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孤独を楽しむことで、人は成長するよ

2018.12.26

最終更新日:2019年01月02日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

孤独が好きなんですよ。寝るときと、ご飯食べるとき、お風呂、トイレ以外は、作業部屋にこもっています。「人は成長する」なんて、構えの大きなタイトルにしてしまいましたが、僕にとっては、孤独でいることが成長をもたらしてくれたと思っているのです。

「僕にとっては、こういうやり方が合ってたよ」という話であって、一般化できる話なのかどうかわからないのですよ。
ただ、50代半ばまで、フリーランスのWebデザイナーとしてメシを食うことができているので、それほど大きな間違いを犯しているとは思わないのです。
では「最善だったか?」と自問しても、その答えを得ることはできません。
なんとなく「そこそこ上手くいったかな?」という感触を持っているお話です。
(参考:僕が書いてることって、生存者バイアスですよ

ひとりで考えたり、手を動かしてる時間が好きなのです

ずっと作業部屋にいて、ひとりで考え込んでいたり、調べ物をしたり、手を動かして何かをこさえてる時間が好きなのですよ。

日常的に、仕事の合間や、ちょっとした時間ができると、気になった用語をどんどんググって調べたり、アプリをダウンロードしてみたり、連想ゲームで興味がどんどん拡散し、収集がつかないことになったりしています。

他の記事でもちょくちょく使っている表現なのですが、僕は「フリーランスにとって、盆暮れGWはラボ」だと思っているのですよ。
他のサイトで見つけた、ちょっとした表現を模倣して再現してみたり、MAMP(Macにインストールできる開発環境構築ツール)にオープンソースのシステムをインストールして遊んだりしています。

たぶん、この行為自体が僕にとっては娯楽になってるように思うのですよね。
誰とも会話せずに、黙々と長時間、遊び続けることができるのです。

僕は「こういうことをして遊んでる時間、オレは最も成長してる」と勝手に思っています。
もう何十年もそう思い込んでしまっているので、とくに根拠など必要としていないのですよ。

「オッサンになるまで、これでやってこれたんだから、このままでいいじゃん」ということなのです。

決して集団の中にいることを拒んでるわけではないのです

本来、人間というのは「社会的な生き物」なので、本能的に集団の中に身を置くようにプログラミングされていて、完全に孤立してしまうと、生きてはいけないのだろうと思っています。

だから「集団の中にいる自分」という立場も、そこそこ大切にしているつもりではいます。

僕が生業としているデザイナー業にしても、消費者がいて、クライアントがいて、広告代理店がいて…と、多くの人がいるから成立しているものであって、僕はその中にポジションを頂いているからこそメシが食えているのですよ。

あくまでも「集団を意識しているからからこそ、孤独が心地よい」と思ってます。
決して「孤立」をしているワケではないのです。

なぜ「孤独が心地よい」と感じるかというと、何か興味を持ったことを、誰にも邪魔されずに考え続けられるという、時間と空間を持てることが、楽しいのですよ。

おそらく「集団の中での自分のポジションをキープすること」と「孤独の中で考え、手を動かし、自分を成長させること」は、両輪のようなものだろうと考えています。

集団の中にいる人たちも、自分自身も「他人と違うことをして抜きん出る」ことを求めてるんじゃないでしょうかね。
「抜きん出る」と言っても、それほど大それたものじゃなくて「ほんの少しだけ、明らかな自分らしさを獲得できてる」くらいのものだと思います。

集団の意思に応えられなくなったり、自分自身で納得できなくなったら、そこが職業人として「お別れのご挨拶」をするタイミングだと思うのです。

他人の影響を一切無視できる作業って心地いいんですよ

集団の中に身を置いているとき、どうしても周りの人たちの影響を受けますよね。
意識的に仲間が僕に望むような振る舞いをしたり、競争相手と同じようなアウトプットをしたり、成果物に対する評価が気になったり。

これは「無視しろ」という方が無理なのです。
集団の中では必要なことだったりしますからね。

先ほど「『集団の中…』と『孤独の中…』は両輪」と書きましたが、孤独の中では、周りの人たちの影響を一切無視することができるのですよ。
「他人の影響を受けることは、害である」という思考回路にさえなってくるときがあるのです。

これが、良いことなのか悪いことなのか判断できませんが、僕にとっては「心地いい」ことは確かなのです。
たぶん、集団の中では得られない「独善」を実感できるからなんじゃないでしょうか?
自分ひとりなのですから、当たり前なんですけどね。

ただ、孤独の中にいるとき「他人の影響は受けたくない」と思っていても、「集団の中にいる自分の影響」は受けますよね。だからこその「両輪」なんでしょうけどね。

同様に「集団の中にいる自分」も「孤独の中にいる自分」の影響を受けるのですよ。
わかりやすく言えば、「孤独の中」での思考スタイルが、「集団の中」の人間関係に影響を及ぼすのです。

以前書いた「飲み会を「つまらない」と思うようになった理由」とも共通するのですが、自分に悪影響を及ぼす(と感じる)人との距離を取りたくなるのですよ。

このブログでも「人間関係の断捨離」というタグを使っています。
「独善的」だとも「身勝手」だとも思っていますが、自分にとっての心地よさを求めると、そういう行動になってしまうのですよ。

自分のリソースは限られていますから、有効に使いたいのです。

タイトルに「孤独を楽しむことで、人は成長する」と書きました。
「独善的に。身勝手に。自分に悪影響を及ぼす他人との距離を取ろうとすることが、成長なのか?」とも思われるでしょうが、これに関しては自分の中で、きちんと折り合いがついているのです。

あらゆることを自分自身で判断し、何が大切かを適切に選ぶことができる方向に向かっていることが「成長」なのであって、他人に影響され、他人に反応することを抑制することが「成長」の要件だと思っているのです。

冒頭の文言を繰り返しますが、「僕にとっては、こういうやり方が合ってたよ」という話です。
これからも成長するかどうかはおいといて、僕はオッサンなので、アタマが硬くなっていますから、残りの人生もずっとこのスタイルなのだろうと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。