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話の流れ上、そういうことにしとくか…

2020.10.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ちょくちょくされる質問ってありますよね。若干ウザ味を感じますが、たぶんそこが世間から見た僕という人間の引っ掛かりの部分なのでしょうから、そう無下にしてはいけないのです。そして、返答は真実から逸れたカタチでパッケージ化されるのです。

どうして萩に帰ってきたの?

長らく生きてると、頻繁にされる質問ってのができてきますよね。

僕の場合ならば「どうしてデザイナーになろうと思ったの?」とか「どうやったらフリーランスで食っていける?」とか。
「どうして坊主にしてるの?」とか「どうして運転免許、持ってないの?」みたいな感じかな?

他にもいろいろありそうなのですが、いま思いつくのはそんな感じです。

ちょっと前ならば「どうして清澄白河でマンションを買ったの」なんてのもちょくちょくありましたし、さしずめ最近ならば「どうして萩に(山口に)移住したの?」でしょうかね。

さらに市内での会話ならば「萩のどこに住んでるの?」から「どうして〇〇(今住んでる地名)に住もうと思ったの?」とかね。

こういう質問ってそもそも、ひと言で答えられるようなものじゃありませんよね。
たいていの場合、理由は「複合」なのです。

でも、他人に「どうして?」と聞かれて「ひと言じゃ答えられません」「複合です」と返すのも野暮なので、なんとなく話の流れで、目の前の人が喜びそうな、話が広がりそうな、僕のことを面白いと思ってもらえそうなワードを散りばめつつ話を作っていくのです。

反対に、早く話を切り上げて別の話題に移したいときってのもあって、そういうときにはできるだけつまらなそうな理由を集めてきて話を作ったりもします。

ウソをつくわけじゃありませんけど、話しながら「そういうことでもないな…。こりゃ作り話だな」って感じることが多々あります。
だって「どうして?」に対する答えなんて、自分でも後から「そっか、あのとき」って認識することも多いですからね。

自分のアタマに浮かんだ言葉を口にした瞬間「あ、こりゃ違う」ってことも多々ありますし、会話の流れで、相手に合わせながらテキトーに打った相づちの言葉に「そう、これだよ」って影響され始めたりもしますしね。

結局、自分で感じていた印象とはちょっとニュアンスの違うストーリーがどんどん出来上がってしまうんですよね。
「まあ、そういうことにしとくか…」って思うしかないんですけどね。

「前に言ったたことと違う」なんてざらです

例えばいまこうして萩に移住してきている理由なんて、ざっと思いつくだけでも

  • 自分が暮らす環境を変えたいから
  • 眺めの良い場所、風の心地いい場所で暮らしたいから
  • 土を踏み、草木に触れることができる場所で暮らしたいから
  • 10年、15年後に「田舎暮らし」なんて考えるわけないと思ったから
  • 両親が高齢で、ある日突然人手が必要になる場面が来そうだから
  • 安い家を買って、セルフリノベーションしながら暮らしたかったから
  • 東京の生活に飽きたから
  • 東京のマンションが高く売れそうなタイミングだったから
  • 生まれた場所に帰るっていうノスタルジーを感じたから

などなどを思いつくのですよ。

たぶん、このブログの別の記事では違うことを書いているかもしれません。
今後、動機を新しく「再発想」するかもしれません、たぶんします。

そんなもんなのです。

だから「あれ? 前言ってたことと違うじゃん」なんてことはざらにあるし、それでいいのです。

別にウソを言っているわけではないし、そもそもすべてを語ることなんて不可能である以上、端っから「作り話(=ストーリー)」なんですから。

前項の繰り返しになりますが、話を展開させたいときには楽しそうに、チャッチャと切り上げたいときにはつまんなそうに話を作るのですが、なんとなくのパッケージは出来上がりますよね。

こうしてブログに書くときだってそうです。
繰り返し話題にしたり誰かに伝えていると、お決まりの言い回しみたいなのができてきちゃうんですよ。

「前と言ってることが違う」のならば、取り出したパッケージが違うか、そのパッケージがアップデートされたかのどっちかなんでしょうね。

真実と異なる仕上がりになってることは承知の上なのです

僕の行動や態度などを興味持っていただけるのは、とても嬉しいことなのです。
でも、そのひとつひとつに明確な動機や理由なんてあるわけないのです。

みんなそうでしょ。

だから、なんとなくその場のストーリーとして面白ければそれでいいような気がするのですよね。

オッサン・オバサンって、同じ話を繰り返ししますよね。
若かりし頃は「またコレかよ…。こないだも聞いたよ」と、疎ましく思っていたのですが、自分がオッサンになって思うのは「人生長らく生きると、話のパッケージの手持ちが増える」のです。

で、そのパッケージを取り出すトリガーは多様なのです。
違う入り口からそのパッケージにたどり着いているので、本人は同じ話をしていると認識していなかったりもします。

そして、そのパッケージ化されてる話って、たとえ苦労話仕立てになっていたとしても、本人にとっては「楽しかった思い出」と化してる話なのですよ。
だからこそパッケージ化されてるし、アップデートを繰り返しているのです。
その話に持ち込むこと自体が楽しいことなのです。

同じ話を何度も聞かされる側に回ると鬱陶しくて仕方ないのですが、常に一定数の「そのお話、初めて伺いました」層がいて、その人々を相手に披露しているつもりだったりもするのですよね。

その話をして誰かに喜んでもらうのが、ちょっと嬉しかったりするのですよ。

実際は「これをやったとき、こんなこと考えてなかったぞ…」「こりゃ、あとから開発して付け足した言葉だぞ」みたいな感じの言葉だらけがつながっていて、真実からは少し逸れた仕上がりになってるんですけどね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。