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無職になると損得を考えなくなるので、いいですよ

2020.10.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ビジネスプランの相談に乗りながら「そういや無職になってからこっち、あまり損得で物ごとを考えなくなってるな。いいぞ」なんてことを考えていたのです。おそらく、もう一回「やりたいから、やる」側に振ってみようとしている時期なのでしょうね。

「なんか、お金のことを考えなくなったなあ」と…

「もうけばなし」ってほど露骨じゃないにしても、これまで「損する得する」の話が多かったなあ、そういや最近はそんな話に加えてもらってなかったなあ、などということを思いついたのですよ。

事業オーナー同士の飲み会とか、○○会社の会議とか、そういうところで繰り広げられる会話って、どのくらいの利益が見込めるだの、誰を加えてどんな座組にするだの、ブランド価値がどうたらこうたらって、損得をテーマに物ごとを考えるのが当たり前みたいになってますよね。

みんな、大人だし職業人だし「価値を産み出す」ことを求められていて、それで所得を得ているのですから、当たり前っちゃあ当たり前のことなんですけどね。

ところが、無職になると、そういうことをあまり考えなくなるんですよね。
そういう世界から、仲間はずれにされるって感じでしょうかね。

そんな感じのことを、僕が資本参加している会社の経営者から「相談がある」ということでかかってきた、2時間にもおよぶ長々とした電話連絡に応じながら思っていたのです。

過去にも何度かブログ内で触れていますが、僕は「無職」ということにはしているのですが、ほんのひと握りだけの労働を残して、月に数万円の所得を得ているし、自分で経営している会社と、経営も従業もせずに所有だけしている会社があるのです。

こういう言い方がふさわしいかどうかはわかりませんが「セミ無職」みたいなものなのです。
「セミリタイア」の「セミ」の部分の角度をかえてみれば、僕にとってはこういう表現がしっくりくるのです。

後者の「所有だけしている会社」が、こうして経営者がときどき電話相談をしてくる会社です。
さほど華々しい業績を上げているわけでもないので配当も得ておらず、IPOの予定があるわけでもないので、ひたすら「社長の話し相手になる」係を無償で続けています。

彼(社長)は、僕にアドバイスを求めてくるような口ぶりでずっと話し続けていますが、本当は自分の考えを他人に話すことで頭を整理したいだけなのですよ。
だから僕も、押すでも引くでもなく、なんとなく彼が進みたがってる方向に誘導するようにしています。

こうして、長々とした電話をかけてくるのは数ヶ月に1度くらいで、こないだ久々にそれがあったのですね。
で、応じながら「おや? 損得とかビジネスの話をするのって、久々だよなあ」などと感じていたのです。

損得を考えるのも楽しいんですけどね

完全に「お金のこと考えない」ってワケじゃないんです。
むしろ労働からの対価を得なくなったことで、すでに持ってる資産の使い方とかには神経質になっていたりもします。

毎月々初に、a href=”https://www.hagi.life/category/aset/”>資産運用カテゴリに「○月末現在の金融資産の保有状況」という記事を投稿しているように、基本は放置スタイルなのですが、こうして定期観測するようにはしています。

でも「資産を管理する」のと「損得を考える」のって、ぜんぜん違うんですよね。
たぶんゲーム性の違いみたいなもんでしょうかね。

金融資産に関して僕は基本、インデックス投資しかしていません。個別株の売買とかはやっていません。
強いて言えば、超小額の仮想通貨を持っているくらいでしょうか…。

それも、買ったときよりもかなり下落していますので、放置中ですけどね。
だから、さほど楽しさはありません。

「損得を考える」って、楽しいんですよ。

この記事のタイトルを「無職になると損得を考えなくなるので、いいですよ」にして書き始めましたけれども、損得を考えることも「いい」のです。

でもそれだとあまり「損」に寄れないんですよね。
たとえば僕はやらないですけど「釣り」みたいな感じでしょうかね。

よく釣り好きの人が、いわゆる高級魚を釣り上げて「こりゃ割烹で頼んだら○万円くらい取られるぞ」なんてことを言って喜んでたりしますよね。

でもそれ、絶対に得なんかしてるわけないのですよ。
道具を揃えて、釣り船を頼んで「○万円」どころじゃないお金を使ってるはずなんですよね。

釣り好きの人は、損得を考えてやってるんじゃなくて「釣りが好き」だからやってるんですよね。

プロの漁師は別としてね。
漁師は、損得考えずに釣りしちゃったら生活できなくなっちゃいますからね。

みんな「やりたいから、やる」が好きなんですよね

おそらく死ぬまで「損得を考える」と「損得抜きで好きなことをやる」の間を行ったり来たりし続けるのだろうと思うのです。

これまで職業人として生きてきた期間が長かったので、ちょっと「損得を考える」に寄り過ぎてたのかな? と思います。
もともとは「やりたいから、やる」で始めたデザイナー稼業だったんですけどね。

たぶん言い方はいろいろあるんでしょうが「いろんな攻略方法を考えるのが、楽しい」と「損得を考える」が、長らく上手いこと合致してくれてたんでしょうね。

それが、だんだん「損得」要素が強まってきたような気がするんですよね。
だから職業人生を停止して、無職になったんですけどね。

いわゆる「焼きが回る」って、現象なのだろうと感じていました。
(参考:「やりたいこと」の賞味期限

人はもともと、つらい思いをしても、お金を費やしても、時間がかかっても、メンド臭くても、危険でも「やりたいから、やる」が好きなんですよね。

タイトルで使った「損得を考えなくなるので、いいですよ」という言葉、「もう一回、やりたいこと側に振ってみようか」くらいの感じなのです。
たぶん半々ってむつかしいんだろうから「7:3」だったり「6:4」「3:7」みたいな感じで行ったり来たりを繰り返すんでしょうね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。