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オッサンなんだから、少しくらい好きなことしてもいいでしょ

2020.08.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

オッサンだからこそ「今」とか「その先」を肩のチカラを抜いて、好きなように生きることができると思うんですよね。その昔、僕はそういうオッサンになりたかったはずなのです。その確認をするために東京を離れて、生まれた街・山口県萩市に移ります。

自分は、昔なりたいと思っていたオッサン、か?

若かりしころ。といっても30代くらいかな? 世間では「いい大人」と呼ばれる頃だし、仕事の現場では「10年選手」なんて言葉もありましたね。

それでも「自分は、まだ若者カテゴリに入ってる」と信じ込んでるくらいの、どっち付かずごろだったように記憶しています。

自分が自分をどう捉えるか? よりも、周りが「もう大人なんだから。責任ある行動を」と言ってきたり「まだまだ若いのだから、好きなことをやりなさい」と言ってきたりするので「いったい、どっちなんだよ…」と。

そんなころ、よく身近にいたり、テレビで見かけたりしている「オッサン」のことを、すごく気にしていました。

同年代のみんながそうしていたかどうかは、わかりません。

だって「周りのオッサンのこと、気にしてる? どんなオッサンになりたい?」なんて会話しませんからね。
直接の上司や仕事で関わりを持つ人でもなければ、他世代の人なんてあまり気にもなりませしね。

僕自身は、30代半ばに組織人であることをやめて、フリーランスになりました。

なんとなく「こんなオッサンになりたい」と感じた姿に近かったのが、フリーランスと呼ばれる人々だったんでしょうね。
「毎朝スーツを着て満員電車で会社へ向かうオッサン」への道から逸れたかったのです。

それから四半世紀。僕は、どうにかこうにか運よくフリーランスのデザイナーとしてメシを食い続けることができました。

贅沢な暮らしとはほど遠いけれども、住むところや、食べるもの、着るものを買えなくて命を落とすようなことはない程度の資産も形成しました。

「働かないと生活できないってワケじゃなし、ちょっと無職になって、好きなところで暮らしてみよう」と、数年がかりで画策していて、ようやく明後日の2020年8月17日(月)に東京を離れ、山口県萩市に移住します。

今の姿が、四半世紀前に思い描いていた「なりたいオッサン」かどうかは謎ですが、とりあえず、あの頃「フリーになろう」と感じたのは間違ってはいませんでした。

オッサンになるのは仕方ない。でもイヤな老け方はしたくない

僕たちはみんなオッサンになります。女の人はオバサンになりますね。
こればかりは、どう足掻いたって、どうにもなりゃしないのです。

もしかすると昔は「オッサンになんてなりたくない。オレが目指すのはステキなオジサマだな」なんて思ってたのかな? なんてことも考えてみたのですが、覚えている限り、僕はそんなものを目指したことなどなくて「自由に好きなことをやってるオッサンになるんだろうな」と思い続けていましたね。

だから「オッサン化を食い止めるぞ」なんて努力など一切せずに、すべてを成り行きに任せています。

ただ、抗い続けているのは「イヤな老け方」ってヤツですねえ。

これってオッサンになって始まるものではなくて、高校生くらいから兆候がありゃしませんでしたかね?
なんだか「会話するまでもなく、こいつとは関わりたくないな」みたいな仕上がり方をしてるヤツっていましたよね。

オッサンの中には、その成れの果てというか、さらに濃縮された人々が含まれているし、40代より50代、50代より60代のほうが含有率は高まるのです。

オバサンもそうなのですが、僕はオッサンなのでオッサンについてのみ語りますね。

「イヤな老け方」をする要因って、間違いなく「老い」とか「衰え」を無視することはできないのです。
だから、どうしようもないものなのですが、明らかに個人差がありますね。

当然「容姿」からくる印象って大きいのです。
ハゲてたり、ユルんでたり、肩で息をしていたり、表情が不快だったり、変なところから伸びてる毛を放置していたり。

でも、それ以上に「うわっ、こいつイヤだな」と思うのが、立ち振舞いだと思うのです。

他人の話に不躾に割り込んできたり、なんでもかんでも否定から話に加わりがちだったり、延々と昔話を続けようとしたり、なんか変なところで変なチカラの入れ方をしてきたり…。

自分の居場所を自分で作ろう

もともと「オッサンとしての自分」のことを書きはじめたはずなのですが、筆が進むにしたがって、どうも他人のことばかり考えてしまいますね。

どっかしらで「こいつらと同じカテゴリに入るの、嫌だな」というグループって確実にいるんですよね…。

特に今は、生まれ故郷の山口県萩市に移住しようとしているところですから、どうしても同級生・同窓会のことを思い出しながら書き進めています。
(参考:50代になったら同窓会が増えた

幸運にも、仕事の現場で出くわすオッサン・オバサンがなかなか魅力的で楽しい人々が多い環境に居続けることができたので、その反動でかつての同級生を見る目が苦くなっているのかもしれません。

同窓会って、オッサン・オバサンがひとつの部屋にみっしりと集められる催しなので、なかなか強烈なのですよ。当然、僕もその一味なんですけどね。
そして、交わす会話の9割方が「思い出話」だったりね…。参加すると、たいてい後悔しますよね。

決して同級生(=オッサン・オバサン)との会合を持つのがイヤなのではなくて、定期的に会ってる人々もいるのですよ。
概ね、そんな人たちは「自分のレストラン開業した」とか「セミリタイアしたよ」とか「会社の経営が芳しくなくて、どうしたもんか」などなど、今の自分を語る人々なのですよね。

自分の居場所を、自分で作ってる人たちなのです。

思い出話とか過去の武勇伝なんかどうでもよくて「今のこと」「先のこと」を語りながら刺激し合えることが大切なのです。
だから会ってて楽しいし「そろそろ、またやろうかね」って話が定期的に持ち上がるのです。

その人たちは、四半世紀前も同じようなことを言い合いながら、キラキラニコニコしていたのです。
自分の「今」が好きなんですよね。

そこそこの資産を形成してる風な人もいれば、どうも金回りに恵まれてなさそうな人もいたりしますが、そんなことはどうでもいいのです。「今」なにかを企んでることが大切なのです。

むしろ、オッサンになると残された時間は減って来るし、子育てとか、両親の介護とか、やらなければならないことを終えている人も多いので「少しくらい、好きなことしてもいいでしょ」な感じの人も増えているような気もします。

僕もその末席に名を連ねてるつもりなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。