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これ、好きでやってるんです

2020.05.19

こんにちは、萩ドットライフ()です。

職業人だったころには、いつも「評価される」ということが頭の中にあったように思います。無職になってみると、自分をいったん評価から切り離して「好きだからやってる」ことを増やしていくことが、楽しく豊かな人生に向かってるように感じるのです。

「好きでやってる」だけでいい

かれこれひと月くらい、朝ランに出かけていません。
理由は簡単で、マスクをして走るのが不快だからです。

非常事態宣言が出された頃は「ランニング中くらいマスクをしなくてオッケーだろ」みたいな感じだったのですが、だんだんとランニング中にもマスクをしている人が増えてきましたよね。

ワイドショーだかなんだかで「ランニング中もマスクをしていないと危険です」みたいな話があったようなことも、SNSかなんかで見かけましました。

別になんらかの目的を持って走ってるわけではなくて、好きでやってるだけなのですよ。

マスクをして苦しい思いをしたり、他人の目を気にしてまでランニングに出かけるのは本意ではないのです。

「コロナ禍が収束するまで、別に走りに行く必要ないよな」と思ってるだけなのです。

この「好きでやってる」というのが、とても心地よいのですよ。
心地よいから、継続できてるのですね。

速く走ったり、長く走ったりする努力をするわけでもなく、いつの間にか走っても体重が落ちなくなってるし、血圧を下げる効果もさほど感じなくなっているのですが、走ってると気分がいいから走っているのです。

せいぜいキロメートルあたり6分20秒くらいから6分40秒くらいのペースで、8kmから9kmくらいをトコトコ走ります。傍から見ると、長め速めの「散歩」くらいの感じでしょうね。

ときには、10kmを55分くらいで走ってみて「うん大丈夫、走れないからゆっくり走ってるワケじゃないよ」と、へんな納得をしてみたりもします。

SNSにも「朝ラン、ダン。○km・○分」とか、あまり投稿しません。
せいぜい、花が咲いてたとか、途中で雨が降り出したとか、雲がひとつもなかったみたいな投稿の付け足しに、ときどき使うくらいです。

ランニングとか筋トレって、飲み会とかの話題になりやすいのですが、「今度の○○ってレース、一緒にエントリしません?」みたいな話や「最近話題になってる、○○ってサプリ知ってます?」みたいな話にはいっさい乗りません。

「僕、好きで走ってるだけですから。オッサンの健康づくりなんですよ」
「それで十分なんです」

などと言いながら、適度にごまかします。
あまり「目標」とか「約束」とかを持ち込みたくないんですよね。

自分の人生を「評価」から切り離す

こうして、毎日書いているこのブログだってそうですね。
大して文章上手くなるわけでもないし、収益だって子供の小遣い程度ですからね。

ただ「好きでやってる」のです。

社会に出てから、ずっと職業人だったので当たり前なのですが、長い間「評価される」ことばかりを考えてきたように思います。

言葉では「ちょっと、僕の好きなようにやらせてもらっていいです?」とか「あまり、あれこれ言われると、濁っちゃうんすよね」みたいな、クソ生意気なことを言っていた時期もありました。

しかしそれらも、最終的には報酬を頂かなくてはならないし、次回の案件もご指名を頂きたいに決まってるので「評価される」という枠内での「もうちょっと、僕の好きにやらせてよ」に過ぎなかったのです。
(参考:「仕事の報酬は仕事」という考え方

朝ランにせよ、ブログにせよ、職業人だった頃からやってたことなのですが、無職になってから少し重みが増してきたような気がするんですよね。

「もっと頑張ろう」という感じじゃなくて、こういう「これ、好きでやってるんです」を増やしていきたいな。そうすると、もっと人生楽しくなるんだろうな、という感覚ですね。

いっとき、このブログで「生産的な趣味を持ちたい」「娯楽としての仕事を構築したい」と、繰り返し書いていた時期があって、まさに今そこに向かっている最中なのですが、それをちょっと補足してくれる考え方のような気がしているのです。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

「評価される」というところから切り離したところに「好きなもの」を作ることが、これまでの人生の軌道を少し変えて、なんとなく楽しそうな方角へ向うことができるような気がするのですよ。

下手の横好きで構わない

最近「下手の横好き」って、あまり聞かなくなりましたね。
あまり、ことわざとかを引用しながら喋ったり、モノを書いたりすることが減っていて「引用するなら、最近バズったインフルエンサーの名言」みたいな感じになってる印象を受けますね。

下手の横好き
【読み】へたのよこずき
【意味】下手の横好きとは、下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。
出典:下手の横好き – 故事ことわざ辞典(2020年5月19日現在)

あまり、ポジティブな感じのすることわざじゃありませんね。

でも自分の人生を振り返ってみると、大学進学のときに実技試験で選択したバレーボールだって、ずっとずっと生活を支えてくれたデザインだって、最初は「下手の横好き」から始まったんですよね。

始めたばかりのころは「これで受験しよう」とか「これでメシ食おう」なんて微塵も考えてなんかいませんでした。

だって、見渡す限り自分よりもスゴい人だらけなのですから。

今はネットの発達によって、もっと簡単に広い世界を見渡すことができますから、自分の下手さ加減がバッチリ可視化されますよね。いいことなんだか、悪いことなんだか…。

「下手の横好き」って言葉、いつごろ生まれたものなのかは知りませんが、ずっと残っていて「故事ことわざ」なんて大層な分類をされているのには、それなりの意味があると思うのですよ。

たぶんみんなが「それそれ。オレも最初はそうだったんだよ」って記憶を共有してるからなんじゃないでしょうかね?

下手くそだからこそ、何の衒(てら)いもなく「好きだからやってる」と言って構わないし、知識もなけりゃ手際も悪いままに心底没頭してる姿に、周りの人たちが懐かしみを感じるのでしょうね。

そうやって始めたことの全部が全部、メシのタネになるなんてことはありません。
むしろ一生「下手の横好き」のまま終わることのほうが多いんじゃないでしょうかね?

その中のいくつかが「好きこそものの上手なれ」に昇華してくれることもありますが、それはとてもラッキーなことだと思うのです。

どちらにせよ「好きでやってる」ことが多い人生は、それなりに豊かなものだな、と思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。