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自分のことしか考えない。なかなか悪くないですよ

2021.02.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人を評して「自分のことしか考えない」という言い方があります。そこには多分に非難の意味が込められていますよね。でも、自分が自分のことだけを考えて至った結論には逃げ場がありません。その分、自分に対する信頼度が上がるような気がするのです。

無職になると他人のことを考えなくなりますね

「あの人は、自分のことしか考えていない」っていう人物評には、多分に批判の意味合いが含まれますよね。
一種の「悪口」と言っても、差し支えないかもしれません。

社会全体のことや、周囲の人々のことを考えて気を配りながら行動する人が「良い人」ということになっているようです。

僕も「まあ、そんなものかな」と同調しています。

でも、無職になって社会から少し距離を置くようになると、ふと気づいたら本当に「自分のこと」しか考えなくなるんですよね。

勘違いしてほしくないのは、前方から人が歩いてきてるのに、気にすることなく、まっすぐにズンズン歩いていくとか、バスの列を守れずに我先に乗り込もうとするとか、そういうんじゃないです。
そういうのは、別に考えるまでもなく無意識に譲り合いますもんね。

「自分がいま考えていることは、あの人は賛成してくれるだろうか?」
「この人が動き易くなるように工程を進めるには、どうしたらいいだろうか?」

みたいなことを考えなくなるのです。

1日中「じぶんは、ああしたい。こうふるまおう」みたいなことばかり考えているのです。

自分が自分ことを考えるのは、ある意味当たり前で「いままでもそうだったじゃん」と思ってみたりもするのですが、いやいや、そういうふうにはなってませんでしたよね。

子供時代は、そんな感じだったような気もしますが、就学して集団の一員になって以来、常に他人込みで自分の事を考えるようになってたような気がするんですよね。
それが「社会性」というもので、人として身につけるべきものだったんでしょうけどね。

自分の生き方は、自分で選んでるつもりだったんだけどね

それでも、成長とともにプライドや自意識も大きくなっていくものですから「オレは自発的だ」とか「自立も自律もできている」みたいなふうに考えがちでしたよね。

ずっと「自分のことは、自分で考えて、自分で決めている」と思ってきましたし、そういう体(てい)で振る舞ってきました。

「自分は自分の考えたと通りに進むんだ」「他人がどう思おうが、構わない」みたいなのがカッコいいと思ってたんですよね。

だからこそ、かなり甘めの見込みでフリーランスになったりしまし、無職になってセミリタイアするって決めたときにも、そういう考え方に基づいていたような気もします。
「僕、もう新規案件請けません。無職になります」って告げたときの「え、なんで?」が心地よかったりしてました。

「他人がどう思おうが」って、考えちゃってる時点で、ものすごく他人に影響されちゃってるんですけどね。

フリーランスになったり、自分の会社を作ったりする人って、大なり小なりそういった部分があるんじゃないでしょうかね。
似たような境遇の人と、あまりそういう話をしたことがないから、なんとなくのイメージですけどね。

思考の中には、必ず他人がいる

なにをするにつけても「これをやっても大丈夫だろうか?」「これをしたら、誰かに非難されるんじゃなかろうか?」と、他人を気にしながら物事を考えるのは、なかなかキツいですよね。

ただ、集団の構成員であったり、チームプレーの中でポジションを与えられている限り、切っても切れないものなんです。

当然「僕は僕なりに、こう考えて、こう処理しました」みたいなことはアピールするんですけどね。

でも、まったくの「僕なり」ってわけでもないのですよ。

事前にいろんなすり合わせをしたり、顔合わせの雑談なんかで「この人に了承してもらえばスムーズに運ぶな」とか「こんな感じ、好きそうね」などのリサーチが会った上で、合わせるところと、ズラすところをあざとく混在させたりしますからね。

結局のところは、価値判断は先方に委ねることになるんです。

僕の場合はフリーランスで、次にもまた案件の受注にありつかなきゃいけませんから、こういう考え方になりますよね。

おそらくサラリーマンの方でも似たような場面ってありますよね。
上司がいたり、ライバル関係にある同僚もいたりしますもんね。

常に、その人たちの反応を伺いながら思考するし、行動することになりますよね。

職業人である以上、どんなに「オレは自分が思うように振る舞ってる」って思ってみたところで、その思考の中には必ず他人がいるし、成果物の評価も他人に委ね続けることになるんですよね。

自分の頭で考えるって、こういうことなのかもね

冒頭で「自分のこと」しか考えなくなる、と書きました。

厳密に言うと「思考の中に他人の存在が極限まで少なくなる」くらいの言い方がいいのかもしれません。
長年にわたって人間をやってきた以上、まったくの「無」にはなりませんよね。

どっかしらに「あの人みたいな生き方、羨ましいな」とか「あの人がやりたいって言ってたこと、今のオレできてるよ」みたいな感じで、どうしても思考の中に他人が入り込んできますからね。

でも、自分が「考えること」や「やること」の評価を他人に委ねることがなくなるのって、ものすごく「オレの環境、変わったな」と思わせてくれます。
もしかすると、無職になることの一番の効果なんじゃないでしょうかね。

それでも、人間である以上、ずっと物事を考え続けます。

当然、間違ったことを考えて、間違った行動をしてしまうかもしれません。
世の中、当たり外れでいうと「外れ」のほうが多いに決まってますからね。

そのときに「あの人が、こう言ったから」とか「こうしたほうが、あの人が喜ぶと思ったから」なんて言い訳の入り込む余地は一切ないのですよ。
自分が、自分だけのことを考えて導いた結果ですからね。

逃げ場がないだけ、少々怖いことでもありますが、ほんのちょっとだけ自分に対する信頼度が上がったような気がするのです。

ほら、よく「信用は過去の実績、信頼は未来に対する期待」みたいなことを言うじゃないですか。

身体をこわばらせ、頭をカチコチにしながら他人からの評価を待つ…。
そんなことをしなくて良くなった自分は、僕なりになかなか期待の持てるやつなのです、信頼できるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。