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新しい習慣ができた感じ

2020.10.22

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「こないだの飲み会、みんなマスクしてなかったな」なんてことを思い出しています。「ダメだなあ」って言いたいワケじゃなくて「これはあり、これはなし」って自分の頭で考えながら行動している結果が、新しい習慣を作り始めている気がするのです。

「気の緩み」は禁物です

ずっとずっと緊張感を保ちながら、丹念に作り上げてきたものやガマンにガマンを重ねてたどり着いたものが、一瞬の「気の緩み」によって台無しになることってありますよね。

だから、みんなが口々に言う「気の緩みにお気をつけください」を聞いても、うんその通りだよなあとしか思わないのです。

僕が子供のころ「注意ー秒、ケガ一生」なんて標語がありましたけど、今も使ってるんでしょうかね?
「実際にケガをして障害を負った方を慮るべきだ」ってことで、そういう言葉が使いにくい世の中になってるような気もしますが、どうなんでしょ?

ただ一方で、人はずっと注意しつづけていることや、気を張り続けていることもできないんですよね。
だから、どうしても気は緩むものなのです。

「さあ、気を緩めるぞ」ってことなんて思わないにしても、あとから振り返ってみて「あのときは、ちょっと気が緩んでたな」なんて気づくことって往々にしてありますよね。

先日、中学・高校時代の同級生数名と飲み会を開きました。

僕が山口県萩市に移住したのが8月中旬だったのですが、そこから二ヶ月経ってようやく複数人での外食の機会でした。
会場も同級生夫婦が経営している飲食店。

移住前は「同級生が事業やってるからって、わざわざそこ使うこともないでしょ。その場その場で適切な選択をするべきだよね」なんてことを思っていたのですが、いざ暮らし始めてみると「あいつがやってるから、顔だしついでにお金落として行くか」みたいな感覚になりますよね。

住んでる家の設備の更新は、同級生が働いてる設備会社に依頼したし、定期通院する先も同級生が開業している医院にしたし、これから先の飲み会は「まずは、同級生がやってる店」ってことになりそうです。

マスクをして入店してきたのは、ひとりでしたね。

「どうせ、お酒が運ばれてきたらマスク取るんだし」ということもありますし、広い店なので、入店して席に案内されるまでに他人と2m以内に接近することもありませんしね。
当然、お店の人はマスクをして接客してくれます。これは、新型コロナ禍以前からですね。

昼間よくスーパーやコンビニに買い物に行きます。

ここでは、全員がもれなくマスクを着用しています。
引っ越してきたばかりのころ「とはいえ、してない人もいるでしょ」なんて思いながら、注意して見ていたのですが、僕が見る限りマスクなしで入店していた人はゼロです。

反面、歩行者や自転車で移動している人のマスク着用率は半々って感じですね。

僕もそうなのですが、自転車で移動しているときには息苦しいので、マスクはしていません。
だけども常備していて、不特定多数が集まる場所に入る際には着用するという感じの人が多いのかな? という印象です。

いっときの「周囲に他人がいようがいまいが、なにが何でも外出時にはマスク着用」という感じではなくなってるのは確かですね。

今くらいの感じがいいんじゃない

これを「気の緩み」といえば、その通りだろうと思います。

だけども、みんながそれぞれに「この気の緩みは危険なのか? それともありなのか?」を考え始めてるんでしょうね。
「段階的に、元の生活に戻るべきだ」と考える人もいれば「まだまだ緊張感を失ってはいけない」と考える人もいて、それもまた当然だと思うんですよね。

いろんなメディアを観たり読んだりすると、いろんな「専門家」がいろんなことを言っていて、いまだに「よくわからない」状況が続いているようです。

そろそろ自分の頭で考えて、自分の行動を決めるフェーズに入ってるんでしょうね。

前項の「飲み会で集まる気心の知れたメンバー同士ならば、マスクなしでいいでしょ。でも、多数の人が行き来する商業施設では、マスク必須」みたいな感じがしばらくは続くのかな? と言う気がしています。

数ヶ月前の「外出時には、なにが何でもマスク着用」時代でも、さすがに家庭内ではマスク外してましたよね。
もしかしたら就いてる職業や考え方によっては、家庭内を含めて24時間マスク着用で過ごされた方もおられたのかもしれませんが、僕は聞いたことがありません。

