む」という言葉に「会話を遮る」という意味を含んでいるようですね。
僕は、この記事中「会話の間を狙って、座に加わってくる」みたいな意味合いで使っています。

1.何もしない
2.最初にきちんと伝えておく
3.気にせずに話し続ける
4.質問をする
5.はっきりと通告する

という、5つの対処法が提示されていますので、興味のある方はご参考に。

なんというか…。初対面の人なのか? なんとなくの知り合いなのか? 「またいつものこいつ」なのか? で、微妙に対応の仕方が変わってくるんですよね。

たとえば、誰かがいきなり座に加わってきて、まったく脈絡のない話を初めてきた場合を想定します。

知人の中には、相手がどんな人であっても「違う話をしています、割り込まないでください。御用なら後で伺います」とバッサリ切り捨てる人もいるのですが、僕はどうしても「無下に排除するのもなぁ」と思ってしまうのですよ。

概ね、初対面の方に対しては、話題に乗らずに自己紹介を交わしてあとは放置しつつ、元の話題に戻ることが多いですかね。
そうすると、その人の気勢を若干削ぎ落とすことができるっぽいです。

なんとなくの知人なら「ああ、お久しぶりです。今○○の話をしています、ご興味があれば」みたいに、その場で行われてることを伝えつつ言外に上手く流れ員乗ってくれるように促しますし、「また、いつものこいつかよ…」ならば「今、その話ししてません」とピシャっと遮る感じでしょうか…。

排除された人が、目に見えて不機嫌になったり、怒り出したりすると座がシラけますからね。

ある意味、仕方のないことなのです

たぶん、イヤな割り込み方をしてくる人も、悪気はないのですよ。下手なだけなのです。
だからこそ、余計にやっかいなんですけどね。

親しい知人だったり、若くて社会人経験の少ない人ならば、それとなくたしなめることもできるんですが、経験上年かさの、いわゆるオッサン・オバサンにその傾向が強いように感じています。

加齢とともに「ワタシに語らせろ」って欲求が強まるんでしょうかね。
現在50代半ばの僕も、何気ない話をしながら「アレ? オレ話長いな」って思うことが増えてきているので、思い当たるフシはあるのです。

以前「50代になったら同窓会が増えた」という記事を投稿したことがありますが、皮肉なことに年を重ねるに連れ、多人数の会合に誘われることが増えているのが、なんとも…。できる限り回避してますけどね。

ちょっと話を変えますけど、知らない人がいっぱいいる場なのに、いつも一緒にいる人同士で話そうとする人も苦手です。
「オレとあなた、いつもコミュニケーション取ってるじゃん。どうして、この場でオレと話そうとするの?」ってパターンですね。

こんなにいっぱい初めての人がいるのに、新しく知り合う機会を奪おうとするなよ、と思ってしまうのです。

そういう人が前項で触れた「またいつものこいつ」であることが多い印象を持っています。
話題に関係なく、知ってる人がいる輪に加わろうとするんですよね…。

もういっちょ話を変えると、複数人いる座で「さし」に持ち込んで延々と自分語りをする人も苦手です。
この場合、遮らずにずっと聞き続けてしまう自分にも原因があるんですけどね。

また、話のリズムが合わない、というか合わせる気がさらさらない人も対処に困りますよね。

話を続けているうちに「おっしゃるとおりですね、ところで…」とか「要するに○○ですよね、それよりも…」みたいに、ことごとく話の腰を折って、自分がしたい話に持ち込もうとする人だったり。

たぶんクセなんでしょうが「いや、そうじゃなくてさ」「それは古いんじゃありません?」みたいに、必ず否定から入りつつ持論を展開し始める人だったり。

座に加わってきたときには、感じよくて「どうぞどうぞ、ぜひ加わってください」と迎え入れた人であっても、最初のうちは「ああ、こういう人もいるよな」と寛容に受け入れていた、元から座にいた人たちが、だんだんイラつきはじめて、結果せっかく盛り上がっていた座が崩れることになったりしますよね。

こういった話をざっくりとまとめると「入れ代わり立ち代わり人が行き来する場で、楽しい会話をし続ける座をキープするって、難しいよね」ってことなんでしょうね。

盛り上がってる座は、自然と人を吸い寄せるし、その中に一定の割合で「イヤな割り込み方」をする人が混ざって来るのは仕方のないことなのですよ。

だから僕は、多人数でガシャガシャした飲み会が嫌いなのです。

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