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セミリタイアの世間体

2020.07.14

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「世間体? そんなものどうだっていいよ」と言いつつ、実はちょっと気にしていたりします。だから自分なりにちゃんと「世間」というものを考えてみたりもできるんですけどね。セミリタイアって、やはり世間体の悪いもんだったりするんでしょうかね?

東京に戻ってきました

約2週間の山口県萩市での滞在を終え、東京に戻ってきました。

僕は約2年間、東京都江東区と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活を続けてきたのですが、このたび萩への本移住を決め、2020年の年明けに萩の古民家を購入したのです。

途中新型コロナ禍で少々スケジュールが停滞していましたが、6月には東京のマンションの売買契約が成立したので、都道府県をまたぐ移動の自粛が解除されるのを待って、萩の古民家で生活できるように基本的なリノベーションをすべく、業者との打ち合わせをしてきました。

以前投稿した「家の売買って、パワー要るよなあ(萩市の古民家購入編)」でも触れたように、遠隔地の家(特に「古民家」という名の古い家)を買うと、こういう段取りにいちいち消耗させられるのですよ。

設備改修の打ち合わせなんて、絶対現地に赴かないとできないし、しかも1回で終わらないのです。

僕の場合は、新型コロナの影響で引き渡しをリモートで行い、前オーナーの家財が搬出されたあとの状況を見るのが初めてだったので、まずは自分で見て方針を決め、それから業者の訪問を受けました。

1回目の打ち合わせのあとも、電気工事業者を伴う打ち合わせ、タイルやら浴室等のマテリアルの選定で2回の計4回の打ち合わせを行いました。

当然、業者もずっと僕のためにスケジュールを開けることなんてできるわけないので「これは、明日見せてください」「こっちは、明後日くらいには資料手に入ります?」みたいな感じにはならないのです。

どうしても「来週の○曜日はいかがでしょう?」みたいな進行になってしまうのですよね。

僕が「この滞在中に大まかなスケジュール感を掴んだ上で、見積もりもらって発注までしたいな」と思っていたものですから、余計焦りを感じたんですけどね…。

何度も繰り返し書いていますが、遠隔地の家を買うのって、パワー要りますよね。

その、もろもろの作業を依頼した設備会社で従業しているのが、僕の高校時代の同級生なのです。
この新型コロナ禍の中、飲み会を催してくれました。

僕は正直「こんな時期だし、同級生たちと会うこともないだろうな、淡々と打ち合わせだけ済ませて東京に戻ろう」などと思っていたのですが「飲み会しよう、ちょっと他の連中に声かけてみる」から数分後には「じゃあ明日は?」とあっさりと開催決定。

その飲み会場になった飲食店のオーナーも、小・中学校時代の同級生なのです。
まあ、こんな時期だからこそ、サポートというか…応援というか…ですよね。

「無職になる」は世間体が悪い

その飲み会に、以前「動きながら考える」という記事で書いた「市役所を退職し海士になることを決めた友人」も出席していました。

話を聞いてみると、どうやら船の免許も取り漁協にも入会したものの、ほとんど漁には出ていないもようなのですよ。「こないだ、ちょっと船の運転の練習した」とか言いながら笑ってました。

たぶん「天気が良くて気持ちいいから、船出して遊んだ」くらいのことなんでしょうね。

よくよく聞いてみると、彼もセミリタイアしていたのですよ。
「海士になる」は方便だったのです。

たぶん「無職になる」というのは、ちょっと世間体が悪かったんでしょうね。

このブログでもずっと書いているように、僕はわりと積極的に「無職です」って言っています。
前述の設備関係のもろもろの打ち合わせ時にも「スミマセン、無職なので名刺がありません」で通しました。

そもそも「世間」ってなんなんでしょうね?

おそらく僕が「世間」という言葉を口にする場面では、世間とは僕のことなのです。
「オレは他人からどう思われてるだろう? こう思われたい、こうは思われたくない」という、他人の目を気にする自分自身の気持ちなのですよね。

対話中の誰かが「世間」という言葉を口にしたら、世間とは、その人のことなのです。
「自分だってセミリタイアしたい。でも、まだまだ子供の学費がいるし、家のローンが残ってるし、そんなことできない。こいつだけそんないい目を見るのは許せない」という思いを「世間」に代弁させているのです。

だから、そもそも悪くなったり良くなったりする「世間体」なんて、ありゃしないのですよ。
だいいち「世間」なんてものが、実在しないのですから。

「世間」なんて言葉を使って、自分をディスってくる人なんて「元より人生の交わる人じゃないな」と距離を置けばいいし、自分自身が気にするのならば、いったん「孤独」を日常生活の基本形にしてみるといいのです。
(参考:孤独を楽しむことで、人は成長するよ

無職になってまだ数ヶ月しか経っていませんが、セミリタイアは孤独と相性がいいし、孤独が好きな人はセミリタイア人に向いているような気がします。

セミリタイアは世間体がよくない?

僕は以前「僕のことなんか、誰も見ていない」という記事を投稿したことがあります。

そもそも他人は自分のことに関心なんてありゃしないのですよ。

僕がどう生きようが、どこかで露頭に迷おうが構わないのです。
みんな自分の人生のことだけを考えて生きているのです。

細かく自問していくと「家族の人生を考えてる」「友人の人生を考えてる」「仕事仲間の人生を考えてる」などなど思いつきますが、考える主体である自分あってこその「他人の人生を…」ですからね。

そもそも、どうしてセミリタイアって「世間体がよくない」と思ってしまうのでしょうね?

僕の中にも若干、そんな気持ちがあるのですよ。
だから、ブログ記事でこんなことをテーマにしながら、どうにかこうにか「世間体、悪くなんかない」というところに着地させようとしているのです。

現実社会で「僕、無職なので…」と口にするのも、他人の反応を見たいからだったりするのですよね。

おそらく「朝、職場に通い。昼、汗水たらして仕事に勤しみ。夜、家族とともに団らんの時間を過ごしながら、明日に備える」という生き方が、皆が共有する基本的な生き方ということに「なってる」からなのでしょうね。

本当は「そんなワケないじゃん」ってこと、みんな知ってるんですけどね。
せいぜい「うん。そっちが多数派……なのかな?」くらいの印象だったりしませんかね?

僕は、30代半ばでフリーランスになって、50代半ばの今、無職になってセミリタイア人になりました。
その辺の感覚は、会社員・公務員を辞めて無職になった方と、ちょっと異なるのだろうと思います。

途中で意にそぐわない無職状態も経験していましたし、現役から無職の間にグラデーション期間もありましたしね。

どちらにせよ「世間」なんて、どこにもないものなのです。
せっかくの人生を、実在しない「世間」なんてものに左右されるなんてもったいないですよね。

そんなもの、無視して自分の好きなように生きればいいのです。
繰り返しますが、誰も僕の人生に興味なんてないのです。
だって、他人はそれぞれに、自分の人生に興味を持って生きているのですから。

好きにすりゃいいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。