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他人の夢を否定する人なんて、無視すればいい

2020.05.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

愛するからこその否定もあれば、無関心であるがゆえの肯定もあることは分かった上で「世の中、他人の夢を否定する人よりも、肯定する人のほうが圧倒的に多いよな」という感触があります。僕は否定は無視して、思い通りに行動すべきだと考えています。

他人の夢を否定したがる人って、いるよね

「こんなこと言うと、なんだかバカにされそうで、口にするのが怖い」と、自分の夢を他人に話すことを躊躇することってありますよね。

周りを見渡してみると「こんなことやりたいんすよ」「実はね、考えてるんだよ」みたいなことを言い合う関係の人が多いし、自分だってその一味なのです。

このブログだって、過去を遡れば、

  • 「セミリタイアしたい」
  • 「無職になりたい」
  • 「地方移住したい」
  • 「仕事を娯楽にしたい」

といった「やりたい」「なりたい」が、主成分です。
僕はまるで神社か流れ星のごとく「夢」をこのブログに押し付けてきているのです。

でも、少なからず「他人に夢を語るのが怖い」という人と出会ったことがありますし、かつて「失敗を気にしない。むしろ求めてる」という記事の中で「ドリームキラー」の存在について書いたように「他人の夢を否定したがる人って、いるよね」という認識はしています。

僕は、オッサンなので「スルッと無視できるようになっている」とも書いていますが、若い頃にはそれなりに気にはしていました。

「夢を口にするのが怖かった?」と自問してみると「たぶん、そんな場面もあったかもね」程度だったと記憶しています。

実際には、必要な場面では「僕、こういうのやりたいんです」と口にしないとものごとが前に進まないので、要所々々ではちゃんと、ときには絞り出すような感じだったとしても、どうにかこうにか言葉にしてきているはずなのです。

結果「否定する人よりも、肯定してくれる人のほうが、遥かに多い」と思っています。

ただ注意しなければならないのは、否定する人=悪い人、肯定する人=良い人、ではなさそうなのですよ。

たとえば「パパは、ママは、僕の、私の、ことを分かってくれない」みたいな時期ってありませんでしたかね?

世代が違う存在だからこそ、自分の夢にピントっぱずれな否定をしてくるし、無償の愛を注いでくれる存在だからこそ、その否定の仕方は全力で、心底ウザかったりするものなのですよ。

逆に、僕自身がどうなろうと、その人の人生に何の影響もない人ならば「いいね。素敵な夢だと思う。きっとあなたなら叶えられるよ」と、全力でその場限りの良い人になってくれますもんね。

そういうのを含んだ上で「否定する人よりも、肯定してくれる人のほうが多い」と思うのです。
僕の体感だと、否定1:肯定9くらいの感じでしょうかね。

程度の問題もあって「ふ〜ん。いいんじゃん?」くらいの人も肯定に含めて、ってところですね。

肯定してくれる人の方が多いですよね

ただ、少数派ではありますが「まずは、他人の夢にケチをつけたがる」という人も存在します。

前項で述べた「無償の愛を注ぐ存在だからこそ、全力でピントっぱずれな否定をしてくる」タイプとちょっと違って「他人の夢をバカにすることで、自分が優位に立とうとする人」とでもいいましょうかね?

もしかすると「他人が嬉しそうにしているのがつまらなくて、否定して鼻をくじくのが娯楽」というパターンもありそうな気がするし、「自分が思いもつかなかったことを、他人が考えていることが悔しい」だったり、様々なパターンがありそうな気もしますが、ひとことでいえば、

「人間性に問題がある人」

ってことですね。

たとえ少数であっても、こういう人の存在ってイヤな感じで記憶に残るんですよ。
だからやっかいなのですよ。

繰り返しますが、世の中は、他人の夢を否定する人よりも、肯定してくれる人のほうが多いのです。

だから、自分の夢を否定されたら「ヤベ、コッチっ側のヤツに当たっちゃったよ」と感情をシャットダウンして無視すればいいのです。

それがたとえ(無償の愛で、全力でピントっぱずれな否定をしてくる)両親や学校の担任でも、です。
多くの場合、人生で最初に出会うドリームキラーって、この人たちだったりしますからね。

「あなたが社会に出たときに、こんな職業なかったじゃん」
「これまでの30年と、これからの30年。全然違うっすよ」
「どんな根拠があって、僕の、私の、夢を否定してくるんですかね?」

ってことだろうと思うのです。

実際は、否定してくる大人と向き合っていた子供時代の僕に、そんな余裕ありませんけどね、オッサンの後知恵ですね。

大丈夫です。
少なくとも両親や教員に対しては「あの頃は反発してたけど、オレのことをちゃんと考えてくれてたんだなあ。今になってようやく分かったよ」って記憶に、ちゃんと擬態してくれますから。

つまんないやつは、無視すりゃいいです

では、冒頭で書いたように「こんなこと言うと、なんだかバカにされそうで、口にするのが怖い」からと、自分の夢を他人に話すことなんてしないほうがいいのか? というと、そんなことはないのですよね。

人は誰でも「あれやりたい」「これ欲しい」という願望を口にしたいものだと思うのですよ。

そして、繰り返し言葉にすることで、少しずつ行動に変わっていくし、自分を「なりたい」方向に向かわせる効能があるので、絶対に口にすべきだし、こうしてブログに書き続けたりしたほうがいいと思います。

不運にも最初の何回か「否定する人」が連続することだってあると思います。

とくに中学生・高校生くらいのときって、自分の夢を伝える大人が、両親か学校の先生か、親戚のオッチャン・オバチャンだったりしますからね。

あなたに無償の愛を注いでくれている人ほど、ピントっぱずれな否定をしてくれることは、前項に書いた通りです。

いくら友人と語り合っていて、お互いの夢を肯定し合っていても、影響力のある人に連続否定されると、辛いですよね。

こんなことは、社会に出てからも上司とか同業の先輩とかから、思いがけない否定をされることなんて、何度も何度もあるものなのです。

でも、まだ自分なりの対処方法をイメージできない中学生や高校生にとって、近しい大人(両親や教員)から頭ごなしに否定されると、相当キツいですよね…。

なんで、僕のような50代半ばのオッサンが、こんな青臭いことを、こうしてブログ記事として書いているかと言うと、今になって

「結局、自分の思った通りに行動するのが一番」

だと思うからなのです。みんなが、いろんな場面で見聞きしたであろう、使い古された言葉なのですが「うん。その通りだな」と実感できるのです。

まあ、多分に「生存者バイアス」成分を含んでますけどね。
(参考:僕が書いてることって、生存者バイアスですよ

逆に「どんな悪口でも、他人の言葉に無駄なものはない」的な物言いって、あまり気にする必要ないと思います。
「他人をバカにしてはいけない」とか「人を見下すのは良くない」とかも、自分のやりたいことや考えを貫くためならば「ウルセー、話しかけんなバカ」という態度で構わないと思います。

他人をシャットアウトするポイントを持っていたり、溜飲を下げるための魔法の呪文を持っていると、いろいろ役立つのですよ。

実際に言葉として相手に投げつけるのか、ココロの中でつぶやくのかは、臨機応変に。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。