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セミリタイアへの突入。すごくスムーズだったんじゃないかな

2020.09.25

こんにちは、萩ドットライフ()です。

振り返ってみれば「ワリとスムーズに、セミリタイア生活に突入することができたかな」と思っています。途中では「全然やりたいことできないじゃん」「状況、まったく変わらないし」「オレって口だけ?」と少々イラついていた時期もありましたけどね。

実際に動き始めると、周囲は急速に優しくなりますよね

このブログのテーマでもあるように、僕は数年前から「山口県萩市へ移住して、セミリタイア生活をすること」を目標に掲げて行動してきました。
結果、2019年10月には受け持っていたすべての案件をクローズさせ無職になり(一部例外あり)、2020年2月には山口県萩市に築56年の古民家を購入(売買契約締結)。
途中で新型コロナ禍で足踏みしたものの、2020年8月には晴れて萩市民となりました。

2019年9月25日が「失業記念日」。2020年8月17日が「移住記念日」ということにしています。

失業記念日というのは、冒頭で触れた通り「すべての案件をクローズさせた日」の翌日です。
僕はサラリーマンではないので「○月○日付けで退職します。翌日から晴れて無職です」というわけにはいかなかったのですよ。

前もって「僕はセミリタイアしますから、以降新規案件は受注しません」と宣言しておいて、運用を受け持っているWebサイトをすべてクローズさせてからようやく「無職」になりました。

途中で他の同業者に手渡すことも考えたこともありました。

頼まれた方も迷惑だろうし、「仕事譲ってもらえるんなら、なんでも嬉しいです」って人に託すのは不安だし、長らく僕の生活を支えてくれた稼業の終末なので「最後まで自分で関わろう」という気持ちもなったし、ってところですかね。

僕が携わっていたのが、新築マンションのプロモーションサイトだったことも影響しています。
物件が完売したら、Webサイトはクローズされます。
「やがて終わりがやってくるWebサイト」だったからこそ、僕と相性が良くてずっと継続できたんですけどね。

「さあ、セミリタイアするぞ」と決めてからは「ずいぶん時間かかるなあ」「わかっちゃいたけど、こういうのってサクっといかないもんだよなあ」とかなりイライラしたものです。

「もうこれで最後だ。恥ずかしくないように気合い入れよう」って考えてるときばかりじゃありませんからね。
「辞めること決めてるのに、なんでそこまでやらなくちゃいけないんだ? テキトーに流しちゃお」なんてヤサグレた気持ちになってるときも、少なからずあるのです。

でも、実際に当初の目的通り無職になって山口県萩市でセミリタイア生活を始めたいま、振り返ってみると、

「実はものすごくスムーズにセミリタイア生活に突入できたんじゃないかな…」
「変な邪魔もコロナくらいで、ものすごく周囲に助けられてラッキーだったな」

などと感じるのです。

おそらくですね、「オレ、セミリタイアしますからね。もう新規案件請けませんよ」と宣言してからは、実際その通りに行動し始めたからじゃないでしょうかね。

最初は「またまた冗談を」みたいな感じに受け取ってた人もいましたし、「指名発注なんで請けてください」って言われて引き受けた案件もありました。
けれども、二拠点生活を始めたり、萩で不動産を物色し始めたりしましたので「あ、本気なんだ」と思ってもらえたんでしょうね。

ただ「セミリタイアする、する」言ってるだけだと、世間は真に受けてくれないのですよ。
四半世紀前に僕がフリーになったときと一緒です。

「会社辞める」「起業する」なんて、何度繰り返し言っても他人は冷たいものなのですよ。
「さっさと動けよ」という目でみられますからね。

寄ってくるのは「そんなことしても上手くいくはずない」「現状から逃げようとしているだけだ」みたいなクソアドバイスをしてくる人たちばかりです。
(参考:アドバイスって役に立ちませんよね