そこには「家族が罹患するのは、自分が感染るも同然」って意識があったからだと思うんですよね。
逆に「自分が感染れば、家族にも伝播してしまう」と思うからこそ、外出時には気を張ってたんですよね。

それがだんだんと「家族」から「恋人・親友」になり「気心の知れた友人・仕事仲間」くらいまでは「この人から感染るんなら仕方ない」っていう範囲が広がり始めてるんじゃないでしょうかね。

僕は以前『飲み会を「つまらない」と思うようになった理由』なんて記事を投稿したことがあるように、あまり飲み会の参加に乗り気ではありません。

ただ、このブログでもいろんなところで触れているように「メンバーによる」のですよ。

大雑把にいえば、話が通じるし、そこそこ盛り上がる友人同士で集まるんだったらありだけれども、単なる「偶然にも、かつて同級生だったから」で集められる同窓会みたいなのは、ご勘弁なのです。

飲み会のたびに知らない人を連れてくるような人は、なかなか友人関係になりにくいのです。
これまた「連れてくる人」のチョイスにもよりますけどね。

中には「よくぞ、この人と引き合わせてくれた。ありがとう」ってケースも少なからずあるので、いろいろとやっかいなのです。

でも、なんとなく「気心しれた友人同士の飲み会は解禁。不特定多数が集まる会合は自粛中」という感じの現状、なかなか快適です。
「ずっと、このくらいの感じでいてくれないかな」と思っています。

これからも手洗いとマスク常備は続くんだろうね

好きな人々と会うことによって、新型コロナに感染するリスクと、集まることができないリスクを天秤にかけ上で「集まることができないことに我慢できなくなったよね」と感じる人が多くなってるんじゃないでしょうかね。

そこで後々「やっぱ、集まっちゃダメだったね」ってことにならないように、日ごろは、

  • ちゃんと、ていねいに手を洗ったり
  • 不特定多数が集まる場所に出かけるのを抑制したり
  • 適宜マスクの着用を怠らないようにしたり
  • ちょいちょい熱を測ってみたり
  • 目・鼻・口に不用意に触れないように気を配ったり

なんてことを意識し続けなきゃいけないんですよね。

自分で「気を緩めてる」部分を作ったことを認識することで、気を緩めちゃいけないところをキチンと締める、みたいなね。

たぶん、人によって違うんでしょうけれども、、これまでの新型コロナ禍に向かい合う暮らしの中で、気を締めるシンボルみたいなのができてると思うんですよね。

僕にとっては「こまめな手洗い」と「ひとつのバッグにひとつのマスク」ですね。

これまで、手洗いなんてトイレに言ったときと、目に見えて汚れたとき、掃除用具を使ったあとくらいしかしてませんでしたからね。

マスクを常時着用せずにバッグに入れておくスタイルにしたのは、萩に移住してからですね。
だって、人とすれ違わないんですもん。

東京で暮らしてるときには、出掛けにマスクを着けて、帰宅するまでずっとそのままでした。

建物に入る直前でマスクを着用するようになってから、かならず出掛けにバッグの中にマスクが入っていることを確認するのがクセになりました。
いつも持ち歩くものの量に合わせて3種類のバッグを使い分けてるんですが「このバッグにはこのマスク」と対(つい)になっています。

そのほうが「ヤベっ。マスク持ってくるの忘れちゃった」ってならないんですよね。
「ケードケース、スマホ、マスク」って確認してから、カバンを肩に掛けますからね。

このふたつの習慣は、世間がコロナコロナ言わなくなっても、ずっと続くような気がします。

僕は幸い花粉症になったことがなかったので、マスクなんてしたの中学校の給食当番以来でした。
でも、毎年花粉症に悩まされてる人って「そろそろかな」って季節になると、着用まではせずともカバンの中にマスクを入れてたりしてましたよね。

あの感覚です。

これからずっと「洗面所の前を通ったから」とか「コーヒーを淹れるついでに」とかで手を洗い、スーパーや役所みたいな人の多い場所に入るたびにバッグからマスクを取り出す習慣を持ち続けるんじゃないかな? なんてことを思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。