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人と会わないことには慣れたけど、マスクはダメだ

2020.08.13

こんにちは、萩ドットライフ()です。

いつまで経ってもマスクを忘れて出かけてしまうのですよ。だいたいエレベーターで1階に降りて、マスクをしている人を見かけて「ヤベっ。忘れた」と気づくのです。新しい生活に慣れたものはいっぱいあるんですけどね、マスクだけはダメなのです。

「ヤベ。マスク忘れた」

今だに、エレベーターで1階に降りてから「ヤベ。マスク忘れた」などとつぶやきながら自宅のある階に戻ることが多々あります。

とくにホールに他の人がいるときには「この人、なんでマスクしてないんだろう」「せっかく降りたのに、また上がるの?」と思われてるんだろうな、などと感じるので「ヤベ。マスク忘れた」を意図的に声に出すのです。

心の中では「ずっと無言なんだから、郵便受けのチェックくらいノーマスクでいいんじゃない?」などと思っているのですが、おそらく周囲にはマスクの効果を絶対視している人もいるのだろうし、付けてないよりは付けてる方が感染予防に資することは間違いないので「まあ、付けとこうかな」くらいでいいのだろうと思っています。

先日も「マスクは皆が着けているから」なんて記事も目にしました。

マスクは「皆が着けているから」 日本人、「感染防止」関係なし:
新型コロナウイルスの感染が拡大する中、日本人がマスクを着ける動機は、感染が怖いからでも他の人を守るためでもなく「みんなが着けているから」。同志社大の中谷内一也教授(社会心理学)らのチームが11日までに、インターネットで行ったアンケートから、こんな結果をまとめた。
出展:マスクは「皆が着けているから」 日本人、「感染防止」関係なし:東京新聞 TOKYO Web(2020年8月11日)

「まあ、そんなところだろうな。オレもそうだしな」という感想です。

だって、電車やバスで老人や障害者に席を譲るときに「この人よりも自分のほうが頑強そうだ、この人が座って自分が立っていたほうが万一の事故のときの被害が少なくて済むだろう」とか「弱者に優しい社会のほうが暮らしやすい社会だ。自分もの一助となるのだ」とか、いちいち考えませんもんね。

「みんなそうしてるし、そういうもんだから」くらいの感じで、「あ、どうぞ。座ってください」ですよね。
特段、効能やら社会的な意義を考えた上でそう振る舞ってるワケではないのです。

マスクも同様です。

「ま、みんな付けてるし付けとこっか」といったところです。ランニング中は外してますけどね。

他人と2m以内の距離で会話することなんかまずないし、そういう場合はポケットから出して装着する準備はできてますしね。
なによりも、熱中症になってしまったら本末転倒だと思うからです。

マスク以外は「新しい生活」に慣れてるんですけどね

そんな「みんなしてるから」って感じだから、出掛けにマスク忘れちゃうんでしょうね。
出かけるときって何らかの用事で家を出るわけで、頭の中にあるのはその用事の段取りだったりしますからね。

これが数年続くようだと、慣れるんでしょうかね?

そうそう。僕は高校時代に近眼になってからずっとメガネを使ってるのですよ。
だからもう40年以上、毎日メガネを着用してるんです。

メガネをせずに外出するなんてこと、一度もありませんでした。

ところが、この数年で老眼が進んできて、手元の作業は「メガネなし」の状態が一番快適なのですよ。
そうすると、外出のときにメガネをかけずに出かけようとする現象が起こるようになったのです。

おそらく「メガネをかけない」という新しい習慣が身につき始めてるんですよね。

マスクと違って、玄関扉を開けた瞬間に遠くの景色が見えますから「あ、メガネ忘れてる」って気づきますけどね。

マスクもメガネと同様で、同じ行動を繰り返していれば慣れるし、そのうち付けていないことに違和感を感じるようになるのだろうな、と思っています。

なかなかマスクに慣れないのは、家の中で装着してないからなのでしょうね。

反面、人と会わないことに関しては、もう何とも思わなくなりましたね。

僕はずっとフリーランスだったし、自宅の作業場に籠もって仕事をする人だったので、会社員の方々よりは他人と会わない時間が多かったのですが、それに輪をかけて誰とも会わなくなりましたね。
(参考:孤独を受け入れると快適ですよ

加えて、僕が無職になったので、仕事上で他人とコミュニケーションを取る機会が極端に減ったこともあるんですけどね。

以前は、スーパーやコンビニで出来合いの惣菜や弁当ばかりを自宅で食べる日が続くと「オレの食生活、ちょっとマズいんじゃないか?」「たまにはちゃんとしたところで食べないとな」などと思っていたのですが、もうなんとも思わなくなりました。

買い物もすべてAmazonを始めとするECに頼りっきりです。
地下鉄に乗って実店舗に出かけたのって、新型コロナ騒動以降、Macの修理に行ったくらいじゃないかな?
(参考:Apple StoreのGenius Barへ行くの、これで最後かな

こういうのを「ニューノーマル」って言うんでしょうかね?

変わるもの、戻るもの

なんとなく今は「コロナだからねえ。早く収まってくれないと」などと言いながら、マスクを付けたり、人との接触を避けたりしています。

マスクに関しては、だんだんと科学的知見やら予防、治療方法の発達とともに習慣も変わってくるのでしょう。

人間関係については、いつまでも「感染症が怖いから、友人知人と会わない」なんてことも言ってられませんよね。
だから、これからだんだんとリスクを許容しつつ人は人と会うようになり始めると思うのです。

ただ、このコロナ禍をきっかけに、会う/会わないの線引は少し変わった気はします。

どうしても会いたい人、時間を共有したい人ならば、少々のリスクを受け入れてでも「会う」を選ぶのでしょうが、儀式的な会合はこれから敬遠されるようになるんじゃありませんかね?

逆に言えば、意味のない会合を拒否するための方便として「感染症対策」が使われ続けるんじゃないかな? と思うし、人々の心の中にそういう気持ちが芽生えているように感じるのです。

たとえば、仲のいい友人や家族と同席して不幸にも感染したならば「仕方ない。ゼロリスクなんてありえないもんね」と許容できますが、さほど仲良くもない人同士が集まる会合に半ば強制的に呼び出され、そこで感染するなんて耐えられませんよね…。

出席したくない会合に「行かない」と言いやすい状況は、以前よりも整ったんじゃありませんでしょうか。

このように僕たちの頭の中は、急速に新しい生活に順応しはじめているように感じます。

「リモートワークを増やそう」とか、「東京への一極集中、よくないね」とか、「無駄な会議とか、意味のない会合、やめよう」とか、これまでゆっくりと起こりつつあったことが、ちょっと加速した感じでしょうかね。

奇しくも僕は、あと数日で東京を離れ山口県萩市という地方在住者になります。

この新型コロナ禍が収まったとしても、感染症対策として都市一極集中を解消する必要があることは間違いありませんし「地方移住を考えている人が増えている」という記事に触れる機会もちらほらとあります。

これまでずっと、人は都市に集まることで文化を作ってきたのですが、少し違う方向性が生まれてきた感じなんでしょうかね?
でも、一度手に入れた、利便性やサービスのクオリティを手放すことはなかなか困難なことだと思いますね…。

あれ? 「いつまで経っても、出掛けにマスクを忘れがちなんだけど…」から話を書き始めたのですが、なんか変な方向に話が進んでしまいましたね。

ほんとうに地方や郊外への移住が促進されるのか? については、また別の機会にじっくり考えてみようと思います。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。