だけれども実際に動き始めると、周囲の空気は急速に優しくなりますよね。
口に出して「面白そう、はなし聞かせて」という人もいれば、特に何も口にはしないけれども「なんとなく気を配ってくれてるな」と感じさせてくれる仲間の行動に気づくようになるのです。

フリーランスのデザイナーだったことも影響してるかな

多分に、僕の思い込みが含まれているような気もしますが、僕の職業がデザイナーだったことも「スムーズにセミリタイア生活に突入できた」ことの要因なんじゃないの? と感じています。

僕がデザイナーだということは、僕の周囲の人々も多くはデザインと関わる職業の人々なのですよ。

デザインというのは、現状をより良い方向に改善していくために為される行為なのです。
「どうです? ちょっと良くなったでしょ、この方が目的が達成されやすいですよね」ということを日常の仕事にしている人たちの集まりなのですよ。

必然的に「オレは、こう変わってみようと思う」「自分のスタイルを変えることを思いついた」みたいな思考との相性がいいのです。

だから僕が「セミリタイアしたい」「田舎に移住して、目に見える景色を変えてみたい」と言い出したときにも自然と「ほう、いいじゃん」という空気になりやすい環境だったのだろうな、と感じています。

僕自身のことを言えば、ずっとフリーランスでやってきたことも、影響大だと思いますね。

「他人はさほど自分に興味を持っていない」ことを痛切に感じる体験を何度もしていますからね。
泣き言でも恨み言でもなく「組織に所属していないということは、そういうもんだ」ってことです。

他人の僕への見方って、コロコロ変わるのですよ。
僕が役に立つ存在のときには、あれやこれやとコミュニケーションを取ろうとしてきますが、代わりが登場したり役が終わればとたんに透明人間になるのです。
だから、
他人にどう思われるかなんて、気にするだけ無駄なのですよね。

一生交わり続ける他人なんて、希少もしくはゼロなのです。
反面、自分自身とはイヤでも一生関わり続けますからね。機嫌を取りつつ正面から向かい合うべきは自分自身なのです。

フリーでも組織人でも、同じっちゃあ同じなのですが、フリーになってからのほうがちょっと強めに感じるようになった気がします。
「その分、楽」ってことも多いので、良し悪しで語る話でもないんですけどね。

デザイナーという職業。フリーランスという立場。
このふたつが、スムーズにセミリタイア生活に向かうことができた要因になっているような気がしてやまないのです。

ポジティブに語り続けよう

とはいえ、無職になってから今日でちょうど1年。萩市に移住してからひと月ちょい。
まだまだ僕のセミリタイア生活は始まったばかりです。

そのくせ「視界の景色、感じる風が変わると、考えることも変わるよ」なんて生意気なことを、このブログに書き続けていますが、それはホントにそう感じているからなのです。
(参考:毎日の景色がもたらす影響

最近つくづく、自分の中に起こった感情をどういう言葉で表現するかで、運の良し悪しが決まってくるなあ、と感じています。

このセミリタイアだって「もう歳も歳だし、仕事キツいし、田舎に帰ってまったり過ごすよ」でも良かったのですよ。
実際、そういう側面もありますしね。

しかし、それをもひとつポジティブに「人生100年時代。次のワンゲームを新しい環境に身を置いてイメージしたいんだよね」みたいな言葉で自分に言い聞かせることで、ちょっと生活が明るくなるんですよね。

いつもネガティブなことばかり言ってる人と、あまり交わりたくありませんもんね。
たぶん運って、ポジティブな言葉に寄ってくるものだと思うのですよ。

ほら、SNSとかで、他人の悪口ばかり言ってる人ってなんとなく不幸そうだし、フォローしてても気が滅入りますよね。

そりゃ僕だって他人の悪口、言いますけどね。

ほどほどにしつつ、できればポジティブな言葉を発し続けようと思うのです。
生活の環境が変わると、そういう言葉を生み出すネタも見つかりやすいような気がするのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。