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リスペクトすることから始まる、思考の広がり

2021.02.10

こんにちは、萩ドットライフ()です。

気にいらないものと出会ったとき、ひと呼吸おいて「なぜこれはこうなってるんだろう?」と考えてみるべきです。頭ごなしに否定するよりも、広大な景色と出会えます。他者をリスペクトすることは、自分の思考を広げ、生活を豊かにしてくれるのです。

「まじリスペクト!」

いつ頃からか「リスペクト」という言葉が日本語(外来語)として自然に使われるようになりましたよね。

現在50代後半の僕が学生時代には、まだ使っていませんでした。
リスペクトと聞けば、英語の「respect(=尊敬)」をイメージしてなんじゃないかな?

英語の授業くらいでしか出てこないワードでしたよね。

おそらく最初に耳にしたのは「まじリスペクトっす!」みたいな、くだけた感じだったように記憶しています。
なので「アグリーです」「プライオリティ高めでお願いします」みたいな、ビジネス用語としての外来語とはちょっと違うのかな? という印象を持っています。

たぶん、僕らよりもかなり下の世代の方々が使い始めた言葉なんでしょうね。

いま使われている「リスペクト」って、「評価してる」とか「尊重する」「敬意をはらう」「賞賛する」のように、文脈によって変化する幅広い意味を含んでいるように感じますね。

すごい人、偉い人、立場が上の人だから「尊敬する」ってのとはちょっとニュアンスが違うように思います。
他人のちょっとした行動や意見、またはその人そのものを、傷つけたり、ぞんざいに扱ってはいけないみたいな感じでしょうかね。

そのリスペクトの対象は、文化だったり、プライバシーだったり、感情、気持ち、物、自然…、さまざまなものに対して使われる言葉ですよね。

リスペクトは、多方面に必要

おそらくリスペクトは「評価」じゃないんですよね。「好き嫌い」でもなさそうだし。

もちろん、ものすごく優れてると感じたものに対して「まじリスペクトっす!」はあるでしょうし、自分の好みにピタッとハマるものと出会ったときに使ってもさほど違和感はないように思いますけど、それだけじゃなさそうなんですよね。

たとえば「今日のミーティングのオワリで、中打ち上げやりません?」みたいな話になったとき、誰かが「自分は今日、乗り気じゃないから行かない」と言ったとします。
その場合「あ、了解。気が乗らない人は不参加でオッケーす」で、いいのです。

「やりたくないんだったら、それでいいですよ」みたいなことも、その人の気持ちに対するリスペクトだと思うんですよね。
受発注関係の上流/下流とか、年齢の上下とか、役職の高低とかまったく関係ないのです。

でも、仕事はダメですよ。
納期を守らない人に「あなたの『やりたくない』というという気持ちを、私はリスペクトします」とか、なるわきゃありません。

ただ、日頃から互いにリスペクトし合ってることが感じられるチームって、会議やミーティングを始めとしたコミュニケーションが心地いいんですよね。
「自分はこうしたいけど、あなたはどう(違う意見を持ってるでしょ、それを尊重しますよ)?」が前提になってることが共有できてますからね。

そのほうが「自分のA案、あなたのB案。議論の上、折り合いのついた新しいC案、誕生」みたいなことが起こりやすいのです。
ただ、それはそれで「角が取れる」とか「足して2で割った」的なことになるデメリットもあるので、要管理なんですけどね…。

暇なので、バレーの試合を観たりしています

YouTubeを見ると、いろんなスポーツゲームの動画が上がっているのですよ。
僕が、もう30年以上も前に所属していた、大学バレーの試合もいっぱい観られます。

現在セミリタイア中で、暇ならいっぱいあるのでバレーボールの試合を見ている時間も多いのです。
幸いなことに、母校はずっと関東1部リーグに定着しているので、動画がいっぱい上がってます。

そりゃ自然と、後輩たちの試合を検索して観がちになっちゃいますよね。
監督もコーチも知ってる人だし。

鼻をほじりつつ、缶ハイボールを片手に「今のスパイク、上がるだろう」「もう一発クイック見せとけよ」「バカ、今こいつ下げちゃダメだ」みたいなことをブツブツ言いながら観ています。

その昔、父親がプロ野球中継を観ながら「下手だ、バカだ」言っているのを見ながら「なら、自分でやってみろ」と軽蔑していたのですが、まったく同じ姿になっています。

オッサンとは、そういう生き物なのですね…。

そこで、ふと思うのですよ。

いくら僕が、かつて競技者だったといっても、もう30年以上も前に退いています。
途中で遊び程度でボールに触れたことはありましたが、自分がプレーしていた当時から何もアップデートされていない人なのです。

いま現役バリバリでコートにいる方々なんて、僕ごときが思いつくレベルの浅知恵くらい、すでに考えているに決まってるのです。
その上でプレーや采配を選択しているのです。

それに気付いて以降、「あ、バカ。ダメだ!」と思っても、ひと呼吸おくようになりました。
そして「こりゃ、オレの思いつかない考えで動いてるな」と思い直して観るようにしているのです。

この「ひと呼吸」がリスペクトなんですよね。

もうひとつ深く考えてみることのきっかけに

こういう考え方をし始めると、競技者時代には触れることができなかった景色が見えてくるのですよ。

「なぜこのプレーヤーは、これを選んだんだろう?」「オレが思いついたプレーをしていたら、どういう展開になっただろう?」みたいな広がりが生まれるんですよね。

そのほうが「オレが正しいんだ、バカ」「だからこうしろって言ってるだろ、下手くそ」と自分の意見に囚われながら、そう動いてくれない監督やプレーヤーを腐しながらゲームを見るよりも、はるかに楽しめるのです。

バレーボールのゲームを引き合いに出しましたが、こういうのって一事が万事なんですよね。

本やネット記事を読むときでも、他人のビジネスの相談を受けるときでも、スーパーの売場の配置にしても、みんなちゃんとした意図をもってそうしてるはずなんです。

自分の気に入らない現象や言説、行為に出会ったとき、頭ごなしに貶(けな)すのではなく、ひと呼吸おいてみるべきなのです。
「なぜこうなってるんだろう?」「どうしてこの人は、こうするんだ?」ということを考えてみると、そこには僕では思いもつかなかった「何か」があるはずなのです。

他者に対するリスペクトは、自分の思考を広げ、生活を豊かにしてくれるものだと、僕は思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